64 監督官ケルスティン
●ケルスティン=アッテルベリ
元王国八星騎士"不死"。王国の"魔女"。レナを攫ってグレアムをオルトメイアに誘う。
●アリオン=ヘイデンスタム
元王国公爵。聖女マデリーネの父。クサモの戦いで戦団に敗北後、グレアムに降る。現在はアルビニオンで宰相職を務める。
―― ジャンジャックホウル アルビニオン ――
コンコン、ガチャリ
「ちぃーすっ、どもども」
「……ちっ」
軽い感じで部屋に入ってきたのは黒髪の魔女ケルスティン=アッテルベリ。そして、大きな舌打ちをしたのはアリオン=ヘイデンスタムだった。
場所はアリオンの執務室。秘書のチャイホスを始め多くの文官がアリオンへの報告とアリオンからの指示を待っていた。
「お忙しそうですね」
「見てわかるだろう」
「そうですか。大事なお話があるので人払いしてもらっても?」
「ちっ!」
再び大きく舌打ちをするアリオン。
「西塔の一つで軟禁されているはずでは?」
「この魔女にそんなものが通用するか」
チャイホスの疑問に答えるとアリオンは身振りで退出を命じる。
「あ、できれば護衛の方々も」
「なっ!?」
驚くチャイホス。常識的にそんなこと認められるわけがない。だが、さらに驚くべきことにアリオンはそれに素直に従った。
重い両開きの扉が閉められると執務室にはケルスティンの望み通り、彼女とアリオンだけが残った。
「で、大事な話とは何だ?」
「いい酒を揃えてますね」
「……好きに飲め」
キャビネットに並べられた酒瓶の一つとグラスを二つ、嬉しそうに手に取るとアリオンの前に座って中身を注ぐ。
「ちっ!」
ケルスティンが選んだ瓶を見て、三度、大きな舌打ちをするアリオン。マデリーネの結婚の時に飲もうと思っていた最高級の蒸留酒だった。
半ばヤケクソ気味にグラスをあおるアリオン。芳醇にして深いコクが口中に広がる。目の前の人間が違えば、もっと美味く味わえただろう。それだけに腹立たしい。
「で、大事な話とは?」
再び同じ質問する。それに対しケルスティンは――
「まあまあ。しばし、歓談を楽しもうじゃありませんか」
「貴様と楽しむ――」
「なぜ、私を殺そうとしたんです?」
「……」
『歓談』というには殺伐にすぎる話題が飛び出て思わず黙り込むアリオン。
「ジョセフ君が生きている頃から、ちょくちょく殺気を感じていましたが、本格的に狙い始めたのはジョセフ君がグレアム君に殺された直後でしょうかね。ペル君を匿ったのは私をおびき寄せるためですか?」
ペル=エーリンク――ブロランカ島で蟻喰いの戦団に協力していた商人だ。その咎でケルスティンはペル=エーリンクを指名手配したが、アリオンはミスリル取引をしていたペル=エーリンクを匿ったのだ。
「……」
アリオンは沈黙してグラスを傾けた。
「図星ですか。危ないところでした。軽挙にあなたの屋敷に踏み込めば、殺されていたわけですね。でも、なぜですかね? 殺したいほど憎まれるようなことをした覚えはないんですが」
「……貴様が"監督官"として有能すぎたからだ」
監督官――軍とは独立した王直属の官職であり、正式名を"王宮軍務監督官"という。その権限は強大で「軍事計画と戦略の立案」「軍の組織と指揮の管理」「軍の安定と秩序の維持」「軍と政治の調和」と多岐に及ぶ。
通常、これらの役割は元帥旗下の参謀本部が担うが、元帥への兵権集中を嫌った王家が参謀本部の上位に位置する役職として設置した。監督官からの提言は元帥でも軽々しく扱えない。その最大の目的は軍や諸侯の監視と反乱の予防であった。
「ふふん。私が王国から出奔した途端に内乱が起きましたからね。逆説的に私の有能さを証明することになってしまいましたね」
「茶化すな。あの茶番劇を抜きにしても貴様は確かに有能だった」
事実、ケルスティンは在任中、何度も反乱を未然に防いでいる。最も有名なものはゼスカ家が画策したジョセフ暗殺未遂事件である。
「はぁ、お褒めに預かり恐縮ですが、つまり、私を排して内乱を起こしたかったと?」
「まったく、出奔するなら、さっさと出奔すればよいものを」
手酌で蒸留酒を注ぐと、今度はゆっくりとグラスをあおった。
「いやあ、タイミングが良かったといいますか。ちょっと、やりたいことがあったので。テオドール君も私を始末したかったようですし」
内乱を自作自演したいジョセフの息子達にとってケルスティンが邪魔だったのだ。とはいえ、ケルスティンはケルスティンでグレアムにスライムを提供する利敵行為もしているので、彼女にまったく咎がないわけでもない。
「もしかして、ジョセフ君やテオドール君を倒して王位簒奪を狙っていたんですか? いやいや、いくら聖女を擁していても、それは無理でしょう。当時はアイク君がいたんですよ。私を排除したところでクーデターは絶対に失敗します」
「アイク=レイナルドを味方につける算段はあった。最悪でも中立にもっていけるはずだった」
それを聞いてケルスティンは天を仰いだ。それができる方法は一つしかない。アイクの妻アイーシャだ。
「アイーシャちゃんの出自ですか。ヘイデンスタムの諜報能力を見くびっていました。ジョセフ君とアイク君がアイーシャちゃんの件で密約を結んでいることを掴んでいたんですね。で、同じ密約をアイク君と結ぶつもりだったと」
「……」
「お見事です。そんな激しい野心を隠し持っていたとは気付けませんでした」
アリオンにとって、一度は諦めた野心であった。だが、マデリーネが生まれたことで心の中に小さな火種が灯り、ジョセフの治世の中で地中で燃える泥炭のごとく広がり、ジョセフが倒れたことで枯野に火を放つがごとく燃え上がった。
娘をグレアムのもとにやる一方で、グレアム討伐に動くという矛盾した行動を取ったのも王位を狙ってのことだ。グレアム討伐の返す刀で内乱で動揺する王都に攻め入り、二人の息子と呼応して玉座を奪うつもりであった。
娘の運命は女神の意思に任せた。自分が玉座を得るために生贄を必要とするならば、喜んで娘を差し出そうと思った。そして、もし自分がグレアムに敗れれば、潔くその地で果てようとも。
だが、ジョセフの息子達にいいように操られていたことを悟り、さらに"ロードビルダー"の強大な力を目の当たりにして、アリオンは考えを変えた。
「それで、貴様は失敗した陰謀を暴いて何がしたい?」
「特に何も。ただの雑談です。
強いて言うなら"終活"というやつですかね。
疑問を残したまま死ぬのもどうかと思いまして」
アリオンは胡乱な目でケルスティンを見つめた。今、死ぬと言ったか? この魔女が?
「冗談はよせ」
「殺そうとしていたあなたが言いますか」
「それは貴様の正体を知らなかったからだ。
今の貴様は、とても殺せる気がせん。
王国軍が総力をあげても無理だろう。
まったく、アマデウスめ。厄介なやつ送り込んできおって」
監督官という職務上、機密情報を知ることが多い。王国から無断で出奔したケルスティンは王国から生死問わずで莫大な懸賞金がかけられている。王国がケルスティンの所在を知れば、即座に引き渡しを求めてくるだろう。
さっさと"レナ・ハワード"という少女の所在を吐かせて、殺してしまうのが一番なのだが、おそらく、それができるのは――
「オーソンとヒューストームか」
「ヒューストーム君といえば、あれ何なんですかね? クレアちゃんと同じかと思ったら何かよくわからない状態になってますし。ジェニファーちゃんといい、天使ちゃんといい、ここもオルトメイアと同じくらいの伏魔殿になりつつあるのでは」
アリオンの独り言に反応して、ケルスティンも独り言を呟いた。
「何のことだ?」
「いえ、お気になさらず。それより、もう野心は無いんですか?」
アリオンはグレアムから決裁権を預かっている。今なら強大な財力と権力、そして聖女の権威を使えば王を名乗ることもできるだろう。
「無いわけなかろう。
そこらの浮浪者でも己の頭上に冠を戴く夢を見る。
己の心のありようは女神に許された自由だ。
それがどんな歪なものであってもな」
「まだ野心はあると。その割には……」
「この世界には私なぞ簡単に凌駕する化け物たちがいる」
策謀においてはジョセフの息子達。
純粋な暴力においては上級竜だ。
「だが、その化け物たちすら凌駕する存在がいる。
我が主だ」
アリオンはゆっくりと味わうようにグラスの酒を口に含んだ。
「テオドールたちの策謀をことごとく打ち破り、
"ロードビルダー"すら打倒した存在を上回ることなど到底できはしない。
だが、それでも至れる高みはある。
私は私の野心の在り方を変えたのだ」
口中の酒を嚥下したアリオンは一つの吐息とともにそう語る。
諦めと悔しさ、そして野望と希望がない交ぜになった複雑な感情が見て取れた。
それでケルスティンはアリオンの新たな野心を察した。
「なるほど。
はぁ。
みんな、あなたように物分かりがよければ、よかったのですがね。
……それはそれとして、そろそろ酒のサカナが欲しくなってきましたね」
ケルスティンは執務室を見回す。何か食べるものはないかと探しているのだ。
「……ケルスティン。私も暇ではない。そろそろ本題に入れ。
いや、それとも、もうすでに本題に入っていたか。
忌々しくも有能にすぎる監督官殿よ」
アリオンの口調が真剣度を増す。
キーワードは"野心"だ。
それの意味するところは――
ケルスティンはグラスを置いて向き直った。
「ええ、お察しの通り。
ここで反乱が起きます。
そして、この反乱は止められません」