62 学院生活5
「ごめんなさい。ちょっといいかしら」
グレアムとセバスティアンが睨み合う中、そう声をかけてきたのはサファイア色の髪を持つ女――大国の王族ティーセ・ジルフ・オクタヴィオだった。
「彼に、用があるんだけど」
ティーセの視線の先には大きな眼鏡と無造作に伸びた長い髪で素顔を隠したグレアム。
「ところで――」
ティーセは視線を横にずらし、リリィの二の腕を掴むセバスティアンに鋭い視線を向ける。
「女性を乱暴に扱うのが、聖国上流階級の流儀なのかしら?」
棘のある口調にセバスティアンは思わず手を放す。
「い、いえ、これは……、そ、それよりも、かねてよりご挨拶を――」
紅潮した顔で続けようとするが――
「なら、もういいかしら?」
ピシャリとセバスティアンの言葉を遮る。
ティーセの明確な拒絶の意思に、セバスティアンは一瞬、傷ついた表情を見せた後、なぜかグレアムを睨みつけてきた。そして、ティーセに一礼して去っていく。
その背を見送りもせず、再びグレアムに向き直るティーセ。
「お時間、よろしいかしら? レビイ・ゲベル」
「……はい」
売られていく子牛のように連行されていくレビイと颯爽と去っていくティーセ。
その二人の背中を茫然と見送るトマは――
「あ、アバンチュール」と呟いた。
◇
「ターゲットの顔は覚えたな? ギモーブ」
「へい」
「報酬はあの白い髪の女だ」
「……赤い髪のほうが好みなんですがね」
「あの平民は他家の"資源"だ。手は出せん」
「でも、交渉中なんでしょう?」
「……」
「あっしの"代償"はご存知でしょう? 一人じゃ割に合いやせん」
「貴様ならあれくらい、その"目"を使わなくてもやれるだろ」
「いやあ、そいつはどうだか実際にやってみなきゃわかりゃせん。仮に使わなくてすんだとしても、そこはあっしの努力報酬ということで」
「ちっ、わかった。手に入れば、お前にくれてやる」
「へへ。ありがたく」
片目に眼帯をした騎士の身なりの男は嫌らしく破顔した。
◇
バン!
ティーセの手がグレアムの背後の壁に叩きつけられる。いわゆる"壁ドン"というやつだ。
まさかこの世界でもやられるとは思わなかったと若干、懐かしい気持ちになりながら美人の怒り顔を見つめるグレアム。
「なんで来ないのよ」
一週間前、森の泉で偶然再会した時、ティーセは何か思うところがあったのか、グレアムに自分を訪ねるように言いつけていた。
それをグレアムは無視した――というわけではない。その日の放課後にちゃんとティーセを訪れたのだ。
「いえいえ、ちゃんとお伺いしましたよ。ですが、そちらの守衛様に追い返されてしまって」
ティーセが学院からあてがわれた部屋は、ちょっとした屋敷だった。塀に囲われ門には守衛までいる。
グレアムはその守衛にティーセに呼ばれたことを告げると――
『ああん? お前のようなヤツ――』
『ですよね! 僕も何かの間違いだと思うんです。そういうわけで、お騒がせしました』
『あ、おい!』
これで義理は果たしといわんばかりに、さっさと退散した。これで半月くらい顔を合わせずに過ごせばティーセは忘れてくれるだろう。AクラスとCクラスならば、それも難しくないように思えたのだ。そして、それは予想以上に簡単だった。学院でティーセをまったく見かけなかったからだ。ビクビクしていたのが馬鹿らしいとグレアムは警戒を解く。
ところが、その途端に食堂で捕まってしまった。まさか自分を油断させるための罠だったのか。
「やっぱりあなただったのね。眼鏡をかけた男子が私を訪ねてきたと報告を受けているわ。……食い気味に守衛の言葉を肯定して嬉しそうに去ったこともね」
「……」
さすが大国の王族を守る衛士。"ホウレンソウ"がしっかりなされている。
「守衛様の気のせいだと思います」
グレアムはとぼけることにした。どちらにしろ、こちらは言いつけを守った。守衛に話を通していなかったのは、そちらのミスである。
「……あなたが私に興味がないことはよくわかったわ」
「……」
別に興味がないわけではない。ただ、いつティーセが自分の正体に気づくか、気が気ではないだけである。
「うん。やっぱりあなたに頼みましょう」
その瞬間、猛烈に嫌な予感がした。
用事を思い出したフリをして、すぐにこの場を辞去しようとする。
だが、その前に――、ティーセはとんでもないことを口にした。
「あなた、私の恋人になってちょうだい」