56 邂逅の森3
スラリと伸びた手足。絹糸のような髪をくしけずるその指は白魚のごとく。産毛一本ないと思わせるような肌理細かい肌にグレアムは目を奪われた。
パキッ
無意識に進めた足が小枝を踏んでしまう。
その美しい女は驚き顔でグレアムを視認すると、背中に六枚の透明な羽を顕現させた。
(妖精の羽? まさか、ティ――っ!?)
一瞬の間にグレアムの目の前に来た女は、グレアムの顎に掌打を放つ。
その一連の動作をグレアムの目はすべて捉えていたが驚きで動けずまともに食らってしまう。
「ぐっ!」
仰向けに倒れたグレアムの胸を女が裸足で踏みつけた。
「随分と、堂々とした覗きね」
水を滴らせながら傲然と見下ろしてくる。
「ご、誤解だ、です」
「……一応、言い分は聞いてあげるわ」
「も、森で剣の稽古をしていると、変な生き物に襲われて」
グレアムは一瞬、肉球になりかけのリザードマンに襲われたことを話すべきか迷ったが、今度は彼女が襲われるかもしれない。注意を促すために正直に話すことにする。ただ、リザードマンを追ったことについては誤魔化すことにした。
「それで、命からがら逃げだしてきたところに水の音を聞いて、喉を潤そうと思って近づいただけです。覗くつもりはありませんでした。ごめんなさい」
グレアムの言葉に思案気な顔つきの女性。オルトメイアに魔物はいない。"変な生き物"と言われても俄かには信じがたいのだろう。
ところが、女性が考えこんでいたのは別のことのようだった。
「……あなた、どこかで会った?」
「気のせいかと」
今のグレアムは眼鏡姿だ。最後に会ってから声変わりもして髪も身長も伸びている。
「……そう」
何かを思い出そうとしているのか首を傾げる女。腰まで伸びたサファイア色の長い髪が女の大事な所々を隠しているが、凝視するわけにもいかず目を逸らす。
ところがサファイア髪の女は何を考えているのか、グレアムの腹に腰を落として顔を近づけてきた。
「ちょっ!」
困惑するグレアム。
「動かないで」
ピンクの艶ある唇が目の前に迫る。女性はグレアムの眼鏡を取ろうと手を伸ばしてきて――
「おねえちゃん。どうしたの?」
幼い声が泉から届けられた。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと待っててね」
グレアムが泉に目を向けると、水面から首だけ出した小さな少女がいた。
(あれ、この子?)
見覚えがある。昨日、このミッターナハトキャンパスに転移直後に入った大きな部屋。そこで、オルトメイア学生自治会役員であるロナルド・レームブルックの質の悪い冗談を聞かされた後に、この国の王太子アルベール・デュカス・オクタヴィオと共に登場した双子だった気がする。
だが、あの双子の髪の色は確かブラウンと緑だった。泉の少女のようなピンク色ではなかったように思う。もしかして三つ子だろうか。
少女のことをサファイア髪の女に訊こうとするするが、その前に問われた。
「あなた、名前は?」
「……レビイ・ゲベル。シユエ公国からの留学生です」
「そう、シユエからの。……レビイ、今日のカリキュラムが終わったら私の部屋に来なさい」
「はぁ、……は?」
「いい。絶対よ」
サファイア髪の女がグレアムから離れていく。
「は、はい」
そう返事をしつつもグレアムは訪れる気はなかった。後日、再会して詰問されたら、どこのどなたかわかりませんでしたと言い訳するつもりだった。
「そういえば、まだ名乗ってなかったわね」
そんなグレアムの不届きな考えを見抜いたのかサファイア髪の女が名乗る。
「私はティーセ・ジルフ・オクタヴィオ。アルジニア王国からの留学生。現国王の妹よ」