42 アランとトマと
聖都オルフェーリアの予備校――オルトメイア魔導学院に入学予定の者が必要な知識と作法を学ぶために国費で設立された教育機関である。
さて、その一つ、南の予備校に併設された寄宿舎の一室で黒髪黒瞳の端正な顔立ちの若者が一人ベッドに腰掛け、手鏡を覗いて何事かを呟いていた。
「俺はアラン。ドヌブ村出身の15歳。困った人がいると見過ごせない性格で何事に対してもすぐに首を突っ込む。最近のお気に入りは貴族令嬢が男装して騎士学校に入学する大衆小説。親しい友人はこの予備校で知り合ったトマ――」
「うぉーい。アラン~。早くいこうぜ~」
「……」
扉の向こうから件の友人トマが呼びかける。
アランは一つ溜め息を吐くと、立ち上がって鞄を手に持った。
「ああ、今いくよ」
季節は春。新年度初日。アランとトマがオルトメイア魔導学院に入学する。
◇
「一年か。長いようで短かったな」
金短髪のトマが宿舎を見上げ感慨深げに呟いた。
予備校の宿舎に世話になるのは今日で最後。今夜からオルトメイア魔導学院の敷地内にある寄宿舎に寝泊りする。
トマはこの寄宿舎に思い出が多くできたようで、出ていかなければならないことを知ってひどく残念がっていた。
一方のアランは冷淡だった。
「そうか?」
「そうだよ! お前は三ヶ月しかいなかったから何も感じないのかもしれんが! まったく! 一番最後に入学してきたくせに、あっさり追い抜きやがって!」
トマはこう見えてこの予備校での首席だったがアランの入学によって、その地位から陥落することになった。
「お前、本当に平民かよ? どっかの貴族様の落とし胤ってことはないよな?」
「前にも言ったろ? 実家は馬鈴薯農家だよ。両親は由緒正しい百姓さ。トマこそ実は……ってことは?」
この予備校には下級とはいえ貴族や商家の子弟も通っていた。その中には幼少より家庭教師がついて教育を受けている者もいる。そんな彼らを差し置いてトマはトップを取り続けていたのだ。
「うちもしがない町民だよ。ガキの頃からさんざんバカにされたからな」
トマのスキルは【あおり耐性】――他者からあおられても感情的にならないという能力である。
いわゆるクズスキル、ハズレスキルと呼ばれるものだ。こういう役に立ちそうにないスキル持ちは他者からバカにされる運命にある。
「【あおり耐性】が魔術系スキルだと判明してからは多少はマシになったけどよ。それも予備校に入っちまったら元に戻っちまった」
予備校には魔術スキル、もしくは魔術系スキル持ちばかりーーというかそれらのスキルを持っていないと入学を許されない。
魔術を習得できるという条件が同じでは、やはりスキルの優劣を見比べられる。
「だったら、せめて勉強でバカにされない成績を取ろうと思ったんだよ」
スキルの効能で感情的にならないといってもバカにされ何とも思わないわけではないのだろう。トマは負の感情を努力というプラスのエネルギーに転化させた将来有望な若者だった。
ちなみにアランとトマが仲良くなった切っ掛けはアランがトマのスキルを聞いてもバカにしなかったからである。
「立派だよ。トマは」
「……そういうところなんだよな」
「何がだ?」
「何でもねぇよ! それより俺が貸した小説どうだった!?」
「ああ、面白かったよ。まさか主人公が男装した令嬢だったなんて。すっかり騙された」
「だよなぁ」
トマが腕を組んで感慨深く頷く。その話題を続けようとしたところで、鐘の音が聞こえてきた。
「あ! やっべ! のんびりしすぎた! 式に間に合わねぇ!」
そう言ってトマが走り出す。
「待ってくれ、トマ! ――あっ!」
トマを追って走り出そうとしたところでアランは曲がり角で誰かとぶつかった。もつれあうように一緒に石畳の上に倒れこむ。
(あっ!)
その過程でお互いの顔が触れそうな距離に接近する。アランはその誰かの分厚い眼鏡の奥に隠された青色の瞳を見て――
(綺麗だ)
そう思った。
「おいアラン、大丈夫か? あんたも――」
アランと一緒に倒れこんだ人物を見て、トマは息を飲んだ。
赤い肩掛けローブはオルトメイア魔導学院一期生の証だ。アランとトマも同じローブを身に着けている。だが、その人物のローブには一筋の銀糸が誂えられている。それは貴族の証。
アランは貴族の子弟にぶつかってしまったのだ。
「も、申し訳ありません!」
トマはアランの頭を地面に抑えながら予備校で学んだ言葉で必死に謝罪する。オルトメイアの学院生でも階級差は健在だ。平民が貴族に怪我をさせれば殺されてもおかしくない。
「いや、こちらも不注意だった。不問にするから顔をあげてくれ」
「はあ」
そう言ってトマは恐る恐るといった様子で顔を上げた。目の前にはトマと同じ年頃の男子。その容姿はおおよそ貴族らしくない。
いつ切ったかもわからない長い髪に、サイズのあっていないダブダブの制服。さらに大きな眼鏡が顔の半分を隠していた。
「そんなかしこまられるほど、たいそうな家柄でもないんだ。それにほら」
少年の指が上を指し示す。
三人の現在地はオルトメイア魔導学院の正門前。その門のアーチに言葉が刻み付けられていた。
"この門をくぐる者、等しく価値なし"
"ただ神と己のみが汝の価値を定める"
「学院生に身分差はないって意味じゃないかな。だから、少なくとも僕たちの間では貴族とか平民とか意識せずに仲良くなってくれると嬉しいな」
「とか言いながら無礼打ちとか」
「しないしない」
貴族の少年は笑いながら手を振って否定する。その気安い様子にトマも気を許したようで――
「トマ・アライソンだ。こっちの黒いのがアラン・ドヌブ」
「よ、よろしく」
トマとアランが差し出した手を握り――
「レビイ・ゲベル」
貴族の少年はそう名乗った。