41 とある村民一家の苦悩
聖都オルフェーリアの北から数十キロメイル離れた場所にその村――ドヌブはあった。
村の主要産業は畑作と酪農。主要作物の馬鈴薯が収穫期に入る頃のことである。
今年の馬鈴薯はやや豊作。村民達の顔も自然と綻ぶ。そんな中、暗い顔をする一組の夫婦の姿があった。
「もう泣くなよ」
手巾でしきりに目元を拭う妻に夫が言う。
「覚悟はしていただろう? あの子が魔術スキルなんか持って生まれたときから」
夫婦には三人の子供がいた。そのうちの一人――彼らの長男アランが【雷魔術】を持っている。
魔術を使えるスキル持ちは希少である。平民であれば国によってその扱いに差異はあれど、しかるべき教育を受けた後に上に召し抱えられるのが通例だ。
この聖国では十五の歳に聖都にあるオルトメイア魔導学院に入学を義務付けられている。
そしてアランはこの冬、十五になる。入学の春まで半年近くあるが、それほど余裕があるわけではない。むしろ、明日にでもアランは旅立ったほうがよいぐらいだ。雪が降ればこの地方は陸の孤島となって閉じ込められる。だが、それ以上に夫が気にしているのは予備校の存在だ。
大抵の平民は無学だ。そこでオルトメイア入学前に予備校で必要最低限の知識と礼儀作法を学ぶことが推奨されている。もちろん、入学料と授業料は無料だ。寮で過ごす限り、生活に困ることもない。
つまり貧しい平民でも経済的な負担なく貴重な読み書き計算の知識を得られる。さらに貴族や商家の子弟も予備校に通うこともあるのでコネを作るのにも適していた。
「早く送ればそれだけ機会が多くなる。アランの立身出世だって夢じゃない」
そこには純粋に子供の栄達を願う父親の姿があった。
「バカ言わないで! あんな人食い学校に、大切な子供を送るなんて!」
「お、おいっ!?」
オルトメイアの批判はまずい。深夜の家の中とはいえ、どこに耳があるかわかったものではない。
だが、妻の言い分もわかる。なぜなら、過去ドヌブ村から送り出した魔術スキル持ちは九人。村に戻った者は皆無だったからだ。
あるいは戦争で、あるいは事故で、あるいは犯罪を犯して……。
理由は様々であり、それが事実かもわからない。
だが、オルトメイアに送り出せば生きては戻れぬ――否、遺体どころか遺髪すら戻らないことは事実であった。
父親も本音を言えば学院に子供を送りたくない。だが、送り出さないという選択肢もない。
「……アランを送り出すことで聖結界を広げてもらえることになった。村長は安全な耕作地が増えると喜んでいたよ」
「うっ!」
魔物が蔓延るこの世界で安全に農作業ができることの有難さは夫婦が誰よりも知っている。夫婦の両親は魔物に殺された。同じ境遇にあったことから惹かれあい、幸せな家庭を築こうと聖教の神マーニに誓いあった。
もし、アランを送り出さなければ村八分にあう。そうなれば自分達家族は村で生きていけない。母親もそれがわかっているから嘆くしかなかった。
父親も「はぁ」と重く深い息を吐く。いっそのこと、村を出ていこうか。だが、どこへ行こうというのか。
コンコン
嘆き悩む夫婦の家に、何者かのノックの音が響く。
「「?」」
夫婦は互いに顔を見合わせた。こんな夜中に来客の予定などない。
「どなたですか?」
父親の誰何に来訪者は名乗った。それは収穫物目当てに村にやってきた行商人の名前だった。
「なにやらお困りのようでしたので、お力になれるかと思い」
「帰ってくれ」
胡散臭い。父親はそう思い、追い返そうとする。
この行商人がこちらの事情を知っていることは不思議に思わない。田舎では他人の家の家庭事情など娯楽の一種で、村民達は夫婦に同情しながらも、世間話の一つとしてアラン一家のことを口にしていたからだ。
「話だけでもお聞きになりませんか? ご子息を助けられるかもしれませんよ」
"助けられる"
その言葉に父親の心が揺らぐ。
「あなた」
母親は一縷の希望を見出したようだった。話だけでも聞いてみたいと訴える。
それで扉を開ける覚悟を決めた。
「ありがとうございます。なに、決して損になるお話ではありませんよ」
薬裡衆の工作員としてドヌブに送り込まれたその男は笑みをたたえて、そう言った。