40 聖都オルフェーリア
聖国の首都オルフェーリア
九十万の人口を抱える人類大陸第三位の巨大都市である。
オルフェーリアには"聖都"もしくは"魔導都市"の別名を持ち、特にその夜景の美しさで知られている。
『オルフェーリアの夜景を見てから死ね』とは、とある著名な学者が遺した言葉である。
さて、魔導灯の灯りが照らされた聖都をローブを頭まで包んだ恰幅のよい男が足早に歩を進めていた。
男の名はベイセル=アクセルソン。王国の元将軍であり現在はグレアムの外交大使である。
ベイセルは表通りと裏通りをあちこちに何度も曲がり、最後に大きく迂回してからようやく下町のとある食堂に入った。
足を止めずカウンターに向かう。そこで、酒を飲んでいたいかにも仕事あがりといった職人風の男がケホッと一つ咳をしてから酒を一息に煽った。
"尾行なし"
職人男の所作はそうベイセルに告げるものであった。
それを見て安堵したベイセルは予定通りそのまま食堂の裏口から出ると"赤猫"という宿屋に向かう。
「いらっしゃいませ~」
"赤猫"の元気な看板娘がベイセルを迎えた。
「リックという者が宿泊しているはずだが」
「はぁい。仰せつかってまぁす。二階の一番奥の部屋になりまぁす」
ベイセルは速足でその部屋に向かう。魔道具による暗号通信が届いたのは陽が落ちてからすぐのことだ。その内容に驚いたベイセルは至福の夕食を中断し、一目散にやってきた。
そうして部屋の扉の前に立つと一度、深呼吸してからゆっくりと扉を叩く。
トントン トン トントントン
「入れ」
季節は冬。しかも人類大陸の北に位置するオルフェーリアである。冷気が肌を刺し吐く息は白い。だが、それでもベイセルの汗は止まらなかった。
グレアム・バーミリンガー。ベイセルの主が目の前に立っていたからだ。
(……まさか本当にこられるとは)
「よくきてくれた」
「も、申し訳ありません!」
ベイセルはその場で膝をついた。
「残念ながらいまだ進展はみられず――」
ベイセルは聖国との外交に何の進展もないことについて、グレアムが叱責にきたと思っていた。
「謝罪はいい。おまえができないなら他の誰にもできないさ。それよりも所感を教えてくれ」
「は、はぁ」
自分を叱責にきたのではないと分かり安堵する一方で、"所感"と言われ戸惑うベイセル。
聖国との外交については常時報告している。つまり報告できないことを聞きたいのだろう。
(とはいえ、どう述べたものか)
悩んだベイセルは結局、正直に語ることにした。
「わけがわかりませぬ」
「……」
「いまさら言うまでもなく"戦争"とは外交の一種、しかも最後に近い手段です。ところが連中は"要求"も"交渉"もなく、いきなり戦争を始めようとしている。まるで戦争すること自体が目的かのように。まったく、"戦争帝"リチャードでもあるまいに」
現在、聖国はこちらとの国境近くに軍備を増強している。国境に兵を集めることは隣国を刺激することは常識だ。
そのことをベイセルが問い詰めたところ、聖国の担当者は驚いた顔を見せたが、すぐに悪びれもせず「それが何か」と答えた。
それで半信半疑だったベイセルも確信する。聖国はジャンジャックホウルに戦争を仕掛けるつもりなのだと。
「きっとこれからは大っぴらに軍備の増強を行うでしょうな。これならいっそのこと聖国が戦争準備をしていることに気づいていないふりをしたほうがよかったですかな」
「こちらも国境の軍備を固める必要がある。その時にどうせ気づかれるんだ。スライム殺しの聖結界にこちらが気づいていることは気づかれていないな」
「はい。それは間違いないかと。連中の態度から戦争が始まればこちらを瞬く間に蹂躙できる――そんな傲慢さが見えました」
ジャンジャックホウル勢の軍備は魔銃に代表されるようにスライムに依存している。聖結界でスライムを全滅させ、こちらがまともに反撃できないところを一気呵成に侵略する――そんな作戦が透けて見えた。
「奇襲のために要求も交渉もしない。それなら話は分かる。だが、それが露見した後も、それらがないというのも確かにおかしな話だな」
虚飾まみれであっても侵略の大義名分のため、何らかの"表明"があってもおかしくない。例えば"グレアムは魔銃をばら撒いて人類大陸に混乱をもたらしている"とか。
それすら無いのならば、聖国が戦争そのものを目的にしているというベイセルの言葉も頷ける。だが何のために。よしんば侵攻に成功しても王国と揉めることは確実だ。
(あるいは根回しをしているのか。だが帝国はとうするつもりだ? 永遠に内戦が続くわけではないぞ)
「帝国で内戦が始まればすぐに攻め込んできましょう」
(ん?)
グレアムはそう言われて違和感を感じた。
帝国の内戦を待つ――それは聖国が帝国を恐れている証左であろう。
(その反面、上級竜は恐れていないように感じる)
聖国とジャンジャックホウルの東には"スカイウォーカー"がいる。間に山脈があるとはいえ上級竜には何の障害にもならない。であるのに聖国は上級竜を警戒していない。少なくとも帝国に向けるほどの警戒心を抱いていないように感じるのだ。まさかドラゴン相手に根回しできるとも思えない。
(……聖結界はドラゴンにも効果があるのか?)
そんな話は聞いたこともない。仮にそうであったなら"ロードビルダー"で使用しなかった理由がない。イリアリノスには聖国も騎士団を派遣していた。そして、奮戦むなしく全滅したという。
(……結局、聖国の中枢に飛び込むしかない)
「ベイセル。おまえは大使館を閉鎖してジャンジャックホウルに戻れ」
「聖国との外交を諦めるので!?」
「いや、アプローチの方法を変える。正攻法ではこれ以上は無理だと判断する」
「それは……、いえ、承知しました」
ベイセルは一瞬、悔しそうな顔を見せるがグレアムの言う通りだと思い従うことにした。聖国の意図――それさえもベイセルは掴むことができなかったのだ。
「今後は王国との外交に専念しろ」
「はい。……ちなみに、新たなアプローチ方法についてお聞きしても?」
「俺と情報部がやる」
「……なるほど」
ベイセルはその言葉を正しく理解した。
ただ、グレアムの本音としてはそのアプローチに誰も巻き込みたくなかった。レナ捜索という個人的な事情があるからだ。グレアムは二兎追うことの愚かさを知っているつもりだった。同時に自分の無能と無力を。
単身ではきっと何事も成し遂げられない。
グレアムは自分の掌をジッと見て(すまない)と心の中で詫びた。
「情報部はともかく、御身が聖国に赴くことを宰相殿がよく了承しましたな」
「……」
「……え?」
もちろん何も言ってない。反対されることが目に見えていたからだ。仮想敵国のど真ん中にいるグレアムを連れ戻そうとすることはないだろうという計算もあった。そんなことをすればグレアムが聖国にいると知らせるようなものだからだ。
「ジャンジャックホウルに戻ったらフォロー頼む。あ、それとウルリーカにも。魔道具をいくつか無断で持ち出した」
今頃、ウルリーカは怒ってるかもしれない。
「それは……聖国以上に手強い仕事になりそうですな」
「俺も無責任だと思ってる。これを理由に見捨てられても仕方ないと思ってる」
「まさか。見捨てられたと思うのは我らのほうですよ」
「そうか?」
「少なくともクサモであの"ロードビルダー"を見た者は。ドラゴンの脅威を真に理解していなかった。まさか上級竜があれほど恐ろしいものだったとは。あの時、私は"死んだ"と確信しましたよ」
聖女マデリーネによって"世界線移動"を封じられた"ロードビルダー"が最後に使ったのが<復活>だ。この"奇蹟"は使用者の"全盛期"の姿を復元する。
「皆が恐怖と絶望に打ち震える中、マイロード、あなただけが動いた。
まさに竜殺しの勇者。
その背を見て、あなたに忠誠を誓った者も多い。
きっと宰相殿もその一人。
もちろん私もね」
褒めすぎだろとグレアムは思った。
実際、あの時、グレアムも恐怖に震えていた。"ロードビルダー"には初見の相手を委縮させる権能があるのか、それとも被捕食者であった遠い祖先の記憶によるものか。それでも動けたのはヤマト達がかけてくれた<精神異常回復>のおかげだ。簡易鎮静剤ともいえる<精神異常回復>のおかげで<偽装隕石召喚>を使えた。
しかし、<偽装隕石召喚>のアダマンタイト製巨大弾丸は弾き返される寸前だった。"ロードビルダー"を倒したのはミリーの狙撃であったのが真実だ。竜殺しの勇者の称号はミリーにこそ相応しいとグレアムは思っている。
「今更、聖国ごときが御身をどうこうできると思ってはおりませんが――」
それも過大評価だ。この聖国では大規模魔術の力押しはできない。だが、グレアムは余計なことを言うのは控えた。わざわざ部下を不安にさせることもない。
「聖国との戦争が始まる前に、我らのもとに戻っていただけるとお約束いただけますかな?」
もちろんそのつもりだった。たとえ成果がなくても戻るつもりだった。だからグレアムはその約束を快諾する。
「わかった。約束しよう」
しかし――
◇◇◇
それから数ヶ月後、予測通り帝国で内戦が始まり、それに合わせて聖国もジャンジャックホウルに向けて侵攻を開始する。
だが、その時になってもグレアムは帰還せず、ベイセルとの約束が果たされることはなかった。