39 巡礼者ミリー2
"<パラライズ・クラウド>"
バン!
グレアムの魔術の発動と、ミリーが天井の板を蹴破ったのはほぼ同時であった。
ミリーは天井裏の梁を猛スピードで走る。魔術探知の可能性を恐れ森の中に埋めてあるマジックバッグであるが、荷物の一部は天井裏に隠してある。それは各種ポーションにいくつかの魔道具。ミリーの目的は状態異常無効化の魔道具だ。
天井板の隙間から黄色の靄が立ち昇ってくる。魔術の靄は肌に触れるだけで効果を発揮するものもある。グレアムは膨大な魔力と演算で抵抗できないほどの強効果を魔術に乗せるので触れれば終わりだ。
「ぐっ!」
ミリーの視界が一瞬で黄色に染まる。靄の広がりはミリーの想定以上だった。
(どれだけの……魔力を込めてるんですか!)
ミリーの体が固まり一ミリも動かせなくなる。
だが、間に合った。柱に紐で括り付けた指輪にミリーの中指が触れている。
しばらく待って魔術の靄が消失してから、ミリーは指輪の裏に刻まれていた呪文を脳裏に浮かべた。
バシュ!
ミリーは手を握り開く動作を数度繰り返し、完全に麻痺が解けていること確認すると息を吐いた。
「ふう」
危うかった。自分はまだ捕まるわけにはいかない。
安堵の吐息を吐くとミリーは指輪に括り付けていた柱に耳をあてた。
「……」
地下から子供達の声と吐息と聞こえてくる。リックは食堂に子供達を集めた後、地下の食糧庫に避難したのだろう。<パラライズ・クラウド>の靄は地下にまで及んでいないようで麻痺はしていないようだ。大きな怪我をしている子供もいないと思うが、念のためポーションを持って天井裏から降りた。
バシュ!
麻痺して動けなくなっている子供達を状態異常無効化の魔道具で解放すると、ヒーリング・ポーションを持たせて食糧庫に行くように促す。
「エミリーお姉ちゃんは?」
「私は攫われた子供を捜してきます」
床に転がる押し入ってきた大人達を見て、少年は不安そうにしていたがミリーの言葉にコクリと頷いて食堂のほうに走っていった。
ミリーは敵の魔銃を取り上げると、念のために一人一人の頭に<炎弾>を撃ち込もうとする。
"タタッ"
だが、動く者がいなくなったムルマンスクの街。そこに響いた聞き覚えのある足音がミリーの手を止めた。
(……ナッシュ)
既にグレアムは孤児院の近くにいない。おそらく<パラライズ・クラウド>の効果は数時間持続するようになっているのだろう。そうでなければ孤児院を襲った連中を放置しない。
ならばとミリーも孤児院に押し入ってきた男達を無視して外に出る。幸い攫われた子供達はすぐに見つけられた。先ほどと同じように子供達を解放すると食堂に行くように促す。
それからミリーは足音を追った。ナッシュは朝、彼を見つけた場所に向かっているようだった。
ナッシュにはすぐに追いついた。行きすがら動けない街の人から金目のもの盗んでいたからだ。
"タッタッ"
一通り物色して満足したのか、再びナッシュは走り出す。
ミリーに背を向けている。足音からそのことを確信したミリーは目視することにした。
(やはり……)
半ば予想していたが、ナッシュはまたミリーの視線に気づいた。
ナッシュはその場で立ち止まり周囲を伺う様子が音からわかる。やがて、ナッシュは行き先を変えると人気のない家屋に入っていった。
(……)
屋内の様子を聞き取るに、ナッシュは夜までそこに身を隠すつもりのようだ。
そこで、ミリーは孤児院に戻ることにした。目を離した隙に消えていたとしても足跡から追える。足音を捉えれば、もはや逃すことはない。だから――
(今夜、ナッシュを仕留める)
それは覚悟でも決意でもなく、ただの事実確認であった。
◇
そして、昼間の事実確認の通り、ミリーの前にナッシュの遺体が転がっていた。
"くそったれ。地獄に落ちろ"
ナッシュの捨て台詞。
(ええ。もちろん。私もまたグレアムを裏切った。この身は未来永劫、地獄の業火で焼かれることでしょう。地獄での再会を楽しみにしていますよ)
ミリーは旅用のローブに身を包んでいた。腰につけるポーチ型のマジックバッグも掘り出して身に着けてある。既にリックとタイッサには別れを告げている。このままムルマンスクを去るつもりだった。
(次の目的地は――)
"それなら是が非でも助けなきゃいけませんね"
昼間、盗み聞きしたグレアムの言葉だ。彼はきっと聖国に行く。
レナ・ハワードを助けるために。
(ならば私の行き先は――っ!?)
暗い森の中、ミリーの視線の先にいつの間にか一人の老人が立っていた。
「……ああ、ドッガーさん。いえ、ドレガランス中尉」
ドレガランスの姿は透けており眉間には<炎弾>によって穿たれた穴が開いていた。
ミリーは驚いたが、少しの恐れもなく答えた。
「待ちきれず迎えにきたのですか?」
もちろんその相手はナッシュではなく、ドレガランスを殺した自分――ミリーはそう思った。
だが、ドレガランスは無表情で北に視線を向ける。その先にはアレスク山。
それでミリーは思い出した。
昔、小人族の占い師に言われたことを。
『おまえはあの山より北にいってはいけないよ。そこがおまえの終焉の地になる』
「……わざわざ警告にきてくれたのですか、中尉?」
ところが、既にドレガランスの姿は消え失せていた。
「……」
もしかするとミリーの無意識の危機感が生み出した幻だったのかもしれない。
既にミリーは彼の地に赴けば、生きては戻れぬと予感していた。
それでもミリーが思い留まる理由にはならない。
"巡礼者"が"殉教者"になるだけの話だったから。