36 急転直下
ノンド・ダルス。今は亡きリンド老の曾孫にして薬裡衆の頭領である。ジャンジャックホウルでの表の顔は情報部部長にして階級は大佐。
その彼に誘われグレアムはアルビニオンの地下に訪れた。食料や飲料、貴重品、武器、防具、薬品などを保存するための貯蔵室。罪人や捕虜を収監するための監獄。生活排水や雨水を流すための水路とその処理施設などなど。
そんな地下に情報部が管理する秘密の一角が存在する。地下通路の壁に隠された秘密の扉をくぐり、さらに下って歩くこと数十分。
その目的地の部屋は奥に広い長方形の部屋だった。
「お見せしたいものはあちらです」
長辺の片方の壁にガラスが嵌められて隣室が覗けるようになっている。その部屋には白衣を着た薬裡衆が数人。彼らの中心には大きな台が置かれており、その上には――
「っ!? ……なんだあれは?」
例えるなら人の顔が埋め込まれた巨大なミートボール。直径二メイルほどの肉の塊は赤い繊維が剥きだしになっており首から下がまるで風船のように膨れ上がったかのようだ。
思わず目を背けたくなる醜悪さだった。だが、それはできない。グレアムはその顔に見覚えがあった。
「彼はオルトメイアに潜入していた諜報員です」
レナ・ハワードの捜索と救出のために聖国に派遣していた薬裡衆の手練れ。
「……生きているのか?」
まぶたは閉じているが、まるで餌をねだる鯉のように口を開閉していた。
「呼吸はしていますが、意識はありません」
こちらかの呼びかけにまったく答える様子がないという。
「<怪我治療や<毒消し>、<精神異常回復>、<病治癒>に<呪消し>、<再生>。治癒魔術はすべて試しましたが効果はありません。神官による"神霊術"も同様です」
「……俺がやってみよう」
ジャンジャックホウルには"神霊術"を使う神官や治癒魔術を得意とする魔術師が多く集まっている。前者は聖女マデリーネのおかげで、後者は経済の発達に伴う人の流入によって。だが、スライムネットワークシステムを活用したグレアムの治癒魔術に匹敵する回復術士は存在しない。
「…………」
ノンドは一瞬、グレアムを止める素振りを見せたが結局、何も言わずに隣室に続く扉にグレアムを案内した。
「ぁぁぁぅぁ」
肉球にめり込んだ喉の奥から苦し気な呻き声が漏れ聞こえる。レナ・ハワードの救出というグレアムの個人的な事情のために、このような目にあわせて申し訳ないと思う。
グレアムはスライムネットワークシステムを活性化させる。まずは最大級の<呪消し>を試そうとした。ところが――
「!? お屋形様!」
突如、肉球から無数に棘が生える。
「ぐっ!」
「ぎゃあ!」
鋼鉄よりも硬い棘は一瞬で数メイルにも伸び、その線上にいた白衣の薬裡衆を串刺しにした。
もちろん、棘はグレアムとノンドにも伸びたが、ノンドが油断なく準備していた<魔壁>の魔道具によって阻まれる。
「落とせ!」
ノンドの命令と同時に床の一部が開き、肉球が安置されていた台ごと下に落ちる。
ゴウッ!
すかさず数千度の炎が肉球を燃やし尽くした。
「一定量の魔力に反応して発動する罠でしょう」
「……俺を狙ったものか」
苦虫を噛み潰したような顔をするグレアム。棘に串刺しにされた薬裡衆にグレアムは広域ヒーリングをかけたが即死した者には効果がない。二人の犠牲者が出ていた。
「くそっ!」
ガン!
拳を壁に叩きつける。
「申し訳ありません。爆発を示す魔力反応がなかったため油断しておりました」
「いや、油断していたのは俺のほうだ。魔術を発動させる前に彼らを下がらせるべきだった」
頭と心臓を貫かれ床に転がる遺体を見てグレアムは悔やむ。
「遺族には十分な補償を。オルトメイアに潜入した彼の家族にもな」
「はい」
(しかし、どうする? また諜報員を送ったとしても二の舞になる公算が大きい)
レナ救出のための次の策を考え始めたグレアムに「もう一つ、お伝えしたいことが」とノンド。
ノンドが取り出したのは白い布に包まれた細長い何かだった。
「喉の奥に詰め込まれていたものです」
「……指?」
「おそらくは女性のものかと」
白く細いそれは諜報員のものではない。では誰の――
ガァン!
グレアムは自分の額を壁に叩きつけた。
(決まってる! レナさんのものだ!)
グレアムは前世の誘拐事件を想起した。誘拐事件のいくつかの例において、犯人が被害者の指を送り付ける行為があった。要求に従わない場合、被害者の身体にさらに深刻なダメージを負わせる。最終的にはその命で。そう被害者の家族に警告するために。
"充分待った。早くオルトメイアにきなさい"
そんなふうに警告する魔女ケルスティン=アッテルベリの幻聴が聞こえた気がした。
(限界だ!)
"一刻も早くレナの元に駆け付けたい"
それがグレアムの嘘偽らざる激情である。必死の理性でその激情を押し留めたのは、蟻喰いの戦団オーナーとしての責任だった。だが――
(負けたよケルスティン! 我慢の限界だ! どこへなりとも行ってやるさ、望みどおりにな! だが俺を呼びつけた代償は安くないぞ! 必ず支払ってもらうからな!)
額から血を流しながら心の中で宣言する。
そんなグレアムの様子をノンドはどこか冷めた目で見ていた。
◇◇◇
それはリンド老が自決する前のことである。
「ノンド」
「はい」
リンド老に応える声は高い。彼の前に座る人物は褐色の肌を持つ妙齢の美女であった。
この女の姿もまたノンドである。
リンド老は自分の後継者となるノンドに、グレアムという人間についてどう見ているか問う。
ノンドの答えはシンプルだった。
「受け身で流されタイプ」
リンド老は否定も肯定もせず目線で続きを促した。
「お屋形様はブロランカ島に流された後、そこでの待遇に不満を覚え蟻喰いの戦団と呼ばれる王国への武装反抗集団を設立しました。二年の雌伏ののち島を脱出。さらにジョセフ王を殺害するという"離れ業"をやってのけます」
「うむ。ジョセフはワシらの宿敵"暗部"に守られていた。当時の奴らの力を考えればワシらでもジョセフの暗殺は不可能であったろう。"離れ業"とは言い得て妙よな」
「いくつかの幸運に助けられた面もありましょうが……。その後、お屋形様と戦団は聖国への脱出を目指し北上。最終的にはイリアリノス連合王国へと逃れそこで勢力を拡大する予定であったと。追撃する王国航空部隊とベイセルの軍を撃破し、いざ脱出の段にいたり――」
「しかし、ここで大きく予定が狂い越冬を王国で行うことになった。アムシャール村の住人を受け入れたことで山脈越えができなくなったからだ」
「はい。その結果、大貴族のアリオン=ヘイデンスタムと戦うことになり、その迎撃準備のためにクサモに留まることになった。これはまさに悪手といえます。一所に留まることで<白>による爆撃を受けやすくなってしまった。お屋形様はリーの【危機感知】と<魔術消去>で防げると考えているのでしょうが、徒にリスクを抱えただけのように思えます。お屋形様はアムシャール村の住人を受け入れるべきではなかった」
「……」
「計画の変更はよくあることです。ですが、これらの変更は"状況に流された"だけのように見える。臨機応変といえば聞こえはいいが、要は主体性がないだけです。だから情にほだされて計画を変えてしまった。ブロランカの場合はヒューストームが主導で計画を進めていたふしがあります。お屋形様はリーダーに見えて、その実、参謀役だったのではないかと。その証拠に単独での王城潜入という危険な行為を行っています」
「真のリーダーであるヒューストームが健在であれば、戦団として大きな問題ではないからか」
「はい。戦団の迷走も、ヒューストームが意識不明となり具体的な目標を示せる人間がいなくなったためではないかと」
「ふむ」
リンド老が自分の顎髭を撫でる。曾孫の考察はリンド老とほぼ同じである。それを嬉しく思う反面、少し残念に思う。わずかに考察が足りていない。
「お屋形様が受け身で流されタイプというのは事実であろう。だが、真実ではないかもしれん」
「どういうことでしょうか?」
ムルマンクスの孤児院にいたグレアムは孤児院を救うためデアンソと護衛の傭兵十二人を殺害している。誰に命じられたわけでもなく。それはつまり、場合によってはグレアムは主体的に動くことができるということだ。
「お屋形様は望んで"状況に流されている"ように見える。"団長"、"参謀"、"暗殺者"、"為政者"。他者から求められた役割を進んで負い、それを自らを縛る鎖としているのではないかとな」
「……」
「納得がいかんか」
「いえ」
「まあよい。
肝要なのはお屋形様のその姿勢は我らにとっても都合がよいということだ。
どんな役割に縛られようとも傑物であることにはかわりないからな。
王としての役割を与えられれば賢王として歴史に名を残そう。
ドラゴンスレイの勇者と求められれば竜をことごとく滅ぼす英雄となろう。
ヒューストームがそれを証明した。
あの大賢者はお屋形様のマグマのごとき激情に"ジョセフ抹殺"という形と方向性を与え見事に制御してみせた。
我らが目指すべき位置はそこにあると思え」
"グレアムのコントロール"
"従"が"主"を制御する
敬愛する曾祖父から最後に与えられた命題であった。
結局、ノンドの懸念はすべて杞憂で終わる。王国の仕掛けた<白>四基はすべてグレアムが手に入れ、クサモで入念な準備をしたから"ロードビルダー"を撃破できたともいえる。予定通りイリアリノスに進んでいれば無防備で"ロードビルダー"と対峙することになっていた。だが――
(あなたが命を捧げるほどの価値があったのですか?)
リンド老は自らの死をもってグレアムを制御する手本を示した。アイク=レイナルド殺害の咎を一身に引き受けアリーシャを救う。そうすることでグレアムに対して薬裡衆の立場を保障したのだ。
(ただ運が良かっただけなのではないか?)
本当にダルス一族の命運をグレアムに託してよいのか。
ノンドにはわからない。
それを見極めるためにも、ノンドは部下が醜い肉球になって戻ってきた時に、ある事実を指摘せずにいた。
そうすることで"役割"という鎖から解き放たれたグレアムをみることになるだろう。
("主"を制御するには、縛られた状態ではない素のお屋形様を知ることが肝要なのです)
誰にともなくノンドはそう言い訳をした。