31 イリアス王国の王子
大神殿を抜けてようやくウルリーカの工房に辿り着く。だが、その扉の前でウルリーカの弟子の少女達が工房内を覗き込んでいた。
「なにしてるんだ?」
「あ、グレアム兄ちゃん!」
工房用作業服の中に一人だけメイド服の少女がいる。グレアムと同じ孤児院で育ち、現在はウルリーカの侍女となっているジェニファーだ。
「もおっ! 遅いよ!」
「悪い。ウルリーカはいるか?」
ジェニファーは困り顔で工房内に視線を向ける。
ドアが開いたままの中を覗くと男女のカップル。
若い男がウルリーカの腰に手を回し何事かを話していた。
(……)
最近、どこかで見た光景だと思いつつ、グレアムは二人の間に割り込むことにした。ウルリーカは明らかに嫌がっているように見えたからだ。
コンコン
「失礼」
そう声をかけるとウルリーカの顔に安堵と喜びの笑みが広がる。
一方、男の方は夢と違い逃げることなく甘い顔に笑みを浮かべて話しかけてきた。
「やあ、グレアム君!」
歳は十代後半。彼の名はネルソン・オブライエン・イリアス。
イリアリノス連合王国の一角を成していたイリアス王国の王子である。
「ネルソン王子。ここで何を?」
「うむ、グレアム君からもウルリーカ嬢に言ってくれないか? 私の専属魔道具師になることを」
グレアムはウルリーカを見た。
ネルソンの提案にウンザリといった様子だ。
「ですからお断りしますわ」
「ははっ! まったく、ウルリーカ嬢は駆け引き上手だ! ううむ! よし、わかった! イリアス再興のあかつきには、君を私の妾妃とすることを約束しよう!」
「……お引き取りを」
「な!?」
ネルソンは自信満々で自分の提案が最良だと信じて疑っていない。その提案をなぜウルリーカが拒絶するのか心底わからないようだった。
「側妃を望むというのか? しかし、たかが伯爵の令嬢でしかない君では分不相応――」
「王子!」
グレアムは強い口調で呼びかけた。
「な、なにかね、グレアム君?」
「ウルリーカは大切な女性だ。勝手なことを言われては困る」
工房の外から「きゃあ!」と黄色い声が上がった。
「む?」
グレアムの言葉に動揺を見せるネルソン。一方、ウルリーカは真っ赤になって顔を背けた。
(?)
ウルリーカとその弟子の反応を不思議に思うグレアム。ウルリーカは大切な故郷の有力者の娘で、一時的に預かっている。妾妃とはいわば愛人で、本人が望んでもいない限りそんな境遇にするわけにはいかないと思っているだけだった。
"グレアム兄ちゃんはいつか刺されるよ"
ボソリと聞き覚えのある声で不穏な言葉が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。 あの優しかった少女があんな物騒な言葉を口にするはずがない。
「そ、そうか。それなら仕方ないな」
ネルソンはウルリーカから離れた。そのまま、どこかへ行くと思ったら今度はグレアムに矛先を向けてきた。
「ところでグレアム君! 例の件はどうなっているのかね!?」
「例の件?」
"スカイウォーカー"のことだろうか。彼も祖国奪還を悲願としているのだろう。ネルソンの今の立場は戦団の食客だ。首都を上級竜から奪い返し、その功績を持って王位に就きたいのだ。
「"スカイウォーカー"討伐は当面、凍結すると――」
「それじゃない! 魔銃の件だ!」
「……」
グレアムは思い出した。ネルソンが食客になってしばらく経ってから魔銃の配布を止めるように警告してきたことを。さらに魔銃狩りも行うべきだと強く主張してもいた。
「検討するように言ったはずだぞ!」
「検討も何も断ったはずだが」
「っ!? なぜだ!?」
「なぜってメリットとデメリットを比較してメリットの方が大きいから」
「……」
「逆に魔銃を普及してはいけない理由を訊かせてもらってないが」
前回も曖昧に言葉を濁すだけだった。
「そ、それは……」
民から恨みでも買っているのだろうか。苛酷な領地経営を行っていた貴族が魔銃を手に入れた領民から襲撃を受けたという話を聞いている。ネルソンはその貴族と同じ末路を辿ることを恐れているのか。
「渡した身分証は携帯を?」
部下とゲストに配布している身分証や階級章には誤射を防ぐ機構が組み込まれている。最近、開発したもので身分証や階級章を中心に半径50センチメイルに向けて魔銃は発射できなくなる。なので胸に着けておけば頭や臓器への銃撃は防げる。
「それは――」
「王子! こちらにいらっしゃったのですか!」
工房に入ってきたのはベロニカ・バートリー。イリアリノス連合王国士官学校の生徒だった少女で、現在は戦団の戦略作戦士官だ。
「む、ベロニカ」
ネルソンは露骨に嫌そうな顔をすると「それではグレアム君。失礼する」と工房を去っていく。
「王子! グレアム様に対してそのような言葉遣いを!」
ベロニカはグレアムとウルリーカに対して一礼するとネルソンを追っていった。
(グレアム君か)
親しくなった覚えはないし親しみも感じない。とはいえネルソンに悪意があるわけではもなさそうだ。単に下に見られぬための虚勢か。
タウンスライムの敵意感知に反応はないが、薬裡衆の頭領であったリンド老の言葉を思い出す。
『相手の害意を感じとる術があるようですが、盲信するのはよろしくありません』
その忠告を忘れていたわけではないが、それでもスライムに頼りすぎていた。もちろん、敵意感知のことだけではない。スライムを封じられただけで、身を守る術がほとんどなくなる現状は好ましいものではない。
泥縄的ではあるが、それを改善するために天才魔道具師のウルリーカに依頼していた。
「遅れてすまない」
グレアムはウルリーカに遅参を詫びた。
「い、いえ。コホン。それよりも例の件ですよね?」
「ああ」
ウルリーカは奥の部屋へとグレアムを促す。
グレアムはジェニファーを呼ぶと亜空間から取り出した大きなバスケットを渡した。ウルリーカ工房製の冷蔵バスケットで、中身はシュー生地にクリームを詰めたものが二ダースほど。
ジェニファーの後ろから興味深そうに覗き込んでいたウルリーカの弟子達は、ジェニファーがバスケットの蓋を開けると再び黄色い歓声を上げた。
喜ばれると悪い気はしない。お土産を持ってきてよかったと思った。グレアムはジェニファーにお茶を頼むと、ウルリーカとともに奥の扉へと消えていった。