30 マデリーネの告白
グレアムは夢を見ていた。
前世の高校時代の夢だ。
それは放課後。
夕焼けで赤くなった廊下を歩く。
ふと、目線をあげると向かう先に男女のカップルがいた。
男子生徒が女子生徒の肩に手を回し何事かを囁いている。
だが、よく見ると女子生徒は困っているように見えた。
男子生徒がノートを持っていて、女子生徒はそれを返してもらいたがっている。
「……」
ジロウは音もなく男子生徒の背後に近づくとノートを取り上げた。
男子生徒は怒り顔で振り返るが、ジロウを認識すると怯えたように去っていく。
ジロウはノートの表紙をしばらく眺めた後、女子生徒にそれを差し出した。
女子生徒はそれを恐る恐るといった感じで受け取る。
ジロウは女子生徒に声をかけることもなく去った。
ただ、それだけの、何でもない夢だった。
◇
(……ん?)
グレアムが目を開けると巨大な女神像の足が視界に飛び込んでくる。どうやらサウリュエルの膝枕で本格的に寝入ってしまったようだった。
(……まいったな。ウルリーカを待たせているのに)
グレアムは身を起こそうとして、それに気づく。
「フッー、フッー」
耳元で獣の唸り声。
(殺気!? 魔物か!?)
グレアムが視線を上に向ける。
「……」
「……」
すまし顔のマデリーネがそこにいた。
「……何してんだ?」
サウリュエルの膝枕がいつの間にかマデリーネのそれに代わっていた。
「……天使様のお足がお疲れのようでしたので代わりました」
「そうか」
それなら起こしてくれればよかったのにとグレアムは思う。
だが、真相は大神殿に戻ってきたマデリーネがサウリュエルの膝枕で眠るグレアムを見て、涙目でサウリュエルの肩を揺すり無理矢理代わってもらったのである。
サウリュエルはグレアムが眠るベンチを透過して後ろに移動すると、そのままどこかへ去っていったという。
「どうしました?」
「いや、ちょっと寝ぼけていたようだ」
すぐ近くに魔物の気配を感じたような気がしたのはきっと気のせいだろう。
これも真相は、マデリーネが自分の膝で眠るグレアムに興奮し、目をグルグルし顔を紅潮させ息を荒くさせていたからだ。一瞬で表情を切り替える驚異の変わり身だった。
「ふう」
グレアムは身を起こそうとするがマデリーネの手で優しく抑え込まれる。
「お疲れのようですのでもう少しお休みください」
マデリーネの手がグレアムの両目を覆い、もう一方の手が髪を撫でつける。
「……」
用事はあるが、よい機会だと思った。
一年後の今頃、この場所でグレアムとマデリーネの婚礼が行われる予定となっている。だが……
『あれだね~。聖女様は"同担拒否"するタイプだね~』
『同担拒否?』
『自分が応援するアイドルのファンと交遊を拒否するタイプってことだよ~。アイドルを独占したい心理が働いているそうだよ~』
『……そういう言葉、ホントにどこから拾ってくるんだ?』
以上が少し前にサウリュエルと交わしたマデリーネについての会話である。
「……なあ、マデリーネ」
「なんでしょうか?」
「俺たちの婚姻についてなんだが、考え直さないか」
グレアムの髪を撫でるマデリーネの手が止まった。
「政略的に考えれば俺と君が結婚するのが最善なんだと思う」
「……」
「だが、俺は立場上、君以外の女性も娶らなければならない」
「……」
「君、そういうの、嫌だろう」
貴族社会において跡継ぎを生んだ妻が愛人を持つことは珍しいことではないと聞く。しかしマデリーネは"聖女"だ。貞節を求められる。愛人を持つことは許されない。
だが、マデリーネは彼女の立場に関係なくそういうのを好まない気がした。なぜなら――
「君の作風は純愛だ。主役の二人は純粋に愛し愛される関係で、ただひたすら二人だけの世界を構築する」
マデリーネの創作物に主役の二人以外はほとんど登場しないし、出てきても二人の眼中にない。
作風が作者の気質を必ずしも反映するとはいえないが、マデリーネに限っていえばパートナーの二人がお互いに他に愛する人を持つなど耐えがたいのではないか。
「君は、本当に君が好きな男と、結ばれるべきだと思う」
「……私がお嫌いですか? 変な趣味を持っているから……」
「君は可愛い。嫌うほうが難しい」
「っ!」
「君の趣味が、俺の趣味じゃないのは事実だが、人を傷つける趣味じゃなければ許せる」
マデリーネは以前、オーソンとリーを題材にして漫画を描いていたが、実在の人物を使うことを禁じて以降、架空の人物でしか描いていない。……多少、モデルにはしているようだが、特定できないようにしているので問題ないだろう。
「だから――」
「あなたが好きです。ひとめ惚れでした」
「…………え?」
「粗暴な男は嫌いです。家出してクサモに向かう途上、本当は嫌で嫌で仕方ありませんでした。王城に単身で乗り込んで暴れ回るなんて、どんな野蛮人かと思っていました」
「……」
「きっと強いスキルを得て調子に乗っている馬鹿者、今ごろは『俺なんかやっちゃいました?』とかイキってるアホだとも」
「……」
「だから籠絡するのは簡単だと思ってました」
「……」
「一目見て好きになりました。色々、計画していたことがすべて吹き飛ぶほどに」
「……」
「勝手に幸せになってくれと言って団員の幸せを考える優しいあなたが好きです。
仲間を死なせて自分の無力に苦悩する弱いあなたが好きです。
弱い自分を認めて、それでも自分ができることをする強いあなたが好きです。
だから――」
「……」
「だから一年後の婚礼を楽しみに待っています」
グレアムの唇に柔らかいものが触れる。それはほんの一瞬で――
ゴッ!
後頭部に受けた衝撃も加わって、それがマデリーネの唇であったのかはよくわからなかった。
耳まで真っ赤になったマデリーネがパタパタと音を立てて去っていく。
思いがけない告白に、グレアムは痛む頭を感じながらしばし呆然とし、大地母神はただ穏やかに微笑んでいた。
◇
自室に逃げ帰ったマデリーネは枕の下に頭を突っ込んで悶えた。
(あ~! あ~! あああ~!!)
恥ずかしさで言語能力を失ったマデリーネは心の中で叫び続ける。
マデリーネがようやく落ち着きを取り戻したのが半時後だった。
しかし、ある事実に気づき、再び悶え始める。
(あ~~!? あああああ~!!!)
自分の創作物がグレアムにチェックされていた。
そのショックにマデリーネはしばらく引きこもり、周囲をいたく心配させたのだった。