26 仮想敵国
<飛行>で海岸からアルビニオンの私室バルコニーに降り立ったグレアムは部屋の中に控えていた年配の侍女にお茶を所望する。用意されていたタオルで足を拭い部屋着に着替え、ヘリオトロープとの通信用魔道具を再び耳につけたタイミングでティーセットが運ばれてくる。
その運び手である専属護衛兼侍女となったクレアを見てグレアムは微妙な気持ちになった。まるで浮気相手の自宅から妻が待つ家に電話する夫のような――
(何をバカな……)
頭を振ってそのおかしな妄想を振り払う。
(やましいことは何もない。……たぶん。――!?)
「熱っつ!」
『どうかしたかい?』
「いや、なんでもない。ちょっとお茶が熱かっただけだ」
『……そうかい?』
何か引っかかるところがあったのかヘリオトロープの口調は少し不審そうだった。
傍に控えるクレアは澄まし顔だ。
(偶然。偶然だよな?)
そう思うが何となく落ち着かないのでクレアには辞去してもらうことにした。
部屋を出る直前のクレアの眼に、熱い光を見たのはたぶん気のせいだ。うん。
「次の議題に移ろう」
とはいえ、重い話題を話す気が削がれたので、そこそこ重要だが緊急性の低い話題から再開することにする。
「"スカイウォーカー"討伐は当面見送ることにした」
『……』
「理由は二つ。一つは"スカイウォーカー"による被害が沈静化していること。もう一つは討伐の成功が低いとみたからだ」
"スカイウォーカー"はイリアリノス中を暴れ回り、人間のほとんどがトラロ山脈以西に逃げ出してからは、首都に巣を作りそこからほとんど動いていない。イリアリノスを自分の縄張りと定めたのだろう。そうであれば、縄張りを脅かさない限り"スカイウォーカー"の侵攻はないのではないか。
ただ、気がかりもある。巣の中の"スカイウォーカー"は時折、苦しそうな様子を見せているという。
(何か変なものでも食ったのか?)
"スカイウォーカー"が動かないのは何らかの不調によるものであった場合、回復した後に侵攻がないとも限らない。
「だが、いずれにしろ藪をつつくことはできない」
『まあ、それが賢明だろうね。下手に手を出して逃げられるならまだまし。逃げた先で"世界線移動"を使われたら目も当てられない。気づいたら私たちが奴隷になってる可能性もありうる。いや、実は既に使われて破滅へと突き進んでいるんじゃないか?』
「上級竜でも"世界線移動"はかなり消耗するようで、そう頻繁に使われないし、使っても数分前のごく短時間しか影響ないケースが多いようだな」
『わかるのかい? "世界線移動"が使われたことを』
「確証はないが、たぶん」
グレアムはスヴァンの【ロールバック】を知覚することができた。グレアムと常時思考リンクしているフォレストスライムのヤマトに、サウリュエルから【追憶】の権能が貸し与えられたことが影響しているのかもしれない。
『ふむ。噂の天使様か。まあ、ドラゴンや妖精がいる世界だ。そういうのがいてもおかしくないけど、そういう存在を引き寄せる強運は流石だね』
「その天使様も"ロードビルダー"戦から今日まで"世界線移動"が使われた形跡はないと保証してくれた」
『やはり強い制約がいくつもあるのだろうね。まあ、当然だろう。あんなものがしょっちゅう使われていたら時空間が歪んで世界が崩壊しかねない』
「そういうわけで"スカイウォーカー"の逃亡を阻止する方策が見つからない限り、当面、放置することにした」
『空間転移か。そういえば聖国の結界魔術に転移を阻むものがあったような』
「……そうなのか?」
それは知らなかった。もし、それを使えれば"スカイウォーカー"討伐も現実味を帯びてくる。だが――
『だが、結界魔術は聖国の最重要機密だ。そういえば聖国に相互不可侵条約と対ドラゴン同盟を結ぶ使者を送ったそうだね』
「ああ」
実はそれが本題だった。ジャンジャックホウルは西に帝国、南に王国、北に聖国と三大強国に囲まれている。
帝国の重鎮であるヘリオトロープとの関係は友好を維持している(と信じている)が、帝国も一枚岩ではなさそうで、いつ情勢が悪化するかわからない。
王国との講和はまとまりそうではあるが、帝国との国境を守るアウグスティン=ニュードヴィスト伯爵やグレアムの生家であるレイナルドの騎士団が不穏な動きを見せているという。
そして、東には上級竜。せめて北の安全は確実なものにしたくベイセル=アクセルソンを派遣したのだ。ところが――
「拒否された」
聖国の政治は六人の枢機卿の合議制で運営される。意見が分かれた場合は女王が最終判断を下す。戦団の外交担当ベイセル=アクセルソンはハト派と目される三人の枢機卿にアプローチしたが、いずれも色よい返事は得られず、それどころか女王への謁見すら許されなかったという。
『それはちょっと意外だね』
ベイセルもしきりに首を傾げていた。東西に強大な敵を持つのは聖国も同じ。それならば南からの脅威は排除しておきたいはずだ。
『ふむ。聖国の思惑に思い当たることが?』
「……」
『実はそれを確かめるためにもベイセルを派遣したんじゃないか?』
「俺の推測を語る前に訊かせてほしい。帝国は過去、何度か聖国に侵攻をかけているが、現在、帝国は聖国に侵攻をかけられない状況にある、もしくはそうなりつつあるんじゃないか?」
『……イエスだよ。まさか、そういうことか? 帝国の主流派はボクの派閥だが、最近、反主流派が不穏な動きを見せている。一昨年の王国侵攻の失敗で当面、大人しくしていると思っていたから首を傾げていたのに、聖国からの支援を受けていたわけか。聖国が事を起こした時、背後を脅かされないように帝国内に内戦を起こそうと』
「であるなら、俺の推測はますます現実味を帯びてくる」
『すぐに裏付けをとってみるよ。でも、どうしてその推測に思い至ったか教えてほしいね』
「マジックバッグだ」
切っ掛けはマジックバッグレンタルの社長エステルからの報告だった。
"マジックバッグを聖国に持ち込むと使えなくなる例が複数件発生"
レンタルしているマジックバッグは魔道具ではない。生きたタウンスライムを薄い金属プレートの内側に格納し亜空間収納で疑似的なマジックバッグを実現している。つまりマジックバッグの不調とはタウンスライムの不調だ
グレアムはそのような例に遭遇したことはない。タウンスライムは望めばいつでも亜空間を展開してくれた。事態を重く見たグレアムは聖国に調査員を派遣するとともに、不調を起こしたタウンスライムを診断してみた。
(S%$54k)
送られてくる思念波の意味はやはりわからなかったが弱々しく感じた。
(ダメージを受けている? だが、なぜ?)
上がってきた調査報告の中にも、マジックバッグの不調が起きた場所と日時で野良スライムの死骸が散見されたという証言があった。大量のタウンスライムがドブ川に浮かんでいたという。
(まさか"聖結界"?)
聖国は魔物対策として魔物を阻み、それでも強引に中に入った魔物にダメージを与える聖結界を国中に常時展開しているという。
『この世界ではゴミ処理にスライムを活用している。それは聖国でも同じだ』
「ああ、だから聖結界の対象にスライムは除外している。だが、スライムも対象になった。これは聖結界の不具合か、それとも意図的なもので何かの実験か?」
前者ならばあまり問題はない。だが、後者ならば、その目的は――
条約締結の拒否。
反主流派への干渉。
いずれも状況証拠でしかない。
だが、聖国を疑うには十分だった。
『聖国は君と戦うつもりか』
聖結界の範囲、持続時間、魔物に及ぼす具体的な効果、結界の展開方法などは公開されておらず詳しくはわからない。だが、もしどんな場所にも聖結界を展開でき、そこに存在するスライムをすべて殺すことができるなら――
「魔銃も亜空間収納も使えない。使役した魔物は味方に襲いかかる」
『それどころか君のチート魔術も使えなくなるんじゃないのかい』
その通りだった。グレアムの魔術はスライムネットワークの大規模分散処理能力と無数のスライム達から借り受けた魔力を使って実現する。ネットワークを構成するスライムが死ねば、<破壊光線>も<偽装隕石召喚>も<魔術消去>使えない。
「……"ロードビルダー"戦で手の内を晒しすぎた」
『だろうね。この際、<白>も対策されていると考えたほうがいい』
「だが、なぜだ? なぜ聖国が俺と敵対する?」
『……確かに、聖国が君と戦う理由はないように思える』
「領土の拡張を狙っている?」
『王国との関係を悪化させてまでかい?』
仮に聖国の侵攻が成功したとしても、その土地は元は王国領土だ。王国は返還を求めるだろう。だが、コストとリスクをかけて奪取した領土を聖国は簡単に手放すわけがない。当然、王国との関係は拗れる。
「魔銃の供給源である俺を潰そうとしている?」
魔銃の存在は良くも悪くも社会の体制を変えてしまう。聖国はそれに危機感を覚えた。
『可能性はなくはないが、それこそ払うコストとリスクに見合うとは思えない。そもそも聖結界があるんだ。やろうと思えば魔銃は無力化できる。……ふむ、考えれば考えるほどわからないな。君、何か聖国の逆鱗に触れるようなことでもしたのかい?』
「……覚えはないが」
『ふむ。まぁ、ボクのほうでも調べてみるよ。ただ、本当に聖国がジャンジャックホウルに侵攻するつもりだったら、こちらで内戦が始まった後だろうね。そうでなくては自分たちが支援した反主流派に侵攻を受ける間抜けを晒すことになる』
「内戦そのものを起こさないようできないか?」
『厳しいな。今、彼らに妥協はできない。長年の努力を無駄にしてしまう。かといって先手をとろうと下手に動けばすぐに内戦だ。早くて半年、どんなに遅くても一年以内に内戦は起きると思う。その間に君は聖国への対抗手段を見つける必要がある』
「……」
『もしかして、もうある?』
「……いや、ない」
『そうかい。でも、対抗手段を見つけるためと言って間違っても聖国に乗り込んではいけないよ。言うまでもなく君のチートはスライムあってものだ。スライムが使えない聖国では君はただの"一般人"なんだからね』
◇
後日、ヘリオトロープから追加の報告がきた。
聖国が帝国の反主流派を援助しているのは間違いなく、しかも、聖国は兵や物質を少しずつ南に集めているという。
グレアムは聖国を"仮想敵国"とすることを幹部達に通達した。