23 ザ・チート1
―― 一年前 グレアムの寝室 ――
それはグレアムが"ロードビルダー"を撃破し、ジャンジャックホウルを拠点とした頃のことである。
グレアムは化学肥料の合成について悩んでいた。
マルグレット・ゼスカによれば、一般の農家ではスライムを捕まえすり潰して畑の肥料にしているという。それを止めさせたい。だが、止めろといって止めるとは思えない。農家にとってそれが必要だからやっているのだ。
そこでグレアムはスライム肥料の代替品として化学肥料を普及させることにした。だが、その合成方法を思い出せない。グレアムが思い出そうとしてるのは「空気からパンを作る」技術――ハーバー・ボッシュ法だった。空気中の窒素と水素を反応させて高い効率でアンモニアを生成する方法だ。だが――
(窒素と水素をどういう比率で混ぜ合わせればいいのか思い出せん。アンモニアを生成できたとしても、それからどう肥料にすればいいんだ? まさかアンモニアをそのまま畑に撒くわけじゃないよな)
前世において、異世界転移部の部活動でハーバー・ボッシュ法についても学んでいた。だが、すっかり忘れてしまっていたのだ。
(……わからん。寝よう)
諦めてベッドに入る。心身ともに疲れ切っていたグレアムにすぐに睡魔が訪れた。
…………
それからしばらくして、グレアムが眠る隣にスライム達が現れた。
フォレストスライムのヤマト、タウンスライムのムサシ、毒スライムのシナノ、ロックスライムのナガト、サンダースライムのアマギ、エスケープスライムのキリシマ。
グレアムに固有名をつけられたリーダースライム達だった。
("ハーバー・ボッシュ法"について上位存在G″4〆◎KⅥの記憶領域にアクセスを提案)
(反対)
(条件付き賛成)
(反対)
(反対)
(反対)
(……"ハーバー・ボッシュ法"について上位存在G″4〆◎KⅥの記憶領域に条件付きアクセスを提案)
(反対)
(賛成)
(反対)
(反対)
(反対。上位存在G″4〆◎KⅥの記憶領域へのアクセスはリスク大)
(リスク大というY%a*に反論。個体名"サウリュエル"より*****を受領。アクセスのリスクは極めて低と類推。上位存在G″4〆◎KⅥの記憶領域に条件付きアクセスを再提案)
(……データ受諾。検証開始……終了。再提案事項について問題なしと判断。賛成)
(賛成)
(反対)
(賛成)
(賛成多数により上位存在G″4〆◎KⅥの記憶領域にアクセス開始)
「んっ」
深く眠るグレアムの瞼がピクリと動いた。
(…………アクセス成功。続けて検索を開始……結果を取得。
以下、ハーバー・ボッシュ法による窒素肥料の生成方法
1.窒素と水素を1:3の比率で反応器に導入
2.反応条件は400~500℃の温度と20~30の気圧。反応促進剤として鉄を主成分とするフェリック酸化物を使用
3.反応器から生成されたアンモニアガスを冷却して液体化
4.アンモニアを空気中の酸素と反応させて一酸化窒素と二酸化窒素を生成。これを水と反応させ硝酸を生成
5.アンモニア水に硝酸を加えて硝酸アンモニウムを生成
…………
朝、グレアムは目を覚ますと、一人呟いた。
「……思い出した。でも、これなら――」
―― 現在 ――
燦燦と輝く太陽がグレアムを照らしつける。だが、暑さは感じない。足の裏に感じる砂の感触と踝までつかる海水、そして遠くから吹き付ける潮風が心地よい。
前の世界で世界最大の干潟は中国黄河河口にあるという。その面積は約一万平方キロメートル。東京都の面積の約四倍近い。
今、グレアムの目の前に広がる干潟もかなりの面積を持つように感じる。青い海は遥か彼方にあり、左右を見渡せば海岸がどこまでも伸びている。
そして、この干潟には緑と白の絨毯が砂地が見えぬほど敷き詰められている。否、それはフォレストスライムとタウンスライムの群体であった。
『なるほど。干潟なら大型海棲動物に襲われることなく、海水から安全に抽出作業ができる。フォレストスライムが海水から物質を分離・抽出して、タウンスライムがそれを亜空間に回収しているわけか』
「ジャンジャックホウルを拠点に選んだ理由の一つだからな」
グレアムが耳につけた魔道具の声はヘリオトロープのものだ。今は亡きドッガーの上司にして帝国の重鎮とのこと。グレアムは彼女と非公式の通話会談を行っていた。
『君が民間に卸している化学肥料も海水から抽出しているのかい?』
「ああ」
マルグレット・ゼスカによれば、一般の農家ではスライムを捕まえすり潰して畑の肥料にしているという。グレアムはそれを全面的に禁止させたが代替品が必要だ。そこでグレアムは窒素肥料となる硝酸とアンモニウムを海水から抽出することにした。
【素材鑑定】スキル持ちを高額で雇い、フォレストスライムが抽出した物質の中で正体不明だったものにそれらがあった。
『……いや、それはおかしい』
「え?」
『硝酸もアンモニウムも確かに海水に含まれている。だけど、どちらも簡単に抽出できるものじゃない。海水から硝酸塩を取り出すのも面倒な処理が必要だし、そこから硝酸にするにも還元剤が必要になる。アンモニアの場合は酸を加えてプロトン化し生成したアンモニウムイオンをイオン交換樹脂に吸着する必要がある』
「といわれてもな」
実際にできているのだから仕方がない。
「そういえば、ヤマトのやつ、水から水素を取り出せるようになっていたな。以前はできなかったのに」
『……ヤマトとはフォレストスライムのことだね。分離・抽出ができるスライム』
「ああ」
『それはもう"分解"レベルなんだが』
「まぁ、そうだな」
『くっ! このチート野郎め!』
罵倒なのか賞賛なのかよくわからない言葉を受ける。
『はぁ。ボクはてっきりハーバー・ボッシュ法を実現したのかと思ったよ』
「そういう技術チートは君がやりそうだがな。帝国にはドワーフの集落がいくつもあるんだろ。彼らの技術力を使って現代科学を実現するとか、よくありそうな話なんだが」
『……』
グレアムがそう言うとヘリオトロープは黙ってしまった。
「どうした?」
『いや、先達のやらかしを思い出して苦虫を嚙み潰していたところさ』
なんでもその先達とやらは帝国の各地にあるドワーフの集落に対して毒ガスを撒いたらしい。
「え。それなら帝国のドワーフは全滅?」
『いいや。もともとドワーフは毒に対して強い耐性を持っているんだ』
基本、ドワーフは坑道掘りを生業とする種族である。ツルハシを一振りしたら毒ガスが噴き出すことも珍しくない。そんな環境に生きる彼らは強い毒耐性を生来持っているのだという。
『暗視能力もあるし、空気の薄いところでもある程度、生きることができる。種族特性というやつだね』
「へえ、そうなんだ」
ジャンジャックホウルにもメイシャというドワーフ少女がいるが、その見た目からは想像もできない膂力を持つ。腕相撲では人間相手ならほぼ負けなしだ。これも種族特性なんだろう。
『まあ、ドワーフの種族特性のおかげで彼らにほとんど被害はなかったんだが、それでも子供や病人に被害が出てね』
「彼らの怒りを買って協力を得られないというわけか」
『なんとか和解したいと思っているんだけど、彼らも頑固でね。困っているわけさ』
「そもそも何でその"先達"さんは毒ガスを撒いたんだ?」
『優生思想だよ。スキルを得られない亜人は劣った種族として人間が管理する。それに逆らう奴は粛正だってね』
「……アホらし」
『まったくだね。種族特性というスキルに近い能力を全員が持っているんだ。エルフは精霊魔術の使い手だし、獣人は優れた身体能力を持つ。種族として劣っているのは果たしてどちらか』
「……」
グレアムはこの話題を出すのは少し勇気が必要だった。
「小人族もか?」
『……まあね。見た目が一生若いだけじゃない。それはそれで羨ましいが、他にも優れた種族特性を持つ。……ミリー・スレッドグッド伍長について新しい情報が?』
「まあな」
先日、起きたムルマンスク事変。その数日後、ムルマンスク近郊の森でナッシュの遺体が発見される。死因は銃殺。全身を<炎弾>で撃ち抜かれていた。