14 贖罪の王女1
ティーセ・ジルフ・オクタヴィオーー国王ジョセフの第二十一子として生を受けた少女は王城の誰よりも自由だった。
『妖精飛行』という背中に六枚の透明な羽を顕現させ空を飛ぶスキルにより物心ついた時から王都の周辺を飛び回っていた。
時折、空を飛ぶ魔物に襲われることもあったが妖精系スキル保持者は魔物への攻撃と防御にバフがつく。特にドラゴンが相手の場合には著しい効果があった。
ティーセは妖精系スキルを持つ者にしか使えない妖精剣アドリアナと装備者の体にあわせて伸縮する古代魔国製の鎧を宝物庫から引っ張り出し魔物退治に勤しむようになる。
「ルイーセ。今年で十二歳よ」
名前と年齢を偽って王都の傭兵ギルドに所属したのは九歳の時である。
王都の傭兵ギルド長は片手で自分の顔を覆い、深い葛藤の末、噂の"妖精王女"の所属を認めた。そして、ギルド監督役の役人は見て見ぬ振りをした。
晴れて傭兵ギルドの一員となったティーセは精力的に魔物を狩ってまわった。
ティーセが傭兵ギルドに所属したのは魔物の情報が集まるからである。
後宮での習い事に疲れ果てたティーセは空を飛ぶ事で癒しを得る。
それを邪魔する魔物を心の底から憎むようになったティーセは邪魔される前に駆除しようと考えたのだ。
自分のために始めた魔物退治であったが、訪れた街や村で感謝され人々の顔に笑顔が戻ることにティーセは喜びを覚えるようになる。
いつしか国の民のために剣を振るうようになるのは自然なことであった。
ある時、ティーセは噂を聞いた。
王国が奴隷を集めている。その奴隷を生贄にして魔物で魔物を駆除するのだと。
ティーセはその噂を信じなかった。何を馬鹿なことをと。
だが王都に入ってくる奴隷商人の馬車の数に噂は本当ではないかと思い始める。
ティーセは敬愛する長兄アシュターの館に飛んだ。
「やぁ、ティー。久しぶりだね」
アシュターの息はわずかに酒の匂いがした。
前に会った時よりも眼は落ち窪み顔色も悪い。
「お加減はいかがでしょうか。お兄様」
「良くも悪くもないね」
アシュターは数年前より体を壊し、自分の館に引きこもっていた。
"怪我治療"、"毒消し"、"麻痺消し"、"精神異常回復"、"病治癒"、"呪消し"、"石化解除"、果ては"再生"まで、ありとあらゆる治癒魔術を試してもなぜか一向によくなる気配がない。
王国の至宝とまで言われた第一王子の変わり果てた姿に胸を痛める。
「何か用があって来たんだろう」
そんなティーセに優しく微笑むアシュター。
ティーセは悲しみを押し殺し、噂について聞いてみた。何か知っていないかと。
「……ああ、そうか。とうとう父上はディーグアントの本格的な運用を始める気か」
アシュターの言葉はまるで血を吐くようだった。毛布を握った指が白くなっていく。
「どういうことでしょう? お兄様」
「どうもこうもないよ、ティー。噂はすべて真実だよ」
そうしてティーセはすべてを聞く。七年前、何があったかを。
「お兄様! なぜ、そんな馬鹿げた政策に賛同したのです!?」
「……一時の感情に流されてしまった。僕の双剣で友の右腕と左足を切り飛ばした日から後悔しなかった日はない」
「……本当にそのオーソンという方とヒューストームは王国を裏切っていたのでしょうか」
「わからない。だが、彼らの荷物から最新の魔術研究資料が出てきたのは事実だ。彼らを聖国に行かせるわけにはいかなかった」
「でも、だからといってディーグアントを使うなんて」
「オーソンは聖国までヒューストームを送っていった後、アリダと婚礼を上げる予定だった」
「アリダ? お兄様の屋敷にいるいつも黒いベールをつけたお兄様の客人のことですか?」
「アリダはオーソンの婚約者だった女性だ」
「! まさか!」
「ああ、ティー。君の想像はきっと正しい。オーソンは罪人であって欲しかった。アリダを手に入れるために。ヒューストームを支持する貴族たちを納得させるためには魔物除けの結界に対抗する案が必要だったんだ」
「……お兄様に治癒魔術が効かない理由がわかりました。病でも呪いでもない。罪悪感からくる心労ですね」
「軽蔑したかい?」
「いいえ。怒りしかわきません。そんな理由で蟻どもの生贄になった民のことを思うと」
ティーセの顔は怒りで蒼白になっていた。
「お兄様はこんなところで何をしているのです? 今すぐ王宮に行ってこんな馬鹿げた政策を止めるように諫言すべきです」
「僕はもう第一王位継承権者でもなければ八星騎士でもない。価値の無い男の諫言など父上は受け入れない」
第一王位継承権者は次兄が、八星騎士はリーという元傭兵が後を継いでいる。
「それなら私がーー」
「一緒だよ。いつまでも傭兵の真似事なんかしていないで花嫁修業をしろと冷たく返されるのが落ちさ」
ティーセはこぶしを握り締める。いかにも父が言いそうなことだった。
「……やめさせる方法は無いのですか?」
「難しいね。毒を持って毒を制す。そう言って父上はこの政策をいたく気に入っている。それにブロランカ島での実験は成果を出しているとも聞く。魔物の巣となっていた島の北の森に女王種を放ち、生贄となる農奴たちを島の北と南をつなぐ隘路に配置した後は、南の農場への魔物被害は無くなったそうだ」
「被害が無いわけないでしょう! 国の民たちが死んでいるのですよ!」
「数年の実験の結果、農奴の損耗率もそれほどでは無いと結論付けられた。島に送られたヒューストームとオーソンが頑張ってるのかもしれない」
「ヒューストームはシャーダルクに魔力を封じられたと聞きます。オーソンもお兄様に手足を切られ、まともに戦うこともできないと」
「ああ、二人ともすぐに死ぬと思われていたんだ。流石だよ。いっそのこと早く死んでくれていれば僕もシャーダルクもーー」
「お兄様!」
「……すまない。失言だった」
ティーセは立ち去ることにした。これ以上、敬愛する兄に失望したくなかった。
「最後に一つ。ブロランカ島はソーントーン伯爵の領地でしたね」
「行く気かい? ブロランカに」
「はい。知ってしまった以上、このまま捨ておくわけにはいきません」
「そうか。オーソンに会えたら、……いや、何でもない。少し疲れた。寝かせてもらうよ」
そう言ってアシュターは寝床に横たわる。
その姿は年老いた老人のようで、ティーセはただ悲しかった。