20 ドレステン公爵の秘密の会合
―― アルジニア王国 王都 某所 ――
「では、あの噂は事実ということか」
「ええ、今、王宮は蜂の巣をつついたような大騒ぎだそうで」
「さもありなん。ケネット陛下は今頃、頭を痛めているであろうな」
密室――夜の星明りも届かぬ館の奥で、複数の男達が声を潜めて話し合っていた。
見た目は裕福な商人達――だが、見る者が見れば、その所作と言動から全員が貴族だとわかる。
「なぜだ? そのような予兆、まるでなかったであろう」
「しかも、なぜムルマンスクなどという僻地に?」
彼らが話し合っていたのは先日、起きた"ムルマンスク事変"についてである。
"ムルマンスク事変"――それはグレアムによるムルマンスクへの軍事侵攻である。
「なんでも少数精鋭による電撃作戦であったとか。大規模な<パラライズ・クラウド>で都市全体が麻痺、その後、百のジャイアント・ドラゴンフライの部隊で急襲したそうです」
「「「っ!?」」」
その作戦内容の出鱈目さに言葉を失う貴族達。
都市全体を覆う大規模魔術も驚愕だが――
「ジャイアント・ドラゴンフライだと!?」
「ええ。野生のグリフォンも殺すあの魔物です」
グリフォンは一時期、空の王者ともいわれた強力な幻獣だ。討伐には熟練の戦士と魔術師が何人も必要になる。
グリフォンの群生地で稀に若いグリフォンの死体が見つかることがあった。当初、グリフォン同士で縄張り争いが起きたことが原因と思われていたが、死体の傷口はグリフォンによるものではない。首が食い千切られていた。
調査の過程でジャイアント・ドラゴンフライがグリフォンを襲う姿が目撃される。高空から急降下したジャイアント・ドラゴンフライがグリフォンの背後から、大顎で首を刈り取る姿を。
「ムルマンスクは即日、全面降伏したそうです。そのままグレアムの直轄地になったとか」
「……さもありなん。動かぬ体。頭の上は無数のジャイアント・ドラゴンフライ。ムルマンスクの民も気が気でなかったでしょう」
「……想像するだに恐ろしいな」
「ええ。まったく」
「他人事ではないぞ! 我らの領地にまでグレアムの食指が伸びてきたらなんとする!?」
「それを話し合うためにこうして集まったのでしょう」
「ふん。こうして人目を忍んで集まったのだ。皆、既に結論は出ているのだろう」
「……ええ、まぁ」
「さもありなん。"魔銃"の件もありますからなぁ」
グレアムは王国中の民に魔銃を配っていた。無論、彼らの領地にも魔銃は浸透している。民が強力な自衛手段を持つことに危機感を覚え、魔銃を禁止する貴族もいたがマジックバッグで大量に持ち込まれる上に、床下や天井にでも隠されれば、もはや取り締まることは難しい。魔銃の所持・使用を死罪と定めた貴族の寝所に<炎弾>が撃ち込まれる事件も発生している。
騎士達の武技もスキルも、大量の魔銃の前では無勢でしかない以上、黙認するしかない。
「恩知らずどもめ! 今まで誰が奴らを守ってきたと思っているのだ!」
「さよう。我らに弓引くなど言語道断」
「とはいえ、この流れは変えられますまい。アメイ子爵の顛末をお聞きに?」
「ああ、平民どもから三日三晩拷問を受けたそうだな。初日で殺してくれと泣き叫んで、最後は発狂して死んだとか」
「さもありなん。あやつの領地運営は苛酷と有名でしたからな」
「子爵の末路が広まるにつれ、グレアム殿の元へ訪れる貴族が増大したとか」
「グレアムは一定範囲内の魔銃を無効化できるとの話でしたな。実際、侵攻の際にもムルマンクスの魔銃を使えなくしたとか」
「いわば"本領安堵"か。自分に逆らえばグレアムに魔銃を取り上げてもらうぞ、と」
「まさに他人事ではありませんね。子爵ほど極端でなくとも、民の恨みを買う行為をしている自覚はあります」
「ふん。領地経営は甘くはない。百の民を生かすために一人の犠牲が必要なこともある」
「ですが、無知蒙昧な民にそれをわかれというのは難しいでしょう」
「ええ、ですから"お墨付き"をもらうためにグレアム殿の元へ殺到するのでしょうな」
「ええい、他の連中はどうでもいい! それで我々はどうするのだ!?」
会合の中心にいた人物――ドレステン公爵が苛立たしげにバンと机を叩いた。
「「「…………」」」
結論は決まっている。
グレアムへ恭順する。
だが、問題はその方法だった。
『アリオンやベイセルの風下に立つことはできぬ』
グレアムの事実上の宰相となったアリオン=ヘイデンスタムに、外交を一手に引き受けているベイセル=アクセルソン。本来なら彼らのどちらかに仲介を依頼するところであるが、このドレステン公爵、そう言ってグレアムへの恭順を今日まで拒んでいたのだ。
(((…………)))
ドレステン公爵の寄子である貴族達は内心で溜息を吐いた。時代は今まさに過渡期にさしかかろうとしている。判断を誤れば没落の一途だ。虚飾を繕っている場合ではない。
だが、ドレステンは元は奴隷であるグレアムの下につくことを嫌悪した。配下の必死の説得により、渋々、恭順することを受け入れたが、今度はアリオンとベイセルに借りを作ることを拒絶したのだ。
しかし、これについてはドレステンにも一理ある。高位貴族はただ恭順を認められるだけでは足りない。グレアムが作る新政権の中枢にどれだけ食い込めるかが重要だった。でなくては"公爵"という権勢は維持できない。
アリオンとベイセルに仲介を頼めば、どんな見返りを要求してくるか容易に想像がつく。自分達の政敵とならないように、もしくはなっても問題ないようにドレステンの力を削ごうとするだろう。例えば、領地か権益の譲渡だ。
「ペル=エーリンクに仲介を依頼しては? 商人上がりならば金銭でどうにかできるでしょう」
「平民の出自であろう! まだ、アリオンとベイセルに頭を下げたほうがましだ!」
「では、オーソン=ダグネルは?」
「下級貴族であろう!? 平民と変わらん!」
「……」
ペル=エーリンクとオーソンを挙げた貴族は内心で溜息を吐いた。面子にこだわっている場合でもなかろうに。だが、自身の寄親であるこの男が難色を示すことは想定済みだった。ペル=エーリンクとオーソンはいわば捨て案。本命を出す。
「……ではティーセ王妹殿下は?」
「なに?」
ティーセ・ジルフ・オクタヴィオ。
先々王ジョセフの第二十一子にして"妖精王女"の異名を持つ。仲介役にティーセを提案されたドレステンは困惑した。そこにティーセの名前が挙がるとは思ってもいなかったからだ。
「イリアリノスで上級竜討伐のためにグレアムと共闘したという話は聞いている。だが……」
ドレステンは言葉を濁した。
"グレアムへ恭順する"ことは、王家を裏切ることを意味する。王家の一人であるティーセから見ればドレステンは裏切り者だ。そんな彼女に仲介を依頼するなど……
「……とても承諾していただけるとは思えん。それに殿下は今、二人の兄の喪に服している聞いている」
アシュターとクリストフ。それぞれジョセフの長男と五男である。アシュターは先王テオドールを暗殺し、現王ケネットとクリストフが王位を巡って争うように画策した。
ケネットにそれを看破されたアシュターはクリストフを殺害し逃亡を図ろうとするが捕縛され、すべての罪を告白した後、断頭台の露と消えた。
既に王位継承権を剥奪されていたとはいえ、王家の一員が企てたこの騒乱は諸侯に軽くない痛手を与え、王家への訴求力を弱める要因の一つとなっていた。
「無論、喪が明けてからになります。実はグレアム殿がティーセ殿下に求婚したのです」
「なんだと!?」
「その証拠となるピュアミスリルの剣を、殿下の腹心マルグレット・ゼスカ殿から直に見せていただきました」
「事実か!?」
「ええ。しかもミスリルの配合率は99.999%。複数の鑑定師から証言を得ています」
「ファイブナイン!? なんだそれは!? 国宝級ではないか!?」
51%以上のミスリルを使用していればピュアミスリルと呼ばれる世界で、ファイブナインの配合率は驚異的な数字だった。知られている最高の配合率は70%。既にミスリル合金の技術は成熟しており、それ以上に配合率を上げても出来上がる武具の性能と美しさにほとんど差異はでない。ただ、コストがかかるだけである。それでも、その配合率の剣を送ったということは――
「さもありなん。殿下への愛情の深さが伺いしれる」
「だが、待て! グレアムは既にアリオンの娘と婚約済みという話ではないか! しかもその娘は――」
「ええ、マデリーネ・ヘイデンスタム。神殿も認めた200年ぶりの"聖女"です」
「いわばマデリーネはグレアムの権威を保証する存在! 聖女の不興を買うまねをなぜする!?」
「それについて、とある噂が関係しているかと」
「噂?」
「グレアム殿の元に天使が降臨し、あまつさえ寝所を共にしているとか」
「「「…………」」」
数秒の沈黙の後、ドッ!と笑いが起きた。
「さすがにそれは嘘だろ」
「まったく。神話の時代でもあるまいに」
「ええ。私もそう思います。ですがその噂が出た理由を考えてみれば、見えてくるものもあるのでないかと」
「む? どういうことかね?」
「…………そうか。噂を流したのはグレアム自身。そして、その目的は――」
「ヘイデンスタムへの牽制か!」
王妃の実家が権力を持ち、専横を極める。歴史を紐解けば、その例は散見される。
ましてや王妃は"聖女"だ。神殿と結託すればその権勢は計り知れないものになる。一方、グレアムの生家は名門のレイナルドだが、母のアリーシャが夫のアイクを毒殺しグレアムの元へ駆け込んだことでグレアムとレイナルド一門の関係は冷え込んでいると聞く。
つまり、グレアムに譜代の家臣はおらず、信用のおける部下はブロランカ島からの元奴隷仲間しかいない。一方、ヘイデンスタムは騎士団を擁しており、先の戦で大きく目減りしたとはいえ、部下の質と量はともにグレアムを上回る。
ヘイデンスタムの将軍であったアマデウス=ラペリをジャイアント・ドラゴンフライの部隊長に任命したのは、人材に困っている証左であろう。
「このままではグレアムの新政権はヘイデンスタムに掌握されてしまう」
「さもありなん。いざとなれば"聖女"に頼らずとも"天使"から王権を得られる。天使と寝所云々の噂はそういうストーリーを作るための下準備か。……とすれば殿下への求婚も――」
「そうか! ジルフをヘイデンスタムの対抗馬とするつもりか!」
神殿の人事権を掌握しているジルフならば"聖女"と神殿の結託を抑えることができる。つまり、グレアムの狙いは、王妃マデリーネと王妃ティーセ、そして彼女達の外戚となるヘイデンスタムとジルフを相争わせ、自分の権勢を維持することにある。
「むぅ、よもやそのような高度な政治もできるとは」
「我々はまだグレアムを、いや、グレアム殿を見損なっていたようだ」
「いや、待て待て! それならば我らからも王妃を出して第三の勢力として台頭しては!?」
「おお! それはいい!」
「ですが、公爵殿のご令嬢は既に全員、嫁いでいたはず」
「適当な娘を養女すればよい」
「"聖女"に"妖精王女"だぞ! それに比肩する娘などいるものか!」
「なに、要はグレアムから寵愛を受けられればよいのだ」
「【魅了】スキル持ちでも捜す気か?」
「まさか。そんなものに頼らずとも男を堕とす手練手管を持った女などいくらでもいる」
「そのような手法がグレアム殿に通じるとは思えぬが」
「そうだ! 逆に叛意を疑われる結果になりかねんぞ!」
侃々諤々。議論は白熱していく。
そうして、夜も明けようとする頃、ドレステン公爵は一つの結論を出した。