19 ムルマンスク事変 その後3
―― 現在 ムルマンスク 新孤児院応接間 ――
グレアムは孤児院の男性職員が持ってきてくれたお茶を飲んだ。それを見てアマデウス=ラペリがピクリと眉を動かした。毒味もさせずに無造作に口に運んだことが気にかかったのだろう。毒無効の魔道具を身に着けていても完璧ではない。その魔道具の魔術式では対応していない毒を使われては魔道具も効果を発揮しない。
だが、アマデウスは何の行動も起こさない。グレアムが事前に言い含めていたからだ。これからこの応接間で起こることについて、見て見ぬふりをしろと。
孤児院関係者以外の人払いを命じたグレアム。だが、アマデウスは頑なにそれを拒んだ。そこでグレアムは条件付きでアマデウスのみ同行を許したのだ。
「美味いな」
「ありがとうございます」
「……」
グレアムが孤児院にいた頃には見なかった顔だが、どこかで見覚えがある。
(どこだっけ?)
グレアムのもの問いたげな視線に気づいたのか、隣に座ったジェニファーが紹介してくれた。
「リックさんだよ。グレアム兄ちゃんが孤児院を出ていった後、いろいろ助けてくれたんだよ。それで――」
「あっ、思い出した! 確かデアンソの商会で!」
「はい。以前はデアンソ様の商会でお世話になっていました」
デアンソ――グレアムが暗殺した商人だ。
「あの時にいた職員の一人か」
グレアムがデアンソ暗殺のためにデアンソの屋敷に乗り込んだ夜、そこにはデアンソの他にレナの父トレバーとリーを含む十二人の傭兵、そして二人の職員が残っていた。
デアンソの暗殺を邪魔されたくないのでリー以外の傭兵は全員始末したが、職員に関しては気絶させるだけにした。その一人がなぜか孤児院で働いている。
「皆様にご迷惑をおかけしたお詫びに、孤児院の運営を手伝うことにしまして」
「それで居着いたわけか」
当時、デアンソは院長のトレバーをギャンブルと詐欺で借金漬けにし、孤児院の土地を取り上げようとしていた。ちなみに、借金自体は傭兵ギルドにギルド所属の傭兵を優先的に治療するという条件で肩代わりしてもらっている。
「一従業員だったんだ。君に責任はないさ」
なかなか律儀な男だと思った。
「そういっていただけると」
「しかし、なぜデアンソは孤児院にあそこまで執着していたんだ?」
前世の、あの年齢の頃、ジロウは人を殺すことを生業にしていた。正直、その時の記憶と感情に引っ張られた感じはある。それでもデアンソを殺さなければ、いずれ孤児院は致命的な危機を迎えたとの確信は今でもある。
「さて、私にはなんとも。護衛頭のリーさんには話していたようですが」
(リーか。そういえば最近、あいつと喋ってないな)
今、リー=テルドシウスはクサモに作った駐屯地で教導任務に携わっている。定期的に送られてくる報告書では、なかなか苦労しているようだった。
「トレバーさんは? まだ、見つかってないのか?」
トレバー・ハワード。レナの父親にしてハワード孤児院の元院長である。ちなみに院長は娘のレナが引き継いでいた。
トレバーはデアンソを殺した夜から行方不明になっている。領主フランセスの捜索でも見つけられなかった。
「うん。でもレナお姉ちゃんは、あまり心配してなさそうだったよ。"あの人なら大丈夫よ"って」
「ふむ」
レナがトレバーを匿っていたというわけでもなさそうだ。有能なフランセスなら身内を真っ先に疑うだろう。それでもトレバーを捕らえられなかったのならば、どこに逃げたんだろうか。
(デアンソとトレバーさんの件。今回のレナさんの誘拐と何か関係があるのか?)
その判断を下すにはまだ情報が足りていない。
「……ケルスティン=アッテルベリの襲撃で、孤児院が半壊した後の話を訊かせてくれるか?」
「はい」
多少の怪我人は出たが、幸いにも死者は出なかったという。ケルスティンが放った不可視の力は建物を壊しはすれど、人を傷つけることはなかった。
「ですが、二階部分を支える壁と柱を失ったことで崩落しまして」
「それもね、剣士様がピョーンって飛んできてみんなを助けてくれたんだよ」
ジェニファーによれば孤児院が崩れる前に建物内にいる子供と職員を【転移】スキルで連れ出した。そうして、敷地外に逃げるように言ったという。ちなみにタイッサはその時、傭兵ギルドの仕事で遠征中だった。
("情けは人のためならず"か)
人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味の言葉だ。リックもソーントーンもグレアムが情けをかけた相手だ。その二人がこうして孤児院のみんなを助けてくれた。
(やはり義父さんと義母さんの教えは正しかったな)
前世で自分を育ててくれた田中夫婦の姿を思い出す。だいぶ迷惑をかけたというのに、いつも温和に微笑んでいる姿しか思い出せない。あの人たちに良識を教えてもらえなければ、自分はどうなっていたか想像もつかない。
「みんなで敷地の外に出た後、孤児院が崩落する音が聞こえてきて……」
「そこでレナさんとクレアさんがいないことに気づいて、私が戻って様子を見に行ったところ――」
「既に誰もいなかったわけか」
そこはクレアからも聞いている。突如、現れた黒い女に呪いをかけられたという。ただ、そこから記憶が曖昧で、気づいたら戦団のベッドで横たわっていたという。意識を取り戻したのはケルスティンの襲撃から何カ月もたった後だった。
おそらくケルスティンがクレアに呪いをかけたのだろう。
「王国の"魔女"とか言われていたが、まさか本物の魔女だったとはな」
何十年も若い姿を保ったまま生きることから、やっかみ含みで王国の"魔女"と呼ばれているとケルスティンに初めて会った時、言っていた。
全身を呪いにおかされたクレアをベイセル=アクセルソンが拾ってきた。そうなるようにケルスティンが仕向けたのだろう。
(キャサリンという帝国将校は【サベイング】という一度見た相手の位置と距離を正確に知覚できるスキルを持っていた。ケルスティンもそれに近いものを持っているのだろうな)
スキルか魔道具かはわからないが、とにかく、その力を使って"ロードビルダー"がトラロ山脈に作り出した「道」に一人でいたグレアムを狙ってソーントーンを送り込んできた。
だが、いったい何のために?
切られた左手首の痛みを思い出しながら考える。
そしてあの伝言。
"レナ・ハワードは預かった。
取り返したければオルトメイアに来い"
クレアが気を失う直前、ケルスティンが託したメッセージである。
(なぜ、そんなまわりくどいことを? 直接、俺に伝えればいいだろうに)
半死半生のクレアに託したところで、ちゃんと伝わるかどうかも怪しい。実際、そのメッセージをグレアムが受け取ったのはレナ誘拐から一年以上経っている。
(ケルスティン、何を考えている?)
そもそもレナは無事なのだろうか。
ソーントーンがいるならば無体なことはしていないと思うが……。
そこまで考えて、グレアムは意外にもソーントーンを信用している自分がいることに気づいた。
「行方が知れないレナさんとクレアさんが心配です」とリック。
「クレアならこちらで保護している。元気にしているよ」
「それはよかった。タイッサも喜びます」
(……)
リックの言葉に少し違和感を感じた。
「タイッサさんが今は院長代理をやってくれているんだって?」
「そうなの。でも、リックさんが領主様と色々、交渉してくれたんだよ」
その結果がこの新しい建物なのだろう。有能な男だ。
「いえ、交渉らしい交渉は何も」
しかも謙虚ときている。孤児院は彼に任せれば安心だ。
「ふむ」
情報収集としてはこんなものだろう。いくつか謎は残ったが、後はタイッサに会えばムルマンスクでの用事は終わる。
「タイッサさんは?」
「神殿だよ、グレアム兄ちゃん。数日、泊まり込んでるの」
「神殿? 病気か怪我でも?」
「ああ、それは――」
『ちょっと何よ、あんたたち!? 私!? ここの院長代理よ!』
噂をすれば影というのか。外からタイッサの元気な声が聞こえてきた。
「何なのよ!」
ガチャリとドアが開く。と同時にグレアムとタイッサはお互いを見て固まった。
タイッサはグレアムの顔を。グレアムはタイッサの抱えているものを見て。
「迎えにいけなくすまない」
そう謝るリックにタイッサは抱えていたものを手渡した。リックは愛おしそうにそれをあやす。
その赤ん坊を。
鈍いグレアムにも、もうわかる。
「タイッサさん、結婚してたの!?」
「そうだよ。リックさんはタイッサさんの旦那さん」
先ほどの違和感の正体がわかった。クレアにまで"さん"づけするリックがタイッサを呼び捨てしたことだった。しかし――
「よくシウロが認めたな」
シウロはタイッサが使役する灰色狼だ。タイッサもレナに負けず劣らずの美人でよくギルドの傭兵に言い寄られていたが、そのたびにシウロに尻を噛まれて退散していた。
「リックさんとシウロは仲良しだよ」
タイッサと共にやってきたシウロは、その言葉の通り、リックと仲良く赤子を覗き込んでいた。
(あのシウロにまで認められるとは。タイッサさん、ホントにいい男を捕まえたな)
お世話になった姉代わりの幸せを喜ぶグレアム。
「グレアム」
「はい」
ソファから立ち上がる。
鉄拳制裁は覚悟完了済みだ。そのために人払いを命じたのだ。
ツカツカと近づいてくるタイッサ。それに対しグレアムは両手を後ろにまわし、歯を食いしばる。両脚を開き、目をつぶってその時がくるのを待った。
だが、いつまでも痛みがこない。その代わりにふわりといい匂いに包まれた。
「このバカ。心配かけて」
タイッサに抱きしめられていた。
じんわりとグレアムの胸に暖かいものが広がる。
「ごめんなさい、タイッサさん。……殴らないんですか?」
「それはレナの仕事よ」
「そうですか。それなら是が非でも助けなきゃいけませんね」
「ええ。お願いできる?」
「もちろんです」
「……ホントに、立派になっちゃって」
「いえ、まだまだ尻に殻のついたひよっこですよ。……………………ところで、何で僕を前かがみにしようとするんです?」
タイッサはグレアムの首に両手を回しグイッと下に引っ張っていた。
「さっき黄色いモヤに包まれた後、体が動かなくなったんだけど。あれ、あんたの仕業なんだって?」
「…………」
沈黙を肯定と受け取ったタイッサは素早く自分の片足をグレアムの足に絡め、もう片方の足をグレアムの首にかけた。
いわゆる卍固め。プロレス技の一種でグレアムが昔、タイッサに教えた技だ。
「何てことすんのよ、あんたわぁ! いきなり体が動かなくなって滅茶苦茶、怖かったんだからぁ!」
全身を激痛が襲う。
絶え間ない痛みに思わず周りを見渡すグレアム。
リックとシウロは赤子に夢中だ。
ジェニファーはニコニコと笑みを浮かべている。
……もしかして、ジェニファーも少し怒ってた?
そしてアマデウスは――
(あ、アマデウス。見て見ぬふりをしろと言ったが、多少、気を利かせてもいいんだぞ)
そんなグレアムに視線に気づいたアマデウスは委細承知とばかりに頷いて――
目を逸らした。
聞き分けのよい部下を持って、グレアムは嬉し――、グギャ!
優「良識、足りなくない?」
田中夫妻「わしらは頑張った」