16 レナ・ハワード誘拐事件1
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―― 2年前 ムルマンスク ――
「それではレナ先生、お先に失礼します」
「ええ、お疲れ様です」
ハワード孤児院の隣に建つ施療院。その院長にして唯一の施療者であるレナ・ハワードは職員を見送った。
数年前は極貧に喘いでいたが、最近は孤児院や施療院に職員を雇うだけの余裕がある。おかげでレナの負担は劇的に軽くなり、業務終了後には治癒魔術の修練に励むこともできるようになった。
その原因はレナ・ハワード宛てに齎された多額の寄付金だ。しかも、傭兵ギルドを仲介している。大金を所持しているとかえって危険だ。金はギルドが預かり、必要に応じてレナが自由に引き出せることになっている。レナと孤児院の安全に配慮した処置だ。
『わざわざギルドに手間賃まで払ってお金をくれるなんて、世の中、奇特な人もいるものね』
親友で狼使いのタイッサは首を捻っていたが、レナは彼だと直感した。
『………まさか。奴隷となったあの子にあんな大金送れるわけないじゃない』
『そうなんだけど、なんとなくそんな気がするの』
というか、彼以外に心当たりがない。
(今更、あの人が私たちを気にかけるとも思えないし)
『そんな余裕があるならここに戻ってきたらいいのよ。たっぷりお仕置きしてやるんだから』
タイッサが指の骨を鳴らす。床に寝そべっていた狼のシウロが主の怒気に反応して顔を上げた。
『そうね』
シウロの頭を撫でながら同意する。彼は今、どこで何をしているのだろうか。病気やケガをしていないだろうか。お腹を空かせていないだろうか。寒さに震えていないだろうか。正直、何もかも放り出して彼を捜す旅に出ようと思ったことは数えきれない。彼女を押し留めたのは、彼が命がけで守った孤児院の存在だった。
(きっと、元気にやっているのね)
才能豊かな少年だ。きっと優しい人にその有能さを見出され成功したのかもしれない。嬉しく思いながらも、少し寂しい気がするレナだった。
そんな回想をしながら施療の後片付けを終える。時計を見ると夕飯までまだ時間はある。
ならばとレナはおもむろに花瓶から一輪の花を取り上げ花びらを一枚毟った。それを左手に持ち、右手に持った魔杖をかざして精神を集中させた。
<再生>
毟り取った花びらの再生を試みる。
神の眷属たる天使が使う"奇蹟"の御業<復活>。とある天使が息絶えた勇者に使用したという伝説がある。その伝説では勇者を見事に生き返らせたうえ、勇者の肉体と装備、道具まで完全な状態で復元したという。
あの人の手記によれば、それは伝説などではなく、歴史的事実なのだという。そして、<再生>はその奇蹟の再現を試みた魔術だ。
だが、実現できた効果は本物の百分の一にも満たない。死んだ人間が生き返ることはなく、老人の体が若者の体になることもない。それでも、<再生>の魔術が有用であることには変わりない。失った体の一部を取り戻すことができれば、どれだけの助けになることか。
「くっ!」
激しい頭痛に襲われ手に持っていた魔杖を取り落とす。そのまま目を閉じ痛みが去るのを待った。
自分の技量よりも大きな魔術を使おうとすると起きる。酷い状態になると目や耳から血を流し最悪、命を失う。
足りてないのは魔力か演算能力か。おそらく両方だろう。魔術式を図式化した魔術陣によって、容易に魔術を習得できるが、同時に身の丈に合わない魔術を身につけて破滅する例も多くなったと聞く。本来なら師となる人物の監督のもと修練すべきなのだろうが、本来、自分の師となるあの人は――
(やめよう。もう、自分には関係ない)
それよりも、やはり今のレナでは<再生>は難しい。そもそも<再生>のような高位魔術を使うには、この魔杖では不足している。
しかし、高位魔術用の魔杖となればかなりの高額となる。希少種や強化種の魔物の魔石も必要なのでそれを手に入れる伝手も必要だった。だが、そのために貴族や大商人に頼りたくない。【治癒魔術】のスキルを持った魔術師は希少で<再生>も使えるとなればさらにレアだ。彼らに貸しを作れば最後、レナは孤児院から引き離され、金持ち達の治療に忙殺されることになるだろう。
それでも子供達への万が一のことを考えれば<再生>の習得は諦められない。理想は誰にも知られることなく<再生>の魔術が使えるようになることだった。
チリリン
来客を知らせるドアベルが鳴った。
(急患かしら?)
レナが施療院にいある間、ドアに鍵はかけていない。女一人で不用心と心配されることもあるが、これでもタイッサとともに魔物退治に出ることもある。護身術は一通り身に着けていた。
念のため魔杖を持って待合室にいくと、壮年の男性と若い女性が一人ずつ。どちらにも見覚えはない。旅用のローブに身を包んでいるが旅行者という気もしない。ローブが汚れていなかったからだ。
「――でわからんのか?」
「これは何でもかんでもわかるような便利なものでもないんですよ、グスタブ君。ああ、すみません。道を聞き……」
人懐こい笑みを浮かべていた若い女性のほうがレナに気付いて話しかけてくる。だが、レナの顔を見た途端、表情を凍らせた。
「どうした? すまない、ハワード孤児院はどこに?」
壮年の男性が固まった女性の代わりに訊ねる。
「この建物の隣です。孤児院に用でも?」
「あなたは?」
「ハワード孤児院の院長を務めるレナ・ハワードと申します」
「レナ? ……………………失礼ですが、ミナ・バルシュトルミールという名前に心当たりは?」
「!? あなたたちは母の遣いですか!?」
「母? 何を――」
「あの女の娘でしたか」
ドン!
突然、女性がレナとの距離を詰めると、レナの首を片手で掴み壁に叩きつけた。
「ケルスティン! 何をしている!」
「邪魔をしないでくださいグスタブ君。決めました。グレアム君を釣るエサは彼女にしましょう」
その端正な顔に何の感情も映し出さずそう宣言する。
「くっ!」
パァン!
レナとケルスティンと呼ばれた女性との間に不可視の力場が発生し、ケルスティンが吹き飛ばされた。
<フォース・フィールド>
物質の侵入を拒む結界を張る魔術。殺傷力こそほとんどないが敵と距離を取りたい時に重宝する魔術だった。
「ゴホッ。あなたたち、何者? グレアムを知ってるの?」
掴まれた首元に手を添え涙目に誰何する。
「……グスタブ君。彼女を拘束してください」
「……了解した」
レナは裏口に向かって駆け出した。衛兵の詰所に駆け込むつもりだった。だが――
「!?」
グスタブと呼ばれた男に一瞬で回り込まれる。
「【転移】スキル!?」
「正解だ」
レナが魔杖をグスタブ=ソーントーンに向ける。だが、魔術を放つ前に魔杖を持つ手が捻り上げられた。
「手荒に扱うつもりはない。大人しく――!?」
ドン!
突如、横から伸びた小さな足。それがソーントーンの横腹に食い込むと、ソーントーンを吹き飛ばした。
「レナ。夕飯、…………強盗?」
クレア=暁。王国"最強"の剣士を蹴りの一つで吹き飛ばしたのは、小さな少女だった。