15 ムルマンスク事変 その後2
―― XX年前 日本 ――
「『昆虫が人間サイズに巨大化したら、地球は昆虫が支配する』」
「……」
「実にバカバカしい意見だね。まさしく愚考といえる」
「……」
「いいかい? 現在知られている生物種は175万種。そのうち我々人類を含む哺乳類はわずか6千種。植物は27万種だ。これに対して昆虫は95万種も存在している。あらゆる生物の中で、昆虫はもっとも成功し繁栄している種なんだ」
「……」
「『島の法則』というものがある。動物学者のJ・B・フォスターは孤立した小さな島ではネズミやウサギのような小さな生物は大陸に棲む種類よりも体が大きくなる現象を発見した」
「……」
「なぜ、大陸だと体が小さくなるのか。否、体を小さくしているのさ。島にはネズミやウサギを捕食する動物はほとんどいない。対して大陸では天敵はまさに星の数ほどだ。天敵から逃れるために体を小さくする。つまり、あえて体を小さくするという生存戦略なのさ」
「……優」
「体が小さいということは身を守る大きな武器なんだ。体が小さければ、小さな隙間に身を隠すことができる。大きな動物も小さな動物を見逃しやす――」
「また、背の低さをバカにされたのか?」
「……………………」
―― 現在 ムルマンスク ――
ジャイアント・ドラゴンフライという魔物がいる。文字通り巨大なトンボ型の魔物だ。頭から尻尾の先まで8メイル。羽の端から端までは10メイルに及ぶ。ちょっとした飛行機だ。
さて、トンボの飛行能力は生物界でもトップクラスの能力を誇る。急の方向転換に急停止、急加速、空中静止も可能。さらには最高時速は100kmにも及ぶ。
オニヤンマはスズメバチの背後に忍び寄り、長い手足でスズメバチを捕獲する。そうなるとスズメバチは逃れられず、オニヤンマの強靭な顎で捕食されてしまう。
さて、その能力を維持したまま巨大化したジャイアント・ドラゴンフライはたった二、三体、町に表われただけで大騒ぎとなる。ジャイアント・ドラゴンフライ討伐専門の傭兵団も存在するくらいの脅威とされていた。
そんなジャイアント・ドラゴンフライが百体、ムルマンスクの上空に滞空していた。
ムルマンスクの住民は一様に皆、絶望の表情で空を見上げている。
彼らは確信する。
今日、まさにこの時、ムルマンスクが地上から跡形もなく消える日なのだと。
(……?)
だが、不思議なことにジャイアント・ドラゴンフライは襲ってこなかった。人間を見れば見境なく襲ってくるはずの魔物が。よく見れば、その背中に人間を載せているようにも見える。
やがて、そのうちの一体が下降を始めた。そして、領主の館の庭に降り立つ。やはり、その背には人がいる。防寒着に身を包み顔にゴーグルを着けていた。
「おつかれ」
グレアムが言葉をかけと、その人物はゴーグルを外しながら駆け寄ってくる。貴公子然とした面立ちに呆れ顔が滲み出ていた。
「グ、グレアム殿。彼らは?」
ビルギットは言葉を震わせながら質問する。
「うちの航空機動部隊だ。彼はその部隊長のアマデウス=ラペリ」
ビルギットに向け、見事な敬礼を見せるアマデウス。
グレアムは例によって毒スライムをジャイアント・ドラゴンフライの脳に寄生させ、ロックスライムが擬態したコントローラーで操れるようにした。疲れを知らないジャイアント・ドラゴンフライに騎乗したアマデウス率いる航空機動部隊は、今日まで赫々たる戦果を上げ、今ではエース部隊だ。
「エーランドとヨーンも来ているな?」
「はい」
二人はブロランカ島からの最古参年少組メンバーだ。彼らが率いる小隊は上空で待機していた。
「『エーランドとヨーンの小隊はナッシュを捜索』」
『ナッシュ? 裏切者の?』
『あいつが近くに?』
「『そうだ。捕縛しろ。抵抗するなら殺してかまわん』」
『『了解!』』
それぞれ20騎ずつ率いて北と南に飛んでいく。ナッシュは何らかの感知系スキルを持っているようだが、空から見つけさえすれば、まずジャイアント・ドラゴンフライから逃れる術はない。
二人の小隊を見送った後、グレアムはアマデウスに「こいつらを連れて先に帰還してくれ」と孤児院を襲っていたポントス=ヴェリンの兵士を指し示す。ところが――
「お断りします」
「……」
無下に断られる。
「お立場をお考えください。書置き一つだけ残して単独行動など、アルビニオンは上を下への大騒ぎですよ」
「何を大げさな」
電波通信で定期的に所在と無事を知らせていたのだ。大騒ぎするほどのこともない。ちなみにアマデウスは数時間前にその電波通信によって呼び出した。
「はー」
グレアムの返事を聞いてあからさまにアマデウスは大きな溜息を吐いた。
「とにかく、ラペリ隊はオーナーの警護につかせていただきます」
アマデウスがさっと片手を上げると20体のジャイアント・ドラゴンフライが下降してくる。20名の兵士が素早く地上に降り立ちザッとグレアムの両脇を固めた。警護というより、逃がさないという意志を感じさせる。残りの40騎はそのまま上空で警戒を続けるつもりのようだ。
「……なあ、呼び出しておいてなんだが、何もムルマンスクの直上に現れる必要はなかったんじゃないか?」
威圧感がすごい。グレアムとしてはムルマンスクの郊外で接触するつもりだったのだが、アマデウスはグレアムがムルマンスクにいると知ると、そのまま防壁を飛び越えてきてしまったのだ。フランセスに許可をもらっていなければ侵略行為と受け取られてもおかしくはない。
「敵地ですよ。よからぬことを考える者が出ぬようにするは当然かと」
まあ、それもそうかと、グレアムは思う。
「すまないが少し我慢してくれ。なるべく速く用事を済ませて帰るから」
青い顔のビルギットに話しかける。
「できればすぐに帰還していただきたいところですが」とアマデウス。
「もう少しだけ待ってくれ」
ムルマンスクに来た本来の目的をまだ果たしていない。
ハワード孤児院。
王国の"魔女"ケルスティン=アッテルベリに連れ去られたというレナ・ハワード。その事実確認が主な目的であった。