14 ムルマンスク事変 その後1
ムルマンスクは王国勢力に属する。その地に王国の反逆者グレアム・バーミリンガーが単身でいるという異常事態にフランセス・ラビィットは困惑を覚えていた。
「少しお待ちください」
フランセスがウルリーカを伴って部屋の外に出ようとする。その前に、グレアムはベリトとビルギットの無事を伝えた。
「っ! ――母として感謝いたします」
深々と頭を下げるフランセス。責任ある者の立場として一度は娘を見殺す決断をしたとしても、本意であったわけではない。目の端に涙を浮かべ娘達の無事を喜んでいた。
残されたグレアムは、踏み潰されたと思しき複数の死体の前に立つ。この中に元戦団員で裏切者のナッシュがいるかと思ったが、よくわからない。いない気もする。まだ生きているなら追うことにする。命まで奪う気はないが、これ以上、放置する気もない。
グレアムはサンダースライムのアマギを亜空間から取り出した。最近、実用化に成功した電波通信を試みる。スライムの思念波を使った通信と比べて盗聴の危険性は跳ね上がるが、やはり2キロメイルの制限がないのは大きい。
「――――――――」
ジャンジャックホウルとの通信が完了したところで、フランセスが次女のビルギットを伴って戻ってきた。ウルリーカはベリトと着替え中か、傍にはいなかった。
「ウルリーカを助けていただき感謝いたします。ただ……」
「ただ?」
「いえ、まずは事態の収拾に努めたく思います。そこで――」
フランセスはグレアムに事態収拾の協力依頼を申し出た。要はグレアムがかけた<パラライズ・クラウド>を解除してほしいということだ。通常ならばとっくに効果は切れているはずだが、グレアムは効果持続時間を30倍にしていた。
「あと2時間ほどで効果は切れるが?」
「女性に恥辱を与える趣味でも?」
「……そうだな。寒くなってきたし」
フランセスのこめかみに青筋が浮かんで見えた気がした。
「ゴホン。しかし、解除するには<魔術消去>を使う必要がある。ムルマンスクにあるオリハルコンギアを全部ダメにしてしまうぞ」
弁償しろと言われても、そこまでする義理はない。
「ポントスの兵士が抵抗を続ける可能性もありますので、こちらとしてもそれはしていただきたくありません。ですので――」
まずは、ムルマンスクの騎士と兵士のパラライズを小規模な<魔術消去>で解除する。自由になった彼らが一定数いればポントスの兵士を拘束しつつ、麻痺状態を解除する魔道具を持たせて走りまわせることもできるとのことだ。
「わかった。ところでハワード孤児院を襲っていた連中を捕虜として受け取る約束をしているんだが」
「ウルリーカから伺っています。ムルマンスクの領主として引き渡すことをお約束しましょう」
「それなら連行するための兵をムルマンスクにいれたい。許可してくれ」
その言葉に、それまでフランセスの隣で二人のやり取りを聞いているだけであったビルギットが顔色を変える。
「!? それは――」
「……何名ほどでしょうか?」
「百人だ」
「承知しました」
「お母様!」
抗議するビルギットにフランセスは首を横に振る。ビルギットはグレアムの軍勢にムルマンスクが占領されることを心配しているのだろう。
「彼が本気であれば、それを防ぐことはできません」
「……」
フランセスの言葉にビルギットは不承不承、頷く。ただ、この件に関してはビルギットの方が正しかった。無論、グレアムにムルマンスクを占領する意志はない。ないが、フランセスはまだグレアムという人物を見損なっている。そのことをフランセスはすぐに思い知ることになった。
「グレアム様。ビルギットをお連れください」
「彼女の指示で解除していけばいいんだな」
「差し支えなければ」
「問題ない」
「ふわっ!?」
グレアムはビルギットを抱きかかえると<飛行>を使う。
「グ、グレアム殿!? じ、自分の足で――」
「こちらの方が速い」
「――っ!」
二人を見送ったフランセスは踵を返す。山積みとなった仕事に軽く頭痛がする。しかも、これから非情な決断をしなくてはならない。そのことがフランセスの足取りを重くさせていた。
◇
意外にもムルマンスク側の犠牲者は驚くほど少なかった。ムルマンスクの騎士団と傭兵ギルドは一般市民に偽装して潜伏していたテオドス軍によって奇襲を受けた際、すぐに降伏したからだ。
「ギルドと共同で魔銃の研究を進めていたのが功を奏した」とはビルギットの言葉だ。
魔銃の威力を熟知していた彼らは魔銃を突き付けられた時点で抵抗を諦めた。反撃の機会を伺うため騎士団長のビルギットとギルド長のエルザはあえて虜囚となることを選択した。
「騎士団長なのか?」
「お飾りだ。領主の娘で【剣術】スキルを持っていたからな。おかげで私の指示に従わない者も出て殺されてしまった」
「……」
魔銃が人間同士の争いに使われることも想定していたとはいえ、実際の事例を目の当たりにすると気が重くなる。だた、その殺された者も運がない。グレアムはポントスの兵士にムルマンスクが襲われていると察した時点で魔銃の心臓部であるロックスライムに発砲を停止させていた。孤児院の子供達が魔銃で殺されでもしたら――
「やはり、魔銃はすべてあなたが制御できるのだな」
「まあな」
「……コアさえあれば安価で製造できる上、短期間の訓練期間で済む。さらに十分な数のスライムがいれば魔力切れの心配もない。魔銃は今後、あらゆる戦いでなくてはならないものになる」
「……」
「そうなれば、誰もあなたに逆らえない」
「……」
「狙ってやっているとしたら、あなたはとんでもない悪党だ」
「……前半は否定するが、"悪党"という部分には同意するよ」
帝国では火薬式の銃が軍に普及しているという。王国にもやがてその技術は流れてくるだろう。魔銃一つ使えなくなるだけで、人が人との争いを止めるとは思えない。火縄銃を持った群衆がアルビニオンに押し寄せる光景をグレアムは夢想した。
「悪党の最後は大抵、ロクでもない」
グレアムとビルギットの前には拘束されたポントスの兵士達がいた。
ひととおり、騎士団の麻痺は解き終わっている。フランセスは約束通りハワード孤児院を襲っていた兵士をグレアムの前に引きずり出した。
「拷問でもする気か?」
だとしても、ビルギットに止める気はない。侵略側の兵士の処遇など、殺すか良くて奴隷落ちだ。
「まさか。もっといい活用方法がある」
「活用方法?」
「とりあえず、首を切っても死なない実験の材料だな」
「……え?」
聞き間違いかとビルギットは耳を疑った。どんな生き物も首を切られれば死は免れない。
「動物実験まではやっててな。人体実験に切り替えたかったんだが、さすがに良心が痛んでな」
グレアムの言葉を聞いて青い顔をする兵士達。彼らならばグレアムの良心は痛まないということか。
「俺は"悪党"だからな。お前らの命、有効に使わせてもらうぞ」
ビルギットは彼らに同情する気はない。ないが、今、ここで殺してやるのが大地母神の御心に叶うのではないかと真剣に悩んだ。だが、その悩みはすぐに打ち切られることになる。
一人の兵士が慌てたように飛び込んできたからだ。
「ま、魔物の大群がこちらに向かってきます!」