6 ムルマンスク事変4
ジョセフの第三王子ケネットと第五王子クリストフによる王位を巡る争いは、廃嫡された元王太子アシュターのクリストフ暗殺という衝撃の結末で決着を見る。
この予想外の結末にポントス=ヴェリンは焦った。内乱は長引くと思い、何かと理由をつけてどちらに味方するかを明らかにせず兵を出し渋っていたからだ。
日和見を決め込んでいたポントスに新王となったケネットの心象がいいはずもない。最悪、領地を取り上げられるかもしれない。
(いっそのことグレアム・バーミリンガーとかいう成り上がりものに恭順しようか)
既にグレアムに恭順を誓った貴族の遇し方を見れば、ポントスがそのように考えても不思議はなかった。グレアムはよほど酷い統治をしていない限り、ほとんどの領地を安堵したからだ。
ポントスがそれを本気で検討を始めた頃、一人の男がポントスに面会を申し込んでくる。とある高名な工房で魔道具師の助手を務めていたという。
「おまえがナッシュか」
「へい」
顔に大きな傷を持つ男だった。
「おまえが持ち込んだ資料、なかなか興味深かったぞ」
「へへ、そりゃ、お持ちした甲斐があったってもんです」
「ほれ」
無造作に銀貨が入った小袋を投げつける。ナッシュはそれを拾い中を見ると顔を顰めた。
「へへ、ご冗談を」
「盗人なんぞと歓談する趣味はない。本当に魔道具師の助手であれば、魔道具の一つも作って見せたはずだ。どうせ、どこかの工房から盗んできたのだろう」
「……」
「さっさと出ていけ。それとも首を斬られたいか?」
「へへ。まぁ、旦那。こちらを見てからでも遅くないのでは?」
ナッシュが取り出したのは"極秘"、"廃棄"と表紙に大きく印字された資料だった。
「先にお渡しした資料は興味を持っていただくための撒き餌みたいなもんでして。本命はこちらでさ」
(無礼なやつめ。下らないものなら本当に首を斬ってくれる)
そう思いながらポントスが資料を捲っていく。そのたびに、ポントスの表情が真剣なものへと変わっていった。
「へへ。こいつの価値をお分かりになっていただけたようで」
「……これに書かれていることは本当なのか?」
「あの天才魔道具師ウルリーカ・ラビィットの研究資料ですよ。間違いはないかと」
ウルリーカ・ラビィット。
その名はポントスも聞いたことがある。なるほど、ナッシュが働いていた工房というのが、あのウルリーカの工房というのであれば、あの研究資料の質の高さも納得がいく。
その上でポントスは思考する。もし、この魔道具が実現できれば、王家にもグレアムにもおもねる必要はなくなる。それどころか、このポントス=ヴェリンがこの大陸の新たな覇者として君臨できるかもしれない。
ポントスの野心がムクムクと首をもたげる。
(もしや、これは天命なのではないか)
近隣のムルマンスクやアルムシンシアを始め、各地の諸侯は内戦に兵を出して戦力を落としている。対してポントスは兵を温存していた。
それは単に日和った結果にしか過ぎないことも忘れ、自分の都合のいいように考え始めた時点でポントスは既に心を決めていたのかもしれない。魔銃の運用と戦闘知識をなぜか持っていたナッシュを側近として雇い入れ、軍事侵攻の準備を始めるまで、さほど時をおかなかった。
それから数カ月。
拠点のテオドスから馬を走らせること一昼夜。
まさにポントス=ヴェリンの輝かしき歴史の一頁目にふさわしい晴天の日。ムルマンスクからいくつもの煙が立ち昇っていることを確認したポントスは、開け放たれた門の一つに急行した。
ポントスの軍勢が近づいても、門扉を閉じる様子が見られない。勝利を確信したポントスはそのまま悠々と門をくぐる。
「お待ちしておりやした」
先行していたナッシュが出迎える。
「ご苦労。して首尾は?」
「主要施設は制圧済みでさ。領主一家も拘束しとります」
ポントスはあらかじめ多数の兵士を商人や旅人に扮装させムルマンスクに送り込んでいた。魔銃もマジックバッグでまとめてムルマンスクに運び込んでいる。
そうして、ポントスの侵攻にあわせて一斉に蜂起するように命じていた。
「よくやった! これから日没まで略奪を許す!」
ポントスの宣言に兵士達は沸いた。
兵士達にはこれからも存分に働いてもらう必要がある。多少の褒美は必要だろう。
喜び勇んで散っていく兵士達を尻目に、ポントスはナッシュの案内で領主の館へと向かった。
「ヴェリン卿、これはどういうつもりです!?」
領主のフランセス・ラビィットとその娘二人が縛られ、床に跪かされていた。
「やあ、相変わらずお美しい」
世辞でなく心からそう述べるポントス。美人というのは怒った顔でさえそそられる。
「答えなさい、ヴェリン!」
「見てのとおりですよ。ムルマンスクは我がテオドスに侵略された」
「王家が黙っていませんよ!」
「はん! 今の王家にどれほどの力があると!?」
「……」
黙り込むフランセス。
それにしても見れば見るほど美しい。
(殺すには惜しいか)
いやそれはダメだ。生かしておけば面倒なことになる。特にウルリーカだ。
「ウルリーカとかいう魔道具師はどっちだ?」
ポントスは娘二人を見やってナッシュに訊いた。
ウルリーカがフランセスの娘だということは知っていたが顔までは覚えていない。
「ここにはいやせん。今朝方、ムルマンスクを離れたようで」
「なに!?」
「ご安心を。完全武装した騎兵小隊に追わせていやす。今頃、首を持ち帰っている途上かと」
「確かだろうな?」
「果報は寝て待てと申しやす。吉報が届くまで楽しまれては?」
「……それもそうだな」
街の炎と血の匂い、そして侵略に成功した興奮で体の一部が滾っていた。
下卑た笑みを浮かべるポントスにフランセスは侮蔑の視線を投げつけた。
「娘二人は褒美だ。好きに使え」
ポントスの言葉に熱狂する兵士達。フランセスの長女と次女は母親似の美形だった。
「勝手なことを!」
「勝者の特権というやつですよ。さて、それでは――」
ポントスと兵士達の手がフランセス母娘に伸びーー
「「「!?」」」
突然、黄色味の霞が周囲を覆い、何も見えなくなる。しかも、ポントスは手を伸ばした姿勢のまま、体を動かせなくなっていた。
(な、なにが!?)
しばらくして霞は消えたが周りの兵士達も目の前のフランセス達も驚愕の表情のまま、まるで石になったように硬直していた。