4 ムルマンスク事変2
「せーのっ!」
<筋力増加>を自分にかけたグレアムと御者のトーマス、そして農夫の青年アルフは横倒しになった馬車の客車部分を協力して持ち上げた。地面と客車にできた隙間に体を差し込み背中で押し上げる。
ドスン!
大きな音を立てて客車はもとに戻る。
それからトーマスは客車の点検、アルフは逃げた馬を探しに行く。グレアムも空から馬を探そうとするが、その前にジェニファーに呼ばれてしまう。
「ど、どうぞ、いってください、グレアム様。雑用はこちらでやっときます」
アルフは恐縮していた。ムルマンスクまでの道中でたまたま声をかけた若者があのグレアム・バーミリンガーだと知ってから、ずっとこんな調子だった。
「頼む」
ジェニファーの主人のウルリーカはまだ着替え中だ。木の枝にかけたシーツの向こう側で着替えている。その傍にメイドのデネブがいた。デネブはグレアムに頼みたいことがあるらしい。
「一時、主の護衛をお願いしたい」
ジェニファーがウルリーカの手伝いにシーツの向こう側に姿を消すとデネブがそう切り出してきた。
「それは構わないが」
メイドの恰好をしているが、もしかして騎士なのかもしれない。赤の他人に主の護衛を頼むなど、さぞ不本意だとでも言うかのように眉間に皺をよせている。
(いや、これは……)
タウンスライムのムサシも警告を発している。デネブはグレアムに敵意を向けていた。
デネブがスカートの下から刃物を取り出したのを見て、警戒するグレアム。だが、デネブはグレアムを無視して林の奥に入っていった。そこにはポントス=ヴェリンの兵士が二人拘束されている。
デネブは兵士の一人に二言、三言、何か話しかけた後、取り出した刃物――鎌のような形状の刀剣――を振ってスパッとその首を切った。それを見て青くなるもう一人の兵士。猛烈な勢いで喋りだし、訊くことがなくなるとみるやデネブは再び鎌を振って首を切り落とした。デネブは落とした首二つを林の奥に向かって投げ捨て、体も茂みに隠す。
デネブのこの容赦のない行動にグレアムは哀れとは思うが止める気にはなれなかった。ジェニファーを危険に晒したこの連中は既にグレアムの敵である。
一方、この一連の処理を極めて短時間で、しかも返り血を一滴も浴びることなく行ったデネブは鎌をスカートの下に収めて戻ってくる。
そうしてグレアムと離れて横に並ぶとウルリーカの着替えが終わるのを待った。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……その鎌、すごい切れ味だな。<鋭利付与>がついた魔道具か?」
「……」
「……」
「……」
「……」
ピーヒョロロー。
トンビの鳴き声が空しく響く。
それから小一時間後――
「お待たせしましたわ!」
身形を整えたウルリーカがジェニファーを伴って現れた。
「ほんとにな」
「え?」
「ゴホン。それで今後の予定は? ムルマンスクの方から来たようだが……」
「私たちはここより北の叔父上が治めるアルムシンシアに向かう途上でしたの。ですがムルマンスクに戻ることにいたします。ご同行をお願いしても?」
「そちらが構わないのならば」
グレアムはデネブを見やった。ウルリーカはそれで何かを察したのだろう。
「っ!? デネブ! あなた!」
「準備をしてきます。お嬢様」
デネブは一礼すると馬車の準備をしているトーマスのもとに足早に去っていく。
「……彼女の主として無礼を謝罪します」
ウルリーカが頭を下げる。
「いや、いい。頭を上げてくれ」
「ですが――」
「問題ない。ジェニファーを助けてくれた彼女に感謝している」
馬車が横転した時、ウルリーカとジェニファーが比較的軽傷だったのはデネブが自分の体をクッション代わりにしたからだという。
「ただ、なぜ彼女は俺に敵意を向けているのか理由を訊いても?」
「……ジェニファー、あなたもトーマスの手伝いを」
「はい」
またあとでね、とジェニファーが手を振って去っていく。
「原因は魔銃ですわ」
ジェニファーが十分に離れたことを確認した後、ウルリーカはそう切り出した。
グレアムは王国の村にも薬裡衆を使って魔銃を配った。当初は国境付近の村にだけだったが、魔銃の有用性が知れ渡るにつれ、魔銃を求めてジャンジャックホウルに王国の村人や商人が殺到する。
彼らに対しグレアムは求められるまま充分な数を提供した。そうして、種子島に伝来した鉄砲のごとく、魔銃は短期間で王国中に広がることになる。
それに対し各地の領主の対応は大きく三つに分けられた。完全拒否と消極的容認、そして積極的容認だ。
まず一部の領主は領民が魔銃を所持することを禁じた。魔銃を所持していることが発覚すれば厳しい罰を与えるとも。しかし、これは領民の大規模な反発を招く。魔物や野盗に向けられる銃口は領主が派遣した騎士と兵士にも向けられることになった。魔物や野盗に怯え続けた領民にとって、魔銃は手放せないものになっていたのだ。
第三王子と第五王子の王位を巡る争いに参加したことで力を落としていたこともあり、領軍に領民の反乱を止める力はなく、最悪の場合、魔銃から放たれた<炎弾>は、領主とその家族の命にも届いた。
「実に見事な戦略ですわ。いずれ、この王国に侵攻した時、魔銃をコントロールできるあなたを領民は諸手を上げて歓迎せざるを得ない。そして、魔銃で武装した領民を敵に回したくない領主もあなたに恭順を誓うしかない。あなたは戦わずして王国の支配を完了させつつあるのですわね」
魔銃の心臓部がスライムであることは既に公然の秘密となっていた。【スライム使役】を持つグレアムは魔銃を使えなくすることも、先ほどポントス=ヴェリンの兵士にやったように<炎弾>を逆に放つこともできる。
「もちろん王家が本腰を入れて弾圧に乗り出せば、どうなるかはわかりません。ですが、それを口実にあなたは王国へと侵攻するのでしょう。王都までの途上で魔銃を持った領民を吸収していけば、少なく見積もっても二十万の軍となる。王国は、どうあがいても詰んでいますわね」
「……」
ウルリーカの話を聞いていたグレアムは気分が沈んできた。自分がものすごい極悪人のように思えてきたからだ。領民の安全を盾にして、自分に従えと強要しているようなものだからだ。デネブが敵視してくる理由が少しわかった気がした。
(まぁ、いまさらか)
「……なんだかものすごく不本意だと言いたげですわね」
「まあな。王国の領土を分捕っといて言うのもなんだが、俺は別に王国を支配したいわけじゃない」
「……意外ですわね。それならなぜ魔銃を?」
「必要だからだ」
この世界の魔物の脅威は日本のセアカゴケグモの比ではない。人々が安心して暮らすには今現在発生している魔物を駆逐する以外にないのだ。魔銃を配布したのはグレアムにとって育った国への恩返しのつもりもあった。
全米ラ〇フル協会じゃないが、人間を見れば狂ったように襲い掛かってくる魔物が存在するこの世界では魔銃の普及は正義なのだ。
「正義ですか……。それによって犠牲がでようと構わないと」
「構わなくはないさ。だが、社会が一時的に混乱しても魔銃から得られる恩恵は大きい」
毎年、何万件の交通事故が発生しようとも、自動車をなくせない理由と同じだ。
そこでグレアムはふと思いつく。
「もしかして、デネブの身内に犠牲者が?」
「……彼女の夫が、魔銃の暴発事故で」
「……そうか。それは、恨まれてもしょうがないな」
結局、それらの罪も全部背負って地獄に落ちるのだ。
既に、罪業は遥か高くに積み上がり、贖うには永遠とも思える時が必要になると思えた。
「彼の死はラビィット家に責任がありますわ」
民から魔銃を取り上げることはできないと悟った領主達は魔銃を黙認するようになる。そして、中には魔銃を積極的に活用する者も出てきた。その例がポントス=ヴェリンだった。
ヴェリンは余剰分の魔銃を村民から買い取り兵士に与えることで領軍の補強を始めたのだ。
それに対抗しラビィットも魔銃を集め始める。デネブの伴侶はその過程で事故死したのだいう。