126 エビローグ5
パキッ!
昼食に供されたカニの脚が小気味よい音を立てる。
殻から取り出したプリプリのカニの身を口に含むと滋味が口中に広がった。
うまいなと、ヘリオトロープは思う。前世のヘリオトロープはカニを食べることができなかった。この美味を味わえるようになったのは役得というやつだろう。
(そういえば……)
田中ジロウにカニミソはカニの脳みそだと吹き込んだことを思い出した。ちょっとした冗談だったのだが、普段、疑り深い彼が素直に信じたのは驚いた。異世界転移部なんてアホなことばかりしていた当時の自分だが、意外にもあの頃から信用されていたのかもしれない。
結局、訂正する機会もないまま死に別れてしまったが、ジロウはちゃんと修正できただろうか。例えば、私が死んだ後に付き合った女に、笑われながら指摘されて――
バキッ!
二本目のカニの脚は思いのほか大きな音が立った。その音に正面に座る少年の肩がビクリと震える。
「どうしたんだい? 食べたまえ」
「はっ」
少年は手つかずだったカニの身を口に含んだ。それを見届けたヘリオトロープは――
「以前の私はカニが食べられなくてね」
「……」
「甲殻類アレルギーって知ってるかい? カニやエビを食べると全身に蕁麻疹が出て、ひどいときには呼吸困難で死にいたる」
ヘリオトロープの言葉を聞いた少年は顔を青くして口を抑えた。料理に毒が入っていると誤解したようだ。
ひどい誤解だ。食べ物を大事にする元日本人の自分としては、そんな食べ物を台無しにするような行為…………めったにしない。
「どうかしたかい?」
ヘリオトロープの質問に少年はゴクリと料理を飲み込んだ後――
「いえ、口慣れぬ美味に思わず驚いただけです」
軽い嫌がらせだと理解したのだろう。何事もないように答えて見せた。
ヘリオトロープにいたいけな少年をいたぶる趣味はない。そもそも目の前に座る少年は少年ではない。ヘリオトロープが知る限り齢六十を超えている。彼は大人や老人になっても見た目が子供のままの小人族の長老だった。
その小人族随一の戦士――ミリー・スレッドグッド――"万能の弓手"
その彼女が、長年の忠臣と有能な将校の命を奪い逃走した。
嫌がらせの一つもしたくなる。というか嫌がらせで済ませる自分の寛容さに感謝してほしい。無論、ミリー本人を許す気は毛頭ないが。
ヘリオトロープが小人族全体の責を問わないのは、せっかく手懐けた亜人を離反させたくないから。そして、ほんの少しだけ彼女自身にも負い目があったからだ。
フォロワーに狂信者。
前世でも田中ジロウに対して軽いファンから深刻なストーカーまで、そういう存在はいた。転生して体質は変わっても、個性が変わるわけではない。当然、今世でもそういう存在が出てくることは想定しておくべきだった。誘蛾灯のように田中ジロウ=グレアムという強烈な個性に引き寄せられる存在を。
(まぁ、私もその一人だったわけだが……)
無駄に彼を悲しませることになったのは痛恨の極みだった。それゆえに一層、ミリーに対して怒りがわき上がる。
「彼女の件はどうするつもりかね?」
「一族総力をあげて捜索中であります。近日中には陛下の御前にミリーの首をお届けいたします」
「……」
期待できないなとヘリオトロープは思った。
伊達に"万能の弓手"と呼ばれていない。十代半ばであらゆるサバイバル技術を身につけた天才レンジャーだ。身を隠す術にも長けている。全力で潜伏されると、それこそ【サベイング】でもなければ見つけ出すことは不可能だ。
仮に見つけ出せたとしても、殺すのはさらに至難だ。ミリーは非公式ながら六武王の一人"弓王"に勝利したことがある。彼女が"弓王"になれなかったのは亜人だからという理由に他ならない。
「よかろう。期待しているぞ」
失敗する公算が高いと思いつつもヘリオトロープの立場ならばそう答えるしかない。
「ははっ!」
早々に席を立って退出する長老の背中を見つめながら、おそらく自らの言葉を違えることになる彼に、どのようなペナルティを与えるべきかを考えていた。
◇◇◇
ミリー失踪から一年後のクサモ郊外。
蟻喰いの戦団副団長となったリーは指令所となる高台で軍事演習を眺めていた。
眼下に広がる兵の数は既に戦団を超えて軍団の規模となりつつある。グレアムは近々、戦団を解体し軍として再編成すると表明していた。
その一軍を将として任される予定のリーの表情は苦々しい。
「うい、お疲れ」
その不機嫌な次期将軍に気兼ねなく声をかける男がいた。
「……不死身のジャックスか」
「それはやめてくれ」
心底、嫌そうな顔をするジャックス。
クサモの"ロードビルダー"迎撃戦において、ジャックスはレールガンで狙撃する任務を負っていた。時間もない中、ジャックスは王国討伐軍が掘った坑道を利用することにした。水が引いた箇所からディーグアントで地上まで掘り進めて、そこを即席のトーチカとしたのだ。
そうして狙撃には成功したが"ロードビルダー"の重力魔法による反撃でトーチカは崩落。ジャックスが無事だったのはタウンスライムのおかげである。
銃身交換のため亜空間を展開しようとジャックスは自分のタウンスライムに触れようとするが、タウンスライムはジャックスの指を避けてレールガンの下に潜り込んでしまったのだ。
突然のことに疑問を感じつつもジャックスもタウンスライムを追ってレールガンの下に潜り込む。おそらく、タウンスライムは"ロードビルダー"の敵意を感知したのだろう。重力魔法が来たのはジャックスがレールガンの下に潜り込んだ直後だった。
上級竜は魔法を使うらしいが、その魔法をアダマンタイトは防ぐという。アダマンタイトで補強されたレールガンによってジャックスは重力魔法の直撃を浴びずに済んだ。そして、降ってきた大量の土砂はタウンスライムの亜空間に逃げ込むことで回避する。
春嵐作戦において、放出した大量の海水に流されてしまった場合、その後の電撃から身を守るために亜空間に逃げ込むように指示されていた。そのため、亜空間には空気が溜め込まれていたのだ。そこからタウンスライムが何とか地上まで這い出てくれてジャックスは九死に一生を得たのだ。
この絶望的な状況から生還したジャックスを仲間達は"不死身のジャックス"と揶揄したのである。
「ジャックス=イモータルという家名をつけたんじゃないのか?」
リーの言葉にジャックスはますます顔を歪めた。当初はジャックスも調子に乗って、そう名乗ろうとしたのだが――
「嫁さんに怒られたよ。ネル・イモータルなんて、恥ずかしくて名乗れないってな」
「はは。すっかり尻にしかれてんな」
「うるせえ。リーも早く家名を決めろとさ」
リーは王国八星騎士に任じられた際に"バストローミュ"という家名を与えられていたが、リーはその偉そうな響きが気に入らず、王国を出奔してからは家名を捨ててしまったのだ。
「ん~。じゃあ、リー=テルドシウスで」
「テルドシウス? どっかで聞いた名だな?」
「兄貴の名前だ」
「ああ」
リーはあまり自分のことを話さないが、帝国の貧しい農村出身で兄がいたという話は聞いていた。兄と一緒に傭兵団に入って、そこで兄を亡くしたとも。
「おまえのほうこそ家名は決めたのか?」
「ああ。"ジャックス"だ」
「……え?」
「ジャックス=ジャックスだ」
「…………」
古い部族は『俺は〇〇の子、××だ』と名乗ることがある。それらの部族は国に吸収されていく形で消えていったが、その名残から父祖の名前を家名にすることがある。
ゆえに人の名前が家名になることは珍しくないのだが、まだ生きている自分の名前を家名にするのは……、すごく珍しい。
「……嫁さんは何も言わなかったのか?」
「わかりやすくていいと喜んでいたぞ」
「……そうか」
まだ、"イモータル"のほうがマシだと思うが、人の感性は様々だ。リーは何も言わないことに決め、少し強引に話題を変えることにした。
「例の開通工事は終わったのか?」
王国とイリアリノスの間にあるトラロ山脈。"ロードビルダー"はその山脈を割るように長大な道路を作り上げたが、王国まで残り数百メイルという状態で中断された。ジャックスはその道路と王国を結ぶトンネル工事の任務に就いていた。
「随分と時間がかかったな?」
「開通自体はすぐ終わったんだがな。イリアリノスから流入する難民が日に日に増えていってな。別のトンネル掘って、そこから拡張工事をやって、ついでに彼らの護衛もやって……、とにかく大変だった」
"ロードビルダー"に侵攻を受けたイリアリノス連合王国だが、意外にも被害は少なかった。"ロードビルダー"の眷属である"ロードランナー"は百万はいたらしい。そいつらが無秩序に村や町を襲っていれば、もっと被害は大きかっただろうが、なぜか"ロードランナー"は"ロードビルダー"が作った道路から大きく外れて行動しなかった。
だが、国が無くなったことで無法者が蔓延るようになり、彼らや魔物を退治する騎士や傭兵もいなくなった。さらには神出鬼没の黒い上級竜も頻繁に襲来するようになり、旧イリアリノスの民達はこぞって逃げ出したのだ。
イリアリノスは聖国にも繋がっていたが、民の多くは王国に進路を取った。上級竜によって国を失った彼らは、"上級竜殺し"の名声に引き寄せられたのだ。
グレアムは彼らを受け入れ、魔物が出るため放棄されていた土地を与えた。価値の高い素材となる魔物が出る場所はクサモと同じ方法で処理し、そうでない場所は聖女が浄化した。人口増加によって一時的な食糧不足にも見舞われたが、グレアムが新しい肥料を開発したことでそれも解消しつつある。
「で、今度は俺の手伝いにきたわけか。ご苦労さん」とリー。
「まぁ、そうなんだが……」
眼下で繰り広げられている軍事演習はお世辞にも上等といえるものではなかった。
フラッグの旗振りや太鼓、ラッパの音に合わせて行動させているのだが、進もうとする兵と下がろうとする兵で衝突し、いたるところで混乱が起きている。これならピクニックに行ったガキどものほうがまだマシな動きをする。
「こりゃ、小隊単位での作戦行動なんか無理だな」
ジャックスの言葉にリーは頷いた。
「兵士の質もよくない」
グレアムは魔銃の使用料として村の規模に応じた人数を供出するように命じていたが、人数以外に特に指定しなかった。そのため、優秀な人材は村の発展のために残り、使えない者や厄介者が送り出されたようだった。
「せいぜい横一列に並べて前進させるぐらいしか使えないな」
「それでも<銃盾>があるからそうそう死ぬことはないだろうが……。そうか、グレアムの奴、これを想定して魔銃にシールドをつけていたのか」とリーは顎に手をあてて何やら納得したように呟いた。
「ああ、そういえば見込みのありそうな奴はジャンジャックホウルに連れて来いとさ。士官候補として教育するらしい」とジャックス。
それを聞いたリーは一瞬、嫌そうな顔をする。兵士の多くは取るに足らない連中だが、自らの意志で志願した者もいて、能力も比較的高かった。リーはそういう連中を自分の側近として育てるつもりでいたのだ。だが……
「……ロハで高等教育を受けられるうえに、高給も期待できる士官になれるとわかれば、もっと人材は集まるか。わかった、何人か使えそうな奴がいるから近日中に送ると伝えてくれ」
「了解。それと――」
ジャックスとリーはそれからいくつかのやり取りを行う。
軍事演習は結局、最後まで動きが揃うことはなかった。
◇
クサモは現在、数万規模の兵士を育てる駐屯地として急ピッチで整備を進められていた。そのクサモの一角にリー=テルドシウスの館がある。新たに作らせた館には秘密の地下室があった。
リーは深夜、一人、そこに降りていく。
私的に雇った番人が出迎えた。
「あいつは?」
「特に変わりなく」
がっ、がっ、がっ、がっ、がっ
暗闇の中から何かの音が響く。
リーがランプを掲げると、巨大な檻が照らし出される。
その中では皮膜の翼を持つ竜が肉塊を貪り食っていった。
"ロードリサーチャー"と呼ばれる翼竜だ。
「よう、元気そうだな。ネイサン某」
リーがそう話しかけると翼竜は掠れ声で叫ぶのだった。
「……ム……シ……ケ、ラ」