125 エピローグ4
話は"ロードビルダー"撃破直前まで遡る。
ヒポグリフに乗ったドッガーことドレガンス・エレノア中尉とキャサリン・ウーヴレダル少尉はクサモのすぐ近くまで来ていた。
だが、クサモの上空は謎の人型ドラゴンの群れに覆われ、それを排除すべく放たれる対空砲火の嵐で容易に近づけない状況にあった。クサモの部隊と連絡を取ろうにもなぜか通じない。どうするかとドレガンスが思案していると――
「っ!? 中尉、あそこに降りてください!」
後ろに乗るキャサリンが指を差す。そこは何もない山の中だった。樹々が邪魔してヒポグリフで降りるのは無理そうだ。いや、近くに少しだけ開けた場所がある。そこに降りれば、指定場所まで徒歩でいける。
「あそこに何かあるのか?」
「"伍長"がいます!」
「……わかった」
キャサリンのスキルは【サベイング】。彼女がそこにいるというのであればまず間違いない。
ドレガンスは山の中に降り、キャサリン先導のもと、そこに近づいていった。
そこには火縄銃を何十倍にも大きくしたような砲身を持つ銃と、その近くに顔を伏せて蹲る少女がいた。
「ミリー・スレッドグッド伍長。ここで何をしている?」
キャサリンの声に少女はゆっくりと顔を上げた。
「ドッガーさん。……ウーヴレダル少尉、なぜここに?」
そう問うミリーの顔は泣いていた。
「私たちのことはどうでもいい。それよりもここで何をしている?」
「……撃てませんでした」
「なに?」
「撃てなかったんです。撃てと言われたのに、やっぱり撃てなくて。
どうしても指が動かなかったんです!」
事情が呑み込めないキャサリンにドレガンスが説明する。ミリーはクサモに迫る王国討伐軍に対する保険としてクサモ近郊に潜伏するように命令されていた。グレアムやクサモの戦団が対処できない脅威が現れた場合、レールガンで排除するためである。
敵にしてみれば、クサモという攻撃目標とは別方向からの不意の一撃はそうそう防げるものではない。そのためミリーに許された狙撃機会はただ一度とされていた。
その貴重な一度を、彼女は撃てなかったのだ。
彼女自身の心の傷によって。
「何と情けない。それが"万能の弓手"とまで謳われた帝国軍人の姿ですか!」
"ミリー・スレッドグッド伍長"
蟻喰いの戦団随一の射撃の腕を持つ少女の正体は帝国軍人である。彼女は――彼女と彼女の兄はヘリオトロープの計らいでドレガンスの護衛のために派遣された小人族の戦士だった。
GUOOOOOOOOOOOOOOO!!!
一方、クサモの状況は刻一刻と変化していた。
クサモの近くに身の丈五〇〇メイルを超える巨大な人型ドラゴンが出現していた。
「っ!? 伍長! 今すぐあれを撃ちなさい!」
「――無理です!」
「無理ではありません! ここです! あいつのここを撃つんです!」
そう言って、キャサリンは自分の右胸部分を指差す。そうして、ミリーの首根っこを掴んでレールガンのスコープを覗かせた。
「……ああ、ダメです。指が固まって、――撃てない」
「ならそこをどきなさい! 私が撃ちます! ――っ!」
ミリーの代わりに狙撃スコープを覗いたキャサリンは、その目標のあまりの小ささに思わず絶句する。的は大きいが"ロードビルダー"本体の大きさは二〇メイルほど。スコープは<視力増加>の魔道具のようだが、キャサリンの腕でニキロメイル先の標的を正確に狙い撃つには性能が足りていない。
キャサリンは一度、試射して誤差を修正しようと考えるが、それを察知したドレガンス中尉に止められる。
「止せ。レールガンはピーキーだ。簡単に二度撃ちできるものではない」
「ですが中尉!」
「……ミリー。もう一度、スコープを覗いてくれ。狙いをつけてくれるだけでいい。トリガーは、少尉が引く」
「…………」
そんなやり方で当たるわけがないとミリーは思う。目標はわずかでも動いているし、弾丸はわずかな風でも影響を受ける。そのわずかな差で狙いは大きく外れる。ミリーが合図してからトリガーを引いても遅すぎる。
「…………わかりました」
それでも自分でトリガーが引けないミリーはそう答えるしかない。
ふらふらとミリーは幽鬼のように青い顔をしてスコープを覗く。レールガンのトリガーはスコープのすぐ下にある。そこにキャサリンが手を伸ばし――
「っ!」
その前に、ミリー自身がトリガーを引いた。
ドォッォオン!
安全装置が外されていたレールガンから、雷が落ちたような音を響かせて弾丸が発射される。
精密射撃を阻害するあらゆる要因はミリーの天性の才能によってゼロにされ、キャサリンが指示した場所――巨大人型ドラゴンの右胸にいた"ロードビルダー"の頭蓋を正確に撃ち抜いた。
「「!?」」
突然のことにドレガンスもキャサリンも驚く。
その直後、三人に衝撃波が襲った。
◇
ドレガンスが目を覚ました時、そこには異様な光景が広がっていた。
山の樹々はなぎ倒され、月明りに照らされて黒い土がむき出しになっている。
そして、ミリーが、気絶しているキャサリンに魔銃の銃口を向けていた。
「伍長、何をしている!?」
「ドッガーさん。いえ、エレノア中尉。目を覚まされたんですね」
「銃を置け!」
ドレガンスは亜空間から魔銃を取り出そうとし――
「動かないでください!」
魔銃を向けられ動きを止める。
「……落ち着け、ミリー。少尉は敵じゃない」
「はい。そうかもしれません」
説得を試みるドッガーに対し、ミリーの声はどこまでも澄んでいた。
「でも、生かしておくわけにはいきません」
「……どういう意味だ?」
「少尉は特定のモノを探しあてるスキルを所持しているのではないですか? しかもかなり正確に」
「……」
ドッガーにそれを答えることはできない。キャサリンのスキルについては機密事項となっている。
「そうでなくては山の中の私の場所を知ることなんて、できるわけがありません。あのドラゴンの急所についても確信を持っていたようですし」
「……」
「少尉がいれば、特定の人物がいる場所を狙って榴弾を撃ち込むなんてこと、簡単にできますよね。帝国軍野戦重砲兵第一連隊の彼女なら」
「……暗殺に彼女を利用するなら、存在自体、秘匿する。ましてや野戦重砲兵連隊になど所属させない」
「その可能性があるだけで生かしておくわけにはいかないんです。上の気がいつ変わるかなんてしれたものではありませんから」
「っ!」
我が主を侮辱するかとドレガンスは怒鳴りつけたくなる気持ちを必死に抑えつけた。キャサリンを助けるには冷静さが必要だ。
そうだ、まずミリーが豹変した理由を探る必要がある。
「……突然、どうしたんだ、ミリー」
先ほどまで膝を抱えて泣いていたというのに。
「……グレアムが」
「グレアムが?」
「私に、"助けて"と言ったんです」
ミリーの顔は紅潮し眼が潤んでいた。歓喜で涎すら垂らしそうだった。
「あのグレアムが! 人類最高の男が!
私に! 助けを求めたんですよ!
なら! それに応えるしか!
ないじゃないですか!」
「…………」
ドレガンスは見誤ったと思った。ミリーがグレアムに抱くそれは恋心を超えて信奉に至っていることには気づいてはいた。だが、ドレガンスはあえてそれを放置していた。
万が一、グレアムが王国に敗れるようなことがあれば、彼を生きて帝国に連れ帰るように命令を受けていたからだ。ミリーはグレアムを死に物狂いで守ろうとするだろう。
だが、ミリーのそれは信奉すら超えて信仰にまで達している。ミリーはグレアムに危険が及ぶあらゆる"悪"を排除しようとしていた。
「「っ!?」」
ダァン!
突然の銃声とともにミリーの左肩から血が飛び散る。
キャサリンが短銃を構えて震えていた。既に目を覚まして機会を伺っていたのだろう。短銃の銃口から煙が立ち昇っていた。
「よせ!」
だが、神の戦士として死兵となったミリーは肩を撃ち抜かれたぐらいで止まることはなかった。ミリーが片手で撃った魔銃の<炎弾>は――
パァン!
キャサリンの右胸を――先ほどキャサリンが撃てと指し示した位置を――貫いた。
「ミリー!」
ドレガンスは銃声と同時に亜空間から魔銃を取り出していた。キャサリンはまだ生きている。ヒーリング・ポーションがあれば助かる。だから、ミリーに追撃させるわけにはいかない。ドレガンスは狂ったミリーを殺す覚悟を決めた。
次弾が撃てる二秒間。ドレガンスには、それが永遠の長さに感じられた。天才的な狙撃の腕を持つミリーである。片手でも、すぐに修正してくる。撃ち合いになればドレガンスに勝ち目はない。
だから、ミリーが次弾を撃てるようになる前に仕留めるしかない。魔銃の安全装置を外して、構えて、狙う。五〇を超える老人の動きとは思えないスピード。ドレガンス自身にも人生最速のアクションだと感じられた。
ここまで1.8秒。あとは、0.1秒でトリガーを引くだけ。だが――
パァン!
ミリーが亜空間から新たに取り出した魔銃でドレガンスの眉間を撃ち抜くほうが速かった。
ドレガンスを撃った魔銃は安全装置の付いていない初期型。トリガーが軽くなって、あえてそのままにしていた魔銃だった。
ドサリと、即死したドレガンスの遺体が地面に倒れる。
ミリーは右手だけで構えた魔銃をキャサリンに向けた。
「う、私は、まだ、中佐の仇を……」
胸を抑えて、その場から這って逃げようとするキャサリン。その後頭部をミリーは冷徹に撃ち抜いた。
パァン!
「…………」
静寂が訪れる。
罪悪感はあった。
帝国に残る小人族の仲間達も気がかりではあった。
小人族ーー子供の姿のまま大人になる種族である。
ミリーの兄はグレアムを庇って死んだとき、既に成人し子供までいた。
グレアムはその事実を知らないまま、子供に庇われてしまったと後悔し、その分、自分に心を配ってくれていた。
それが嬉しくて、事実を告白できずに今日まできた。ドレガンスに口止めされていたなど言い訳に過ぎない。
(もう、グレアムの元には戻れない)
ドッガーを殺したミリーをグレアムは今度こそ許さないだろう。彼の手で殺されるのが嫌なわけではない。むしろ、そうなれば嬉しい。
もともとミリーはグレアムのもとを去るつもりでいた。小人族である自分はこれ以上、成長することはない。あと数年で自分が小人族であることが露見し、兄もそうであることが知られる。だから、彼への欺瞞を知られる前に、彼の前から消えるつもりでいた。もし、彼の腕の中で、息絶えられるなら最高だと思っていた。
ああ、だが、今、蒙を啓かれた。
もはや、迷いも惑いもない。
グレアムを助けることが自分に与えられた至上命題。この命、ある限り、グレアムのために命を燃やし続ける。
あるいはそれが自分に課せられた罰なのかもしれない。罰というには少し甘美かもしれないが……
ミリーはヒーリング・ポーションで自分の肩を治療した後、キャサリンの腰からポーチを取り外す。キャサリンが短銃を持っている様子はなかった。だとすれば――
「ああ、やっぱり」
マジックバッグだ。運がいい。それとも、運命に導かれているのか。
ミリーは亜空間からすべての荷物を取り出して、マジックバッグの中に収納していく。
そうして、魔銃と通信器とタウンスライムの"アン"を地面に置いた。
スライム達を連れていくわけにはいかない。スライムを連れていれば、グレアムはきっとすぐに自分を見つけ出す。
「さようなら」
アンを一撫でして別れを告げる。
そうして、ミリーは闇の中に姿を消した。