124 エピローグ3
アルビニオン
ほとんど廃村となっていたジャンジャックホウルに建てられたグレアムの居城である。アルジニア王国サンドリア王宮の荘厳さと巨大さを超える規模を実現すべく現在も建設中だ。
それを可能にしているのがアルビニオンの目の前にある海だ。グレアムはフォレストスライムを使って海から金を始めとした希少金属を抽出している。ほぼ無尽蔵の財力は、ジャンジャックホウルをさびれた廃村から一大都市へと変えつつある。
だが、そんな栄華も"ヒューストーム"には関係ない。居城の一室の窓から海を眺めるのに飽きたヒューストームは、視線を城の中庭に向けた。
「……ん?」
本当に何気なく見ただけで、それを見つけたのは偶然だった。
「…………」
コンコン。
「ヒューストーム。俺だ。入るぞ」
部屋に入ってきたのは偉丈夫だった。何かの液体が入った壺とグラス二つを持参していた。
「調子はどうだ?」
「…………うん。だいぶいい」
「そうか。それはよかった。リハビリも順調だと聞いてるぞ」
ヒューストームはブロランカからの脱出時、迫りくる<白>の炎から皆を守るため、自身の命を費やして<魔術消去>を発動した。その代償は大きく一年近くも昏睡状態にあった。目を覚ましてからも昏睡と覚醒を繰り返していたが、最近になってようやく容態が安定してきたところだった。ところが、ヒューストームが長く目を覚ましている間にある問題が発覚した。
「うん。城の中を散歩するくらいなら問題ない。"オーソン"?」
ヒューストームは確認するように名前を呼んだ。
「ああ、オーソン=ダグネル。蟻喰いの戦団の団長だ」
ヒューストームは顔と名前は憶えているが、それが誰の顔か解らず個人の識別が出来なくなっているという。グレアムとオーソンは痴呆症かと心配したが、医師の見立てでは単なる記憶の混濁で、時間の経過とともに回復するだろうとのことだった。
「何を見てたんだ?」
オーソンはヒューストームと同じ窓から中庭を見下ろした。中庭には貴族の令嬢や旧イリアリノスの文官が魔銃の教導を受けている。
ヒューストームはその中にいる小さなメイド服に身を包んだ少女に注目しているようだった。
「あの子が気になるのか?」
「……うん。あの子はいつからここにいるんだ?」
まるで少年のような言葉遣いのヒューストーム。オーソンには時々、別人のように感じることがある。そんなはずはないと打ち消しながらオーソンは答えた。
「確か、一年半ほど前だったかな? ベイセルが拾ってきた子だな」
「拾った?」
「ああ、ひどい呪いを受けていて、ほとんど死にかけていたらしい」
「……」
「最近、ようやく歩けるようになってな。他に行く当てがないというので今はメイド見習いとして働いている。名前は……なんといったかな?」
(死にかけた? ……手段はあるということか)
ブツブツと何かを小声で呟くヒューストーム。
「本当に大丈夫か?」
「問題ない。それよりも何か悩み事でもあるんじゃないか?」
オーソンは驚いた。心の内を見事に言い当てられたからだ。
(やはりヒューストームなのだな)
当たり前の事実を確認して安堵するオーソン。
「悩み事というわけでもないのだがな」
「心に棘のようなものでもあるか? 語るだけで抜けるとは保障できないが聞くだけならやぶさかでない」
「……聞いてくれるか?」
ヒューストームが頷くのを見たオーソンは壺からグラスに赤い液体を注ぐと一気に飲み干した。そうして、アルコールが全身に巡るのを待つように時間を置いた後、ポツリと口にした。
「アントンのやつが処刑されたよ。銃殺刑だ」
「……」
オーソンの言葉にヒューストームは特に反応を見せない。構わずオーソンは続ける。
「刑の執行前に会いにいったんだ。なぜ、あんなことをしたのか」
アントンはもともとある地方都市を陰から牛耳る顔役だった。表向きは肉屋の主人だったが、裏では暴力による恐喝、地上げ、売春の斡旋など色々汚いことをしていたらしい。だが、手下の裏切りによって領主の騎士に逮捕されブロランカに生贄奴隷として送られる。
ブロランカでのアントンは二の村の仲間には無法者としての顔をみせず、頼れる兄貴分として信頼を得ていた。アントン自身にもそれは意外だったらしい。それがアントンの生来の性質だったのかもしれない。
ところがアントンはブロランカを出てから、おかしな行動をとり始める。例えば、アントンは新しい団員が金に困っていると聞くと積極的に相談に乗った。必要な金額を聞いて、グレアムに借金を申し込む書類も懇切丁寧に指導した。それ自体は問題なかった。だが、書類には自分への手数料として二割上乗せした金額を書かせていた。
グレアムは団員には無利子で貸している。上乗せした二割分はそのままアントンの懐に入り、団員は二割上乗せした借金を返すことになる。アントンの罪状に、詐欺が加えられた。
そして、コボルトの件である。グレアムはクサモでコボルトが発生すればすぐに処分するように命令していた。それなのに、なぜマデリーネを襲ったコボルトが生き残っていたのか調査させた。その容疑者として浮かんだのがアントンだった。
アントンは瘴気発生ポイントの見張りの任務の前に隊の部下達と娼館に赴いていた。そこでアントンは寝入り、任務開始時間を大幅に過ぎて娼館を出ていったという証言を得ている。だが、その晩の報告書では『魔物は発生せず』と記載され、見張りの空白期間があったことは記載されなかった。
もし、正しく報告されていれば、グレアムはディーグアントやアークスパイダーを使って地下に逃げたコボルトを捕縛できたかもしれない。
空白期間中にコボルトが発生し、そのコボルトがマデリーネを襲い、スヴァンの命を奪ったとは限らない。状況証拠だけである。虚偽報告は重大な命令違反だが、裁量はグレアム次第だ。今までの功績に免じ、追放処分で済んだかもしれない。
だが、何より問題とされたのが捕虜への暴行と殺害だった。アントンは王国討伐軍の捕虜を壁に並べてガトリングガンで撃った。オーソンにも庇いようがない凶行だった。
『なぜ、あんなことをした? マイレンの敵討ちか?』
オーソンは鉄格子ごしにアントンにそう聞いた。マイレンも古参メンバーの一人だったが王国討伐軍との戦いで命を失っている。
『……グレアムだ』
アントンは項垂れて答える。
『なに?』
『グレアムに、なりたかったんだ』
『……どういう意味だ?』
『……俺がちんけな地方都市を裏で牛耳っていたとき、俺に怖いものはなかった』
『……』
『無敵だと思っていた。俺はいずれこんな小さな都市どころか、国まで支配する存在になる。そんなバカげた妄想すら抱いていた』
『……』
『結果はご覧の通りだ。所詮は世界を知らない子悪党。手下に裏切られ片腕を落とされてブロランカに送られた』
『……』
『きっぱり諦めたつもりだったんだぜ、そんな野望。結局、俺はそんな器じゃないんだと。片腕で槍を振るって蟻を退治して、いずれあいつらに食われて死ぬんだろうな、その時、ガキどもが"アントンさん、アントンさん"と泣きじゃくって俺を見送るんだ。そんな夢想をして、日々を生きていく中で、一人のガキが送りこまれてくる』
『……』
『そのガキは、金とイロと暴力で、俺たちを瞬く間に支配しちまった』
『……』
『鮮やかとしかいいようがねえ。俺はその時、確信したよ。
俺がなりたかったものが、今、ここに形をもって現れたんだと。
そして、その確信は本物になりつつある。
この国の王を殺し、何度も王国軍を退け、そしてあんな恐ろしいドラゴンすら打ち倒して、今、新たな国を作ろうしている』
『……』
『俺はグレアムになりたかった。
憧れたんだ。
俺が一度、諦めたものが目の前にあって、俺もそうなりたかったんだ』
『……』
『だから、団員から騙して金を集めて、仲間を娼館に連れて行って、王国に俺の暴力を刻み付けようとした。
……笑えよ。
グレアムがやったことに比べれば、ぜんぶがぜんぶ小さくてお粗末だ。
結局、俺は俺の無能と器の小ささを晒しただけだった』
『……アントン』
『俺はあんたたちが好きだったぜ。特にあんたは純粋で勇気があって誰よりも頼りになる男だった。
あんたに憧れていれば、きっとこうならなかっただろうに』
『……』
それからアントンはもう何も語ろうとしなかった。オーソンは何も言えず、その場を去る。
アントンの刑が執行されたのはその翌日だった。
「グレアムにはとても聞かせられない話だ」
「つまり――」
今まで一言も口を挟まずにオーソンの話を聞いていたヒューストームがおもむろに口を開く。
「グレアムが団員ともっと心を通わせた付き合いをしていれば、こうはならなかったと?」
「!?」
ヒューストームのあまりな言葉に思わず絶句する。
「? 違うのか?」
「違う! アントンを殺して誰よりも傷ついているのはあいつだ!
よせばいいのに刑の執行に立ち会ったんだ! 自分の役目だといってな!
……酷い顔をしていたよ。
……アントンがああなったのは、あいつのせいだなんて、そんなはずはないんだ」
オーソンの最後の言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。
「そうか」
「ナッシュ、マイレン、アントン、そして……。仲間が減っていくのは辛いな」
オーソンは懐から一枚の紙を取り出して、それに視線を落とすと大きなため息を吐いた。
それは指名手配書だった。一人の少女の似顔絵が描かれている。
手配犯の名前は"ミリー"・スレッドグッド。
戦団古参メンバーであるドッガーと帝国将校キャサリン・ウーヴレダルの殺害容疑だった。
「長居してすまなかった。ゆっくり休んでくれ」
「ああ」
手配書を懐にしまい直すとオーソンは酒壺を残したまま、部屋を去る。
「……」
残されたヒューストームはしばらく酒壺と自分の前に置かれた空のグラスを見つめると、おもむろに酒を注いで口をつけた。
「――まっず!」
顔を歪めたヒューストームは残ったグラスの中身を窓から投げ捨てた。