11 隊長エイグ
ムルマンスクの領主から奴隷商人に引き渡された際のグレアムの値段は王国銀貨三枚だった。
帝国銀貨や聖国銀貨なら二枚、古代魔国銀貨なら一枚。
その価値は王都の中堅宿屋に食事付きで一泊分といったところだろうか。
人一人分の値段としては、いささか安すぎると思わないでもないグレアムであったが、八歳の痩せた体では農場や鉱山での過酷な労働には耐えられない。
顔は整っているが、命令されたとはいえ(公式ではそのようになっている)裕福な商人とその護衛十一人を毒殺する凶悪性から愛玩奴隷としても使えない。
愛玩奴隷を所有するのは大抵が裕福な貴族で、もし奴隷が主人に粗相をするようなことがあれば販売元に責任を問われかねないからだ。
つまり、グレアムに需要はない。だが、飯は食わさなければならない。所有する時間が長ければ長いほど、赤字が嵩む厄介な不良品。
そんなグレアムがブロランカ島の実験農場に連れてこられたのは必然といえた。
◇
「エイグさん。もういいでしょう。お酒なんかいくら探しても見つかりませんよ」
グレアムは村の中央で捜索の指揮をとっていた――というか、つまらなそうに部下の仕事を見守っていたエイグに声をかけた。
「夕食にさせてください。私たちに食事させるのもあなたの仕事でしょう?」
「……まぁ、そうなんだがね」
エイグは納得がいっていないのか、後ろ髪を掻きつつ立ち上がる。
そして、剣を鞘から抜き不用意に近づいたグレアムめがけて切り上げた。
キン!
先端に鉄を仕込んだオーソンの松葉杖がエイグの剣を受け止める。
「……何のつもりです?」
「ジョークだ」
剣を鞘にしまうエイグ。
「笑えませんね」
オーソンが止めてくれなければグレアムは確実に切られていた。
背中にじっとりと汗がにじむ。リーに指を切り飛ばされた時の激痛を思い出した。
「おいおい。おまえら怖い顔で睨むなよ。チビッちまうじゃねぇか」
二の村の住民たちは皆、殺気だっている。
それに反応してエイグの傭兵たちも剣の柄に手をかけていた。
パン! パン!
エイグが手を大きく叩く。
「止めだ! 止め! 飯の支度をしろ! お前ら!」
エイグの言葉を受け、傭兵たちが村で最も大きな建物である集会所、兼、食堂に向け歩き出した。
グレアムも視線で住民たちに続くように促す。
村の中央に残ったのはエイグとグレアム、そしてオーソンだけだった。
「何のつもりです?」
グレアムは改めて問いかけた。
「別に。ただ確かめておきたくてな」
「何をです?」
「本当におまえさんがリーダーなのかってな。まぁ、村人どものあの様子じゃ間違いないようだがな」
「それを確かめるためだけに私に切りかかったんですか? 本気じゃなかったと?」
「本気だったぜ。銀貨十枚で買った農奴一匹斬り殺した所で伯爵も文句は言うまい」
後ろのオーソンから怒気を感じるグレアム。
エイグはそんなオーソンを気怠そうに見て、ため息を吐いた。
「ショックだぜ。いくら元王国八星騎士とはいえ、片足片腕の男に止められるような腕でもないと自負していたんだがな」
「そうですか。目標ができてよかったですね」
エイグはグレアムの皮肉を無視した。
「だからこそわからん。なぜ、オーソンでもヒューストームでもなく、お前なんだ?」
「……さぁ、私に聞かれても」
「村人の表情も気になる。ありゃあ、農奴がする表情じゃねぇ。どいつもこいつも希望に満ちた顔してやがる。……おまえ、何をした? いや、何をしようとしてる?」
「言っている意味がわかりません。村人の表情なんかあなたの主観でしかない。そんな理由で痛くもない腹を探られたくありませんね」
「俺の主観が気に入らなきゃ、明確な根拠を示してやろうか? 飯の量だ。一の村の倍の量、おまえらは食っている。綺麗に残さずにだ。おまえらだって、あの飯に何が入っているか知らないわけじゃあるまい。一の村の連中は俺たちが無理矢理にでも食わさなきゃならないってのによ」
「食べるデメリットよりも、食べないデメリットの方が大きい。そう説得しただけです」
これは本当のことだった。島の中央で準備される一の村、二の村の食事には食すとディーグアントを引き寄せる体臭を発する薬草が混ぜ込まれている。
島の北にはディーグアントが棲む広大な森がある。
一の村、二の村は森と農場を繋ぐ道から逸れ、島の出っ張りのような場所にある。
そこに薬草を食べた農奴を配置することで、ディーグアントは一の村、二の村に誘引されるのだ。
「何をしようとしているのか知らねぇが、俺の眼が黒いうちは好き勝手できると思うなよ」
最後にエイグはそう言うと去っていった。
グレアムはその場でしばし考え、オーソンに頼み事をした。
「ディーグアントを一匹捕まえてきてくれないか」
その意味をオーソンは知っている。
「昨日の今日だぞ」
「だからだよ。様子を見ておきたい」
「……わかった。だが、気をつけろよ」
わかっている。今が大事な時期なのだ。ミスは許されない。
ふと、昼間出会ったティーセのことが頭に過ったグレアムだった。