117 終わる世界 43
"世界線移動"が起きない。
この異常事態にネイサンアルメイルは焦った。眷属ガウに探知魔法を使わせてその原因を探る。
虫けらどもは構造物の中心に集まっている。そのさらに中心に尋常ならざる神気を感知した。
(これは……、虫けらどもの神か? 世界線移動を妨げているのは神の力か? ――否)
即座に否定する。神の気配はあっても神力は感じない。そもそも、この世界から肉体を失った虫どもの神に、この世界に直接的に干渉することはできない。できたとしても、竜神の眷属にして神の一部から生まれた亜神でもある自分に手を出せば、最終戦争を引き起こすきっかけになりかねない。その時、虫けらどもの神は今度こそ、存在そのものが消滅するだろう。虫けらどもに味方する愚かな神とはいえ、いまさらそんな愚挙を犯すとは思えない。
(だが、この異常事態に無関係ではあるまい)
神気を発する地虫を一挙に潰してやりたいところだが重力魔法を発動するための両腕を失っている。重力魔法の効果を高めるために腕を発動体にしたことを仇となった。
(……仕方なし。創造魔法――眷属生成)
黒い羽虫によってボロボロにされた己の肉体と霊体の一部を素材として眷属を生成した。眷属の生成には竜族の霊体が必要であり、ネルシを素材としていた一番の理由である。素材を使わない場合、自らの霊体の余剰分を使用する。だが、それでは質も量も十分な眷属は生み出せない。
(グゥウウ!)
完全に余剰分を超えた領域分の霊体まで使用する。まるで自らの肉を千切るような感覚はネイサンアルメイルの霊核に耐えがたい苦痛をもたらした。自ら死を早める危険な行為でもある。だが、それでも世界線移動さえ起きればネイサンアルメイルの勝利は揺るぎないものになるのだ。
そうしてネイサンアルメイルが生み出したのは眷属はジグナス。アロルドが"ロードガーディアン"と名付けた背中に翼を持つ人型ドラゴンである。それがおよそ千。
(足りぬ)
これだけではあの黒い羽虫に薙ぎ払われる。だが、ネイサンアルメイルの肉体に新たな眷属を生み出せるほどの余地は残っていない。
(……いや、ある)
眷属の生成には竜族の霊体が必要。言い換えれば霊体が竜族であれば肉は何でもいいのだ。
(地の利は我にもあったな。虫けら)
ネイサンアルメイルの霊核は嗤った。
◇
"ロードビルダー"の死骸から人型のドラゴンが大量に発生するという予想外の事態にグレアムは驚き、次いでやるべきことを考える。
「スヴァン! マデリーネを安全地帯に退避させろ!」
叫んでから気づいた。"ロードリサーチャー"によって通信妨害を受けていることを。グレアムは口頭で指示を伝えるため地上に降りようとした。
(『りょ、了解しました』)
ところが、意外なことにスヴァンから返事ある。
(近距離なら通じるのか)
考えてみれば当然である。スライムの思念波が完全に妨害されるなら魔術は使えなくなる。魔力と魔術演算結果は思念波に乗せてやり取りするからだ。グレアムがクサモの中央あたりに入ればクサモとその近辺の範囲ならば思念波は届くようだった。
「各員、聖女を守りつつ退――」
「ここで退くことは罷りならぬ!」
そう拒否したのはマデリーネ本人だった。
「六〇〇! その数だけ、この体を守れ!」
(誰だ?)
この言動はマデリーネらしくない。まさか、女神――
(『グレアム、どうする!?』)
リーから指示を求める声。
「――っ、死守だ! あの人型ドラゴンを"ロードガーディアン"と呼称する。各員、"ロードガーディアン"から聖女を死守しろ!!」
(『『『了解!』』』)
苛烈な対空砲火が"ロードガーディアン"の群れに向けて放たれる。デス・キャンサーの背中に取り付けられたガトリングガンから無数の赤い閃光が空に向かって放たれた。
グレアムも空中から支援する。下からの<炎弾>を<魔盾>で防ぎつつ、<破壊光線>を前方に放つ。数十体をまとめて薙ぎ払うが、"ロードガーディアン"はグレアムに構わず地上に殺到する。
今のでグレアムに敵意を向けてくれれば魔導兵装オードレリルの自動迎撃機構で一掃できるが、敵意はすべてマデリーネに向かっているようだった。
(足止めが必要だ)
クサモを取り囲む内壁が広範囲に弾け飛んだ。砂礫とともに現われたのは八本の足を持つ巨大な節足動物の集団。グレアムの毒スライムに脳と中枢神経を乗っ取られたアーク・スパイダーだった。
内壁に並ぶように貼りついたアーク・スパイダーは空中に向かって次々と糸を飛ばす。絡めとられた"ロードガーディアン"が引き寄せれられアーク・スパイダーの牙と前脚の爪でバラバラにされていく。
地上からの砲火と内壁からの糸による攻撃で"ロードガーディアン"の動きが止まった。戦況は戦団に優位に傾きつつある。そう思えた瞬間――
(――!?)
オードレリルの自動迎撃機構が発動して<破壊光線>が虚空に放たれた。黒い閃光をその身に受けながら、なおもこちらに接近してくるのは赤い人型ドラゴン。
(マルグレットが言っていた"ハイガーディアン"か!?)
翼を持たずに音速飛行する魔術抵抗値の高い特殊個体。ミサイルのように飛んでくるそれを<破壊光線>の集中砲火でチリも残さず消滅させる。
(しかし、どこから!?)
その疑問はすぐに氷解した。
(郊外の、遺体から!?)
クサモの郊外に放置されたままの討伐軍兵士の遺体が三、四体、グシャリと固まって丸になると、そこから卵が割れるように"ロードランナー"が出現する。そうして生み出された"ロードランナー"数百体が同じように固まって丸になると、今度はそこから"ハイガーディアン"が誕生した。
(こいつら、人間の遺体を!)
怒りを覚えるグレアム。だが、すぐに怒りはおさまって代わりに可笑しさが込み上げた。グレアムも"ロードランナー"の死体を原料にしてマナ・ポーションを作成したのを思い出したからだ。
(同じ穴のムジナか)
諧謔しつつグレアムは空中を素早く移動する。"ハイガーディアン"は<炎弾>では倒せない。こちらに来る前に殲滅する必要があった。
◇
『地上から小型竜接近! 九時の方向! 数およそ二百!』
防御塔で物見をしている団員から報告を受けたリーは内心、頭を抱えた。
小型竜を迎撃するには火力が足りない。今、すべてのガトリングガンは空に向けている。クサモ上空で直掩していたグレアムは別の敵に対処するため離れた。もし、弾幕を途切れさせれば"ロードガーディアン"は瞬く間に聖女に殺到するだろう。
「手すきの奴は俺についてこい! スヴァン!」
リーは片手サイズの物体を投げ渡す。時間を測る魔道具だった。
「そいつで時間をカウントしろ!」
「は、はい。……289、290、291――」
「残り300弱! それまで、ここを死守するぞ!」
リーは腰に剣を吊るし左手に魔銃を持って聖女の前に陣取った。魔銃には銃剣を装着済みだ。さらにロックスライムが変形したコントローラーを操作して大量のディーグアントを前に並べていく。戦団が野営する時にいつもやっていた即席の防壁作成だ。岩すら粉砕する大顎と脚で互いの体を固定させれば、ランスボアの突進すら受け止める。
「きます!」
防壁によじ上った団員が叫んだ直後――
ドォン!
豪快な音を立て"ロードランナー"の群れがディーグアントの防壁に激突する。即席の防壁は期待通りこの衝撃に耐えぬいた。だが、確実に何匹かのディーグアントは破壊された。
(くそっ! 貴重な労働力が! もう補充できないってのに! ――っ!?)
一匹の"ロードランナー"が潰れた仲間とディーグアントを踏み台にして防壁を駆け上がってきた。
頭を覗かせた瞬間、リーはそれを狙撃する。頭を撃ち抜かれた"ロードランナー"は力を失い仲間の死体の上に重なった。だが、それをさらに踏み台にして別の"ロードランナー"が駆け上がってくる。
バシュ!
今度のリーの銃撃は前脚を吹き飛ばしただけに終わった。防壁を乗り越えた小型竜の姿はトカゲが二足歩行しているように見える。そのトカゲは他の団員を無視して真っすぐにこちらに向かってきた。トカゲが自分の脚を吹き飛ばした人間の頭を噛み砕かんと大きく口を開く。そこにリーは剣を突き入れた。
ドサッ!
背後で"ロードランナー"が倒れる音が響く。剣を回収している暇もなく次が来る。
バシュ! バシュ! バシュ!
モグラ叩きのように防壁に頭を出した個体から順にリーは狙撃していくが――
(だめだ、手が足りん!)
他の団員も必死に迎撃しているが数が多すぎる。やがて完全に無傷の個体が防壁を乗り越えて向かってくる。しかも三体。
一体は狙撃で仕留めた。一体は銃剣で仕留めた。だが、もう一体がリーの脇をすり抜けていく。
(まずい!)
マデリーネの前にいるのは護衛の少女二人。銃剣をかまえているが明らかにへっぴり腰だ。
"ロードランナー"がマデリーネ目掛けて飛び上がる。
「突き出せ!」
訓練の賜物か、リーの叫びに弾かれたように動いた二人の銃剣は"ロードランナー"の喉と胸を貫いた。
「よし!」
リーは亜空間から槍と剣を取り出して再び前を向く。だが、今度は無傷の"ロードランナー"が五体。
「くそったれ!」
リーの投げた槍が一体を貫く。振るった剣が一体の首を刈り取った。だが、残りの三体はまっすぐにマデリーネに向かっていく。護衛の少女達は斃した"ロードランナー"の体から銃剣を抜こうとしている最中だった。
完全に無防備になったマデリーネに"ロードランナー"の牙が迫る。
リーは"終わった"と思った。
ザシュ! グシャ! ドォン!
斬撃音、打撃音、爆発音が響き三体の"ロードランナー"が地面に倒れる。
三者三葉の音を響かせたのはアマデウス・ラペリ、アンドレアス=アルヴェーン、そして、キュカ・ハルフレル。第二次グレアム討伐軍の将軍二人と上位魔術師だった。
「すまん、遅れた!」
狼獣人のミストリアが銃撃しながらリーに近づいてくる。
「捕虜を解放したのか?」
「ああ、こいつらを守っている余裕はない。武器を返して自分の身は自分で守るように伝えた。まずかったか?」
「いや、いい判断だった。で、あの三人は?」
「マデリーネが狙われていることを伝えると自分達も戦うと言ってな。だが、彼らだけではないぞ」
防壁の向こうから激しい戦闘音が聞こえてくる。防壁を乗り越えてくる"ロードランナー"が激減していた。
「聖女様に命を救われた兵士たちがこぞって戦いに参加している。しかも、それを指揮しているのは彼女の父、アリオン=ヘイデンスタムだ」
それを聞いてリーは複雑な思いを抱く。マデリーネの治癒魔術による捕虜達の治療、さらにマデリーネはリーと交渉してヒーリング・ポーションの大量供出を捕虜達の前で認めさせた。
すべてベイセル=アクセルソンの"演出"である。最古参メンバーのアントンがやらかしてくれたおかげで戦後交渉が難しくなった。そうベイセルに泣きつかれて仕方なくそのバカバカしい茶番に付き合ったのだが、それが思わぬ助けになった形だ。
(アリオン一人助けるために兵士一万を殺してもいいとか考える女が聖女ね……。
グレアムと結婚すればまさに最凶夫婦だな)
リーは細心の注意で誰にも悟られないようにしているが、まだグレアムを危険視することを止めていない。むしろ、今回のことでそれはさらに強まった。
偏執的なまでのクサモの防備態勢に討伐軍一万余を一瞬で全滅させる作戦。そこまでしなくてもいいだろうとリーは思うのだ。討伐軍相手ならその半分でも勝ち確だ。それだけ団員の安全に配慮しているのだと言う者もいるだろう。
だが、それなら今回のことはどうなる。十分な説明もなく一国すら滅ぼす敵といきなり戦えはあまりにも酷い。上級竜相手では今のクサモの防備態勢でも足りない。実際にリーの【危機感知】は今も最大限の警告を発している。
一歩間違えれば大量の犠牲者がでる。グレアムがそのことを考慮しなかったとは思えないのだ。
つまり、味方に大量の死者が出てもかまわない。グレアムはそう考えているということだ。
無論、今の世の中、どこも戦だらけだ。唐突な戦いなどいくらでも発生するし、味方が死ぬことだってリーも覚悟している。それでも、できることなら今の仲間達と長くやっていきたいと感じるぐらいには、この戦団に愛着はできていた。創設者ならば、その思いは一入ではないのか。
理解できない矛盾とも思える行為に、リーはグレアムに狂気の片鱗を感じるのだ。
(その狂気が剥きだしになったとき、あいつはどうなる? いや、この世界はどうなるんだ?)
一国すら滅ぼす敵を倒した者は、世界すら滅ぼせるのではないか。
仲間や愛する者すら巻き込んで。
(魔王の所業だな)
そんな夢想をする。
そして、リーに"魔王"と断じられた当の本人は――
ドゴォオオン!
防御塔の壁に半死半生で叩きつけられていた。