114 終わる世界 40
ヘリオトロープ。
グレアムにそう名乗った"黒の貴婦人"にしてドレガンス・エレノア中尉が主と仰ぐ彼女は部下から意外な報告を受けていた。
「クサモに?」
キャサリン・ウーヴレダル少尉を指令通りに保護した中尉はジャンジャックホウルに戻らず、なぜかクサモに進路を取ったという。
「…………」
帝国の至宝ともいわれるその聡明な頭脳を即座に回転させる。おそらくは少尉の指示だろう。そして、何をしようとしているのかも予想できた。
「中佐の仇討ちか」
キャサリンが母と慕うジンジャー・ボネット中佐は"ロードビルダー"によって殺された。そして、その"ロードビルダー"はグレアムを追ってクサモに向かっている。彼女の【サベイング】ならば、仇がどこに向かっているか簡単にわかる。
「あのひとに任せておけばいいものを」
グレアムの行動には何らかの意図を感じさせる。おそらくクサモで決着をつけるつもりなのだろう。
「引き返させますか?」
部下がそう問いかける。
「…………」
少し思案する。キャサリンの気持ちは分からなくもない。ジンジャーは彼女の長年の友人でもある。黒いヴェールを被った甲斐があった。人目を気にせず泣けるのだから。
ヘリオトロープは軽く溜息を吐いた。
「放っておいていい」
「よろしいのですか?」
軽く首肯する。仇の死を見届ければ少尉の心も落ち着くことだろう。
「一つお聞きしても?」
「なんだい?」
「陛下は"ロードビルダー"が討伐されることを確信されているように見えます。その根拠をお伺いしても」
"ロードビルダー"のような上級竜は因果律のようなものを操る力を持っている。ヘリオトロープとその側近達はそんな見解を共有していた。竜大陸の奪還を帝国は標榜している。そのための長年の研究からの成果である。
"ロードビルダー"は果たして因果律を操る力を維持しているか否か。それを確認するためにもジンジャーを派遣した。最悪の犠牲を払って得た情報は"ロードビルダー"が過去に例を見ないほど強力な個体であるということだ。因果律を操る力を維持している可能性は高い。そんな存在にグレアムは本当に勝利するのか。
「根拠? 確信? そんなものないさ」
チート持ち同士の戦いなど、どう転ぶかわかったものではない。不確定要素が多いのだ。しかもグレアムは――田中ジロウは、同じ相手には二度と負けないコミックヒーローのようなタイプではない。むしろ『項羽と劉邦』の劉邦のように百回負けることもありうる。
「……」
「そんな顔をしないでくれ。彼も勝算がないわけではないさ」
「グレアムが何をやろうとしているのかわかるのですか?」
「まあね」
グレアムはあれをやるつもりなのだろう。
「"ミクロの世界に、神の目は及ばない"か。
……ジロウの悪運が彼女を引き寄せたのか」
グレアムと"ロードビルダー"。
果たしてどちらの悪運が上か。
それが勝負を決める重要な要素となる。
ヘリオトロープはそんな予感がしていた。
◇
バシュュュュュゥゥゥゥゥウウウウウウウウ!!!
グレアムの周囲に浮かんだ無数の魔力塊から<破壊光線>が放たれる。
(やはりダメか)
"ロードビルダー"は右手を前方に突き出して接近してくる。黒い光線は"ロードビルダー"の体に当たる前にあらぬ方向に歪曲されてしまう。
(こちらの魔術はもう通じないか)
少なくとも遠距離からの魔術は無効化されてしまう。近距離からであればワンチャンある気はするが、グレアムに接近戦をする気はない。
グレアムは魔術師である。中・遠距離戦が主体だ。魔術師としての弱点を補うため<火炎散弾>も作ってみたが、近接戦闘においては一流の戦士相手にはほぼ無力。
昼間、グスタブ=ソーントーン相手にシールド一枚張れずにいいようにやられたことで、それを痛感している。しかも、今はメイシャ謹製のアダマンタイトスーツを身に着けていない。無防備で"ロードビルダー"の拳をもう一度、受ける気はなかった。
(まあいい。もとよりここで決着をつけるつもりはない)
攻撃を止めて移動する。すかさず"ロードビルダー"から反撃がきた。
(ぐっ!)
重圧を受けて一瞬、呼吸ができなくなる。
すかさず、グレアムは右手に巻いたスーツの残骸に魔力を通して広げた。スーツはボロボロで全身を覆うほどの面積はなくなっている。だから、マントのように翻した。すると、それだけで重圧が消え失せる。どういう理屈かまではわからないが、やはり、アダマンタイトは攻防ともに"ロードビルダー"に有効なようだった。
バシュ!
お返しとばかりに<破壊光線>を放つ。もはや牽制の意味しかないがそれでいい。
(見失わずついてこい)
<飛行>魔術に魔力を注ぎ込んでスピードをあげる。グレアムの思惑通り"ロードビルダー"も後を追ってくる。
時折、後ろに魔術を放ちながら蟻喰いの戦団に連絡を試みる。クサモを中心にした半径数十キロ圏内にはロックスライムが均等に配置されており、その一体にアクセスできればリーと連絡が取れる。
(『リー! リー! 聞こえるか!?』)
『……おう、無事でなにより』
(『敵が来る!』)
『なに!?』
グレアムはいくつかの命令を簡潔に指示する。
『わかった。なぜ上級竜なんかとやりあっているのかはわからないが』
(『詳細はあとで説明する。今は指示したことを――!?』)
岩塊が飛んできた。
(何処から!?)
ゴゥ!
紙一重で躱す。
"ロードビルダー"に視線を向けると岩塊の出所がわかった。
(ロック・バード!?)
"ロードビルダー"との攻防で飛行型魔物の注意を引いてしまったのだろう。岩でできた巨大な鳥の魔物が"ロードビルダー"に襲いかかっていた。
それに対し"ロードビルダー"は片手でロック・バードの首を掴むと――
グシャ! バキ、バキ!
不可視の力で丸め、一つの岩塊にしてしまう。それを振りかぶって投げつけてきた。
ゴウ!
(!)
流石にスーツを翻しただけで防げるものではない。グレアムは<破壊光線>をぶつけて岩塊を粉砕した。
だが、その隙に"ロードビルダー"に距離を詰められてしまう。
(くそっ!)
<火爆>と<爆砕>を広範囲にバラまく。
同時に急降下した
("世界線移動"を使われたら俺は急上昇したことになるのかな)
幻影魔術で地面の色と同化しながらそんなことを考える。
「GUOOOOO!」
ドン! ドドドドドン!
"ロードビルダー"が吠えると巨大な杵で突いたように地面が陥没していく。グレアムの姿を見失ったようでしっちゃかめっちゃかだ。
(…………)
グレアムはちょっとした思い付きで<魔術消去>を放ってみる。
ドォン!
(……ダメか)
"ロードビルダー"が重力を操っていることは間違いないが、重力をどのようにして操っているか確認したくなったのだ。少なくとも魔術ではないのは今の実験で確認できた。
意外には思わない。魔物の特殊能力に<魔術消去>が効かないことは分かっている。"ロードビルダー"のあれも同じものなのだろう。
ただ残念ではあった。余裕があるから試したわけではない。むしろその逆。余裕がないから試したのだ。
(命がけのトレインだ)
トレイン――モンスターのヘイトを取って連れまわすというゲーム用語だ。もちろんゲームと違って命は一つしかない。捕まれば復活なしの完全ゲームオーバー。
グレアムの精神をガリガリと削る。スタミナ・ポーションを一気飲みした。
("ロードビルダー"討伐を安請け合いしたかな?)
バシュゥ!
"ロードビルダー"から十分な距離を取ったところで幻影魔術を解除し<破壊光線>を放つ。
発射元を見つけた"ロードビルダー"は殺意を漲らせて飛んできた。
それでもグレアムに後悔はない。
ドラゴンに恨みはない。それでも討伐を決めたのは敬愛する師ヒューストームへの義理立てである。ヒューストームはドラゴンの脅威を常々訴えていた。ドラゴン討伐は全人類に課せられた義務でもあると。
そして、その義務を放棄したジョセフ王を師は許さなかった。思い返してみればジョセフ暗殺計画を最も積極的に推し進めたのはヒューストームだったように思う。
『ドラゴンという種は高い知性を持つ。上級竜ともなればその知性は人間以上とも言われている。だが、そんなドラゴンたちも文化と文明を持つことはなかった。なぜだと思う』
かつて師から問われ答えられなかった質問である。今なら答えられる。文化も文明も叡智ある行動の積み重ねによって築き上げられる。だが、"世界線移動"は容易にその積み重ねを突き崩す。最悪、ゼロになることすらある。文化や文明など持つ意味がない。
ドラゴンが持つ"世界線移動"の力を師は見抜いていたのだと確信できる。そして、叡智の積み重ねによって成長する人類にとって、ドラゴンはまさに天敵である。不俱戴天の許さざるべき怨敵である。
ヒューストームがドラゴンに対してタカ派である理由をグレアムは真の意味で理解した。
『グレアム。準備できたぞ』
リーから通信が入る。
(『いいタイミングだ』)
クサモが見えてきた。
そのままスピードをあげてクサモの上空を通過すると、急制動をかけて反転した。
丁度、沈む夕日を背中にした状態だ。
そして、その日、最大の攻撃をグレアムは敢行する。
周囲に限界まで魔力塊を浮かべ無数の<破壊光線>を放った。
ドシュュュュュュゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウ!!!
当然のように"ロードビルダー"に防がれる。だが――
ドォォン!
<破壊光線>が放たれる音に混じって雷が落ちたような音が周囲に響いた。




