113 終わる世界 39
ネイサンアルメイルの生涯は常に怒りに支配されていたといっても過言ではない。
竜族の本能は何者よりも強くあらんことを求める。
自分より強い存在がいる。
その事実に対する感情は既に憎悪へと昇華されつつある。
特に竜の巫女である。
(なぜ、虫けらと同じ姿形をとっている?)
本能に起因する感情を無視すれば、封印大陸への侵攻は確かにネイサンアルメイルに利はある。だが、巫女に半ば強制されたのも事実である。
(まるで我が虫けらに従わされたようではないか)
屈辱である。
劣化魔法か魔法擬きしか使えぬような存在にこのネイサンアルメイルが屈するなどあってはならぬ。
(創造魔法)
ネイサンアルメイルの視界にいた数千体の眷属が空中に浮かび上がると、一点に集まり始める。それは、まるで見えない巨人の両手で握られるかのようだった。
骨が砕かれ肉が潰される。悲鳴をあげる間もなく、巨大な肉団子となった"ロードランナー"の赤い塊は直径十メイルほどまでに圧縮される。
そこから4つの球体に分割され、それぞれの球の表面にヒビが入ったかと思うと、軽い閃光とともに赤い人型ドラゴン"ボーラー"が誕生する。
創造魔法――眷属生成である。
いかに竜族が駆使する魔法といえど空気中の魔素だけで生命を作り出すことは難しい。できなくはないが著しく効率が悪いのだ。
そのため、創造魔法用の素材に特化した眷属――ネルシを増やすことが力を蓄える方法の一つとなる。
(虫けらに"ダオン"を消滅させられたのは痛いな)
"ダオン"とはネルシ五百万体分で創造した様々な機能を有した巨大移動生産工場である。空気中の魔素を原料にして1時間で百体のネルシを産み出す能力があり、ネイサンアルメイルやその眷属を中に格納することでその身を回復させるメディカル機能も持つ。
上洛戦とバールメイシュトゥアシアとの戦いにおいては安全な場所に置いてあったが、まさか虫どもの大陸に侵攻する途上で失うとは思わなかった。
ダオンは本来なら魔法擬きでどうにかなるものではないが、ネイサンアルメイルの体を癒すためにダオンのほとんどの力をメディカル機能に回していたのだ。ネイサンアルメイルも回復に専念するため意識を断っていた。そのため対処が遅れた。
虫どもを侮ったツケともいえる。
ダオンを失った今、ネルシを増やすにはネイサンアルメイルが創造魔法で魔素から作り上げるか、ネルシ自身がもつ繁殖能力で自然に増えるのを待つしかない。いずれにしろ時間がかかりすぎるし、後者にいたってはエサが大量に必要になる。
その残された貴重なネルシを消費してでもボーラーを創造したのは五月蠅い虫を払うためだ。
(ちっ)
遥か虚空から放たれた魔法擬きによる黒い光線を重力魔法で防ぐ。同時に虫をこちらに引き寄せようとするが、すぐに振り払われる。
(アダマンタイトか)
反魔法金属であるアダマンタイトはあらゆる魔法効果を著しく減衰させる。それどころかアダマンタイトで傷つけられれば回復魔法も効果が薄くなるのだ。
(あの黒虫か! 性懲りもなく!)
前と同じように空間ごと引き寄せようとするが、虫は高速移動を繰り返し捉えられない。
業を煮やしたネイサンアルメイルは眷属ボーラーを生み出し迎撃させることにした。
(ゆけ! 血祭りにしろ!)
命じられたボーラー四体は虚空へと飛びたつ。魔法を使う邪悪の女神の眷属に対抗するための個体だ。無論、魔法擬きにも高い抵抗力を持つ。あのボーラーで潰せればよし、悪くても時間稼ぎくらいにはなる。
ネイサンアルメイルは中断させられていた山を切り開く作業を再開する。
(あと千メイルほどか)
開通作業が終わってもまだ生きていれば、直々に相手をしてやる。黒虫のバカの一つ覚えの攻撃は、もはやネイサンアルメイルにダメージを与えることはないが、神経をささくれ立たせる。
(我の手で捻り――!?)
カッ!
突如、光が迸った。
(重力魔法――空間歪曲! 全開!)
空間を強引に捻じ曲げて押し寄せる白光を受け流す。重力魔法の範囲外にいたネルシは燃えて塵も残さず消滅していく。
ゴォゥ!
光の洪水が止む。
(……………………)
残されたのは焼け焦げた大地と数百体のネルシのみ。ボーラー四体は圧倒的熱量にさらされ消滅していた。
「GUGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
ネイサンアルメイルは怒りの咆哮をあげた。
(もう巫女との盟約など知ったことか!!! 貴様は我の手で必ず八つ裂きにする!!!)
ネイサンアルメイルは黒虫に向かって突進する。
その勢いに怖気づいたのか黒虫が背を見せて逃げ出した。
(逃がさん!)
バッシュゥ!
黒い光線がネイサンアルメイルを襲う。
(無駄だ!)
片手で振り払う。
お返しとばかりに両手を向けて重力魔法を発動する。
黒虫は重圧を受けて動きを鈍らせるが、それも一瞬。すぐに範囲外に逃れてしまう。
(くそ! 左腕が十全ならば今ので潰せていた!)
バールメイシュトゥアシアに食いちぎられた左腕が回復しきっていない。そのため、左腕から発動した重力魔法が完全に発動しないのだ。
(ならば、もっと近づく!)
自身にかかる重力と斥力を魔力で操る。魔法とはイメージだ。魔法擬きのような小賢しい理屈は必要としない。世界の理を捻じ曲げ、思うがままに世界を変容させる。まさに最強種たる竜族に相応しい力だった。
だが、魔法にも弱点はある。
その一つが最強金属アダマンタイトだ。この金属は魔法が通じにくい。あの黒虫は布のように薄く伸ばしたアダマンタイトを周囲にはためかせることで重力魔法の影響を振り払っている。
逃げる黒虫。
それを追うネイサンアルメイル。
突然、黒虫が動きを止めた。
落ちていく夕日を背にして、こちらに向き直った。
「…………?」
怒りよりも疑念を感じたネイサンアルメイルも動きを止める。
いつの間にかかなり西に来ていたようだった。
眼下には人間の町が一つある。
ネイサンアルメイルは知らないが、それはクサモと呼ばれる蟻喰いの戦団の拠点であった。
グレアムと蟻喰いの戦団の長い一日は、今、ようやく終わりを迎えようとしていた。
◇
「ちょっと借りるぞ」
「え!? ドッガーさん!?」
蟻喰いの戦団の元老年組リーダーであるドッガーはヒポグリフに飛び乗ると瞬く間に飛び立った。
副団長オーソンとともにクサモ退避組にいた彼は緊急連絡用として預けられていたヒポグリフを無断で借用したのだ。戻れば罰則は免れない。
にもかかわらず、そのような行動に出たのは指令がきたからだ。
ドッガーの正体は帝国陸軍情報部諜報二課所属のドレガンス・エレノア中尉である。指令元はドッガーが敬愛する主からである。断る選択肢はない。
『キャサリン・ウーヴレダル少尉を至急保護せよ』
ただ短くそう告げられただけの指示内容にドレガンスは驚きを隠せなかった。キャサリンは一度見た存在の位置と距離を正確に知ることができる【サベイング】という超希少スキルの持ち主だ。そのスキルの有用性ははかり知れない。
主はキャサリンを大切にしていたはずであるのに、なぜこんな王国の僻地にいるのか。
疑問は残るが指令を果たすために行動する。
ドレガンスはキャサリンと何度か会ったことがある。待っていればキャサリン自身がドレガンスに会いに来るだろう。
であるのに指令がきたこと、さらに『至急』という文字があったことからキャサリンが何か重大な危機に直面しているのではないかと直観したのだ。
だからドレガンスはヒポグリフで飛び立った。帝国士官は幻獣の騎乗訓練も受けている。空から捜すつもりだった。
「ん?」
ドレガンスに一羽の鳥が近づいてくる。
「…………」
鳥はドレガンスが気づいたことを確認すると、ついて来いといわんばかりに東に進路をとる。
もちろんドレガンスはそれに従う。あれは主に仕える鳥使いが操る鳥だ。
案の定、飛行してわずかな時間でキャサリンを発見することができた。
キャサリンは魔物に襲われていた。
フューネラル・クロウと呼ばれる大ガラスの魔物だ。それが三羽。
ドレガンスは亜空間収納からガトリングガンを取り出すと、負い紐を肩にかけて横抱きに構える。そして、キャサリンから最も遠く離れている一羽に狙いを定めてハンドルを回した。
ガガガガガ!
魔道具で射程距離と威力を強化された<炎弾>を全身に受けて落ちていく葬送烏。
あとは楽な作業だ。
ドレガンスに気づいた残りのフューネラル・クロウはキャサリンを放置して、こちらに向かってくる。冬の間にこのガトリングガンでどれだけの飛行型魔物を葬ったことか。無論、フューネラル・クロウもそのうちの一種だ。
あえなくその身をズタズタにされる。
我ながらとんでもない兵器を作ったものだと思う。フューネラル・クロウはかなり強い部類に入る魔物だ。それを簡単に退治できる武器をただの一兵士でも所持している蟻喰いの戦団。
主が彼らと戦わないことを願ってしまう。
「ドレガンス中尉! なぜここに!?」
「少尉。無事でなにより。まずはこれを」
ドレガンスはヒーリング・ポーションを渡す。フューネラル・クロウに襲われてキャサリンはボロボロだった。
だが、キャサリンはポーションを受け取っても飲もうとしない。瓶を両手で握りしめて俯いている。やがて、顔をあげると決意を秘めた眼でドレガンスを見た。
「…………中尉。とある軍事行動への協力を要請します」
「なに?」