110 愚者の願望 5
―― 現在 マヌ高原 ――
「ち、父が天使様を殺しただと? こ、こんなことが世間に知られたら国が吹き飛ぶぞ! い、いや、それよりも"世界線移動"だと?」
ジョセフの第七王子アロルドは顔は青を通り越して白に近い。
「な、なんだ、それは? 奴らの都合がいいように世界を置き換えるだと!? そんなのありか!?」
「ドラゴンは自身の属性にあった環境に強制的に改変する能力があることは知られています。ファイアドラゴンなら火山に、サンドドラゴンなら砂漠に、アイスドラゴンなら雪原に。いわゆる環境改変能力と言われている力ですが、それにちなんで世界改変能力とでも名付けましょうか」
動揺するアロルドに比べてマルグレット・ゼスカの声は落ち着いていた。
世界改変能力を利用すれば最愛の妹シェリーを取り戻せるのではないか。
そう考えてすぐに否定した。どういう世界になるかは結局、ドラゴン次第になる。移動した先でシェリーは既に死んでいたでは意味がない。シェリーの死をこれ以上、トカゲどもに弄ばされるのを許す気はなかった。
「名前なんぞどうでもいい! サウリュエル様! 力による改変など許されるべきことではない!」
「弱者に変わることを強要するのは強者の特権だよ~。君たち人間だってしてるじゃないか~」
「な!?」
「自然豊かな森を切り開いて畑をつくる~。平和に暮らしていた村人を奴隷にする~。君たちのやっていることはドラゴンとたいして変わらない~。君たちは許されてドラゴンは許されないという道理はないさ~」
「ぐっ!」
痛いところを突かれて絶句するアロルド。
「しかし、それにしてもドラゴンの世界改変は行き過ぎている気がしますが」
「どこからどこまで許されるなんて、そんな線引きないさね~」
「……つまり、トカゲどもの横暴に対して罰する法は天にはないという理解でよろしいのですね?」
「そんな法があれば、君たち人類も懲罰対象さ~」
マルグレットは溜息を吐いた。
(これは、詰んだかもしれないわね)
通常でも強力なドラゴンを苦労して倒したとしても盤面をひっくり返される。"世界線移動"ができなくなるまで消耗させても、まだ他のドラゴンがいる。"世界線移動"が使える上級竜があとどれだけいるのか。
「えーっと、ひゃく――」
「答えなくて結構です!」
ジョセフが自暴自棄になる気持ちもわかる。ジョセフに恨みのあるマルグレットにはまったく同情はできなかったが。
「可哀そうなお父様」
父の冥福を祈っていたティーセはポツリとそう呟いた。
「何がだ!? あのクソ野郎、死んでまで迷惑かけやがって! 天使様を惨殺したなどと知られれば、天罰を恐れた諸侯が王家に牙を剥くぞ!」
「別にそんなことしないさ~。こうして生き返ってるし~」
「そういう問題ではないのです、天使様! まずい! まずいぞ!」
頭を抱えるアロルド。
「マルグレット」
ティーセは彼女に向かって静かに頭を下げた。
「殿下?」
「ゼスカ家に起きた悲劇は聞きました」
ティーセがゼスカ姉妹と出会ったのは"ストームブリンガー"討伐戦だった。王国でも滅多に見かけない凄腕の魔術師、それが王国出身者だと聞き、興味を持ったティーセは独自に調べた。
彼女達の父はジョセフの暗殺を企て失敗。父は処刑され、連座で家族も罪に問われた結果、姉妹はイリアリノスに送られた。
「謝罪が遅れたことも含めてここにお詫びします」
マルグレットはティーセに怒りと失望を覚える。ティーセは自分に口止めを頼んでいる、だから形だけの謝罪をしているのだと思った。
最愛の妹を失った今、マルグレットを支えているものは「誇り」である。マルグレットの父は大賢者ヒューストームが冤罪を被せられ僻地に送られた時、このままでは王国が滅びると確信し、反逆者の汚名を覚悟でジョセフに反旗を翻したのだ。決して私利私欲ではない。
後ろ指さされても貴族としての使命を全うしようとした父はマルグレットの誇りである。ティーセの軽々しい謝罪はその誇りを傷つけるものだった。
「卑しい罪人に頭を下げてでも、王族の地位に留まりたいのですか?」
「私たちジルフ一族はサンドリア王宮を去ります」
「ティーセ!? 何を――!?」
"サンドリア王宮を去る"
それはジルフ一族が王族でなくなることを意味する。
「思えば父も哀れな人です。苦悩を分かち合える友もなく、何でも一人でできると思い、結果、自滅した」
孤独な人だったのです。
ティーセは悲しげにそう呟いた。
「だからといって父が臣民にした仕打ちは許されることではありません」
享楽に耽って政を疎かにし、臣下の諫言を受け入れず、あまつさえ冤罪を被せて奴隷にし、守るべき民を蟻の餌にし、そして数千の領民を<白>の犠牲にした。
「アロルド兄様。もはや私たちジルフに王位を継承する資格はありません」
「そ、それは……」
アロルドは言葉を失う。"ロードビルダー"討伐作戦開始直前に王国方面で起きた<白>の発動を思い出していた。
兄の誰かが使ったのだ。何のためかは定かではないが、<白>の効果範囲に町や村は含まれていたのは間違いない。
住民の避難は済んでいたのか。もし、済まさずにーー、それどころか何も伝えずに発動したとしたら……
「父がすべてを諦め、王としての役目を放棄した瞬間、ジルフの命運は尽きたのです」
ティーセ・ジルフ・オクタヴィオは静かに、だが決意を込めて語る。
「マルグレット・ゼスカ。我ら王族が至らぬばかりにいらぬ労苦をかけたこと、お詫びいたします。いずれすべての臣民に真実を詳にし、あなたの父の名誉を回復することをお約束します」
その言葉にマルグレットの胸がつまった。涙を抑えきれず顔を背ける。
「ちょっと待て! そんなこと勝手に決めて、一族の者たちが納得するわけがないだろ!」
「私が説得します」
「無理だ!」
「場合によっては力づくでも」
「……本気か?」
「はい」
アロルドは眩暈を覚える。
それは『革命』である。
謎の傭兵として各地の魔物を討伐して回っていたティーセは国民的人気が高い。貴族や有力者にも信奉者が多くいる。ティーセが本気で革命を目論めば、あっさり成功するかもしれない。
思わず助けを求めて周囲を見回すと、思索に耽っているグレアムの姿が目に入った。
「まさか貴様の策略か?」
アロルドはグレアムがティーセを洗脳しているのではないかと疑った。そのためにティーセと婚約したのではないかと。
もちろん、洗脳も婚約もアロルドの誤解である。むしろ、ティーセを洗脳したのはアロルドの兄であった。
「答えろ! 貴様、何を考えている!」
詰問されたグレアムはおもむろに口を開いた。
「"蟻喰いの戦団"っていう名前、どう思う?」