109 愚者の願望 4
嬉しいことに前回更新後、通りすがりの賢人様から初レビューをいただきました!
ありがとうございます!
拙作に対し過分な評価をいただき感激しています!
もちろん感想やポイント、ブクマをつけていただいている皆様にも感謝申し上げます!
―― 十数年前 王国サンドリア王宮 ――
そこは何もない空間だった。
壁も床も天井もなく、ただ虚無だけが無限に広がっているかのようだ。
(……ここは?)
頭上に金環を浮かべ背中に翼持つ妙齢の美女が目を覚ます。
天使サウリュエルである。
彼女は自分の身に何が起きたのかを思い出そうとする。
アルジニア王国の王ジョセフの三度目の召喚に応じたことは覚えている。
天道十二宮の間――かつて異世界から勇者を召喚した伝説があるというその部屋の床にはオリハルコンとミスリルの塗料で描かれた魔術陣が描かれている。それを目にした瞬間にサウリュエルは意識を失ったのだ。
サウリュエルの背後に人の気配が生まれる。
「……ジョセフ王」
「やあ、我が愛しき天使殿。ご機嫌はいかがかな」
サウリュエルは戸惑いを覚えた。
過去二度のジョセフとの邂逅。最初の彼は悲壮感を漂わせ、次に会った時は大粒の涙を流し赤子のように泣きじゃくっていた。
今、目の前のジョセフはとても機嫌が良さそうに見える。
「……ここはどこです?」
「無限回廊だ。古代魔国の最高傑作と呼ばれる魔導建築物の一つ。その様子では天使殿にも効果があるようだな」
この空間は何らかの魔術的な捕縛機構があるのだろう。サウリュエルは先ほどから天界に戻ろうとしているが戻れないでいる。
「……何のつもりです?」
「それに答える前に二つ教えてほしい。天使殿」
「何でしょうか?」
「"世界線移動"についてだ」
"世界線移動"
最強種たるドラゴンが最強である所以の力。
この世界は実は途中で枝分かれした可能性の世界が無限に存在するのだという。
世界とは可能性の集合体だ。今、現在、我々が認識している世界――メインストリームは高い実現可能性の事象が寄り集まって流れており、その周囲には事象とならなかった低い実現可能性の世界が並列して存在している。
ドラゴンはメインストリームに流れる事象を恣意的に他の可能性の事象に置き換えることができるのだという。
『川の流れに例えるならば、本川から枝分かれした複数の派川。いずれは消えてしまう運命にありますがいくつかは支川として本川に再合流します。ドラゴンは本来合流するはずだった支川を別の支川に強引に置き換えることができるのです』
サウリュエルはジョセフにそう説明していた。
「以前にお話した通りです」
「ああ、あの時は完全には理解できなかった。【ロールバック】の上位互換という浅い認識しか余は持てなかった」
ジョセフは【ロールバック】持ちの平民の少年をある貴族が飼っているという噂を耳にしたことがある。【ロールバック】は本人の死をトリガーに過去に戻るスキルだが制約も多い。
「今は完璧に理解している。あれは【ロールバック】とはまったく別の力だ」
【ロールバック】は自力で事象が変える必要がある。先の川の例に例えるなら自分で派川を作り、それが本流に合流するように行動しなければならない。当然、失敗することも多い。
"世界線移動"は都合のよい派川を選びとり、そこから発生する事象に強制的に置き換える。
いわば世界への強姦だ。世界の強制された変容に世界は抵抗できない。
「余はこの身をもってそれを知った」
「……8度の"世界線移動"を感知しました。8度、ドラゴンを殺したのですね」
「"ナハトガラック"。青い鱗を持つ美しきドラゴン。幾たびの邂逅を経て、むしろ最後のほうは友愛を覚えたほどだ」
水と気候を操る恐るべき強敵だった。ジョセフは周囲の反対を押し切り、少数精鋭で竜大陸に遠征を行う。全員、グリフォンに騎乗しベイセル=アクセルソンの【大行進】を使ってわずか五日で到着する強行軍だ。
人類がドラゴンに敗北を続けるその理由を確かめるためだった。
「最初の"世界線移動"が起きたのは余が"ナハトガラック"の魔石を砕いた瞬間だった。それが起きた時、魔石を砕いた事実はなかったことにされ、余は地面に叩き伏せられていた」
それでもジョセフは体勢を立て直し"ナハトガラック"を再び殺すことに成功する。だが、またしてもそれはなかったことにされ汚泥に塗れる。それから同じことが二度起きた。
【大魔導】ヒューストームの凄まじき魔術奥義とアイク=レイナルドの作戦と指揮と忠心がなければ、ジョセフは死んでいただろう。
「そして、5度目の"世界線移動"が起きた時、余は王ではなくなっていた」
"世界線移動"が起きても前の世界の記憶を維持しているジョセフには"世界線移動"が起きるたびに過去に戻ったように感じられた。大抵は数分前。だが、この時は一年も前に戻っていた。
王都の自分の屋敷で目を覚ましたジョセフはすぐにその世界での自分の記憶と前の世界での記憶との擦り合わせを行った。
その世界では先王であるジョセフの父が叔父のアリオンに玉座を譲り渡していた。理由は不明だ。ただ、父はジョセフが知るより半年ほど長く生き、その間に心変わりをしたようだった。
「余の心境は、穏やかではなかった。余のスキルの代償が、すぐに玉座を取り返せと訴えていた。だが、余はそれを抑え込んだ。このまま放置すれば滅びゆく人類。余が救うのだという使命感がそれを上回ったのだ」
だから、ジョセフは再度、竜大陸への遠征を計画した。だが、その世界ではヒューストームは過去の戦争で死亡しており、レイナルドは生きていたが遠征の同行をアリオンに認められなかった。さらにスキル集めも困難を極めた。
ジョセフは【絶頂に至る八芒星】という他人のスキルを借り受けるスキルを持っている。前回、借り受けたスキル持ちは軒並み行方不明か非協力的であった。
強力な味方もなく満足なスキルもないジョセフはイリアリノス連合王国で準備を行う。長年の仇敵である帝国ですら味方にした。
「そこで6度目と7度目の"ナハトガラック"の討伐に成功する」
「…………」
「8度目に"ナハトガラック"を討伐した時、"世界線移動"は起こらなかった」
「……"ナハトガラック"の"世界線移動"を起こす力が尽きたのでしょう。人間でそこまでドラゴンを消耗させたのは私が知る限り、あなたが初めてです。偉業といえましょう」
「お褒めに預かり光栄だが今の余には皮肉にしか聞こえぬな」
「…………」
「わかるか。"ナハトガラック"を討ち果たし歓喜に湧く余の前に突如、空間を操る黒いドラゴンが現れたときの余の心境を。いや、多くの仲間たちの犠牲のもとに、それでもその黒いドラゴンを討ち果たしたときの余の絶望を」
「…………」
「…………気づけば余は、再び玉座に座っていた」
「…………」
「すべては夢幻となり果てたのだ。
掴んだ勝利は砂となって指の隙間から零れ落ちた。
砂漠に鍬を入れるごとく、すべての努力は無駄に終わったのだ。
……余の心は、そこで折れた」
「…………」
「天使殿には恥ずかしい姿を見せてしまったな。前に召喚した時、恥も外聞もなく赤子のように泣きじゃくってしまった。結局、何も訊けず、何も語れず無駄足を踏ませたこと、ここに詫びる。
さて、愛しき天使殿。そろそろ本題に移ろう。
天は――神はあの"世界線移動"という暴虐の力をどうにかする気はないのか?」
「…………」
「すでに竜大陸はドラゴンで埋め尽くされている!
いずれこの大陸にまで到達するのは時間の問題だ!
幼子から老人まで踏みにじられ奴らのエサとなる!
神はそのような非道を許すというのか!
ああ、そうだ! 愛しき天使殿!
余は今! 本気で命乞いをしているのだ!
無能で無力な余を助けてくれ!
人類を! 救済してくれ!」
ジョセフの必死の叫びに、ただサウリュエルは無言の祈りで答えた。
「……………………そうか」
何かを悟ったようにジョセフは大きなため息を吐いた。
それは魂まで抜け出るような深いため息だった。
「人類は、神に見捨てられたのだな」
「…………」
サウリュエルは否定も肯定もしなかった。サウリュエルにそれを答える権利はない。仮に答えたとしても、既にジョセフの中で結論が出ていることがわかった。
「二つ目の質問だ。天使殿から借り受けた【追憶】の権能。天使殿の力で消すことは可能か?」
"世界線移動"が起きてもジョセフが記憶を維持していた理由である。最初の召喚の際にサウリュエルから借り受けていた。
5度目の"世界線移動"が起きた時、ジョセフがサウリュエルを召喚した事実もなかったことになっている。それでもなぜかこの権能だけは失っていなかった。
「私の権能を使えるのはあなたのスキルによるものです。私ではどうすることもできません」
「……わかった。知りたいことは以上だ。
ありがとう。我が愛しの天使殿。
そして、最初の天使殿からの質問に答えよう。
何のつもりで天使殿をこの異空間に連れ込んだか。
それはな、万が一にも誰かに見られるわけにはいかぬからだ。
ここなら死体の処理もしなくて済む」
「!?」
ジョセフの鋭い斬撃がサウリュエルを袈裟懸けに切り裂いた。
サウリュエルから流れた鮮血によって、白い空間が赤く染まっていく。
「天使でも我らと同じように血は赤いのだな」
「……なぜ?」
「大悟してしまえば簡単なことなのだ」
「…………」
「すべてを諦めてしまえばよい。
人類への義理は十分に果たした。
あとは余の好きにさせてもらう。
国中から美姫を集めよう。
絵画や彫刻も忘れてはいかんな。
ああ、武闘大会なんかを開くのもいいかもしれない。
つまりだ、天使殿。
そのように楽しんでいる時に"世界線移動"が起きては興が削がれるだろう?
余から【追憶】を消すには天使殿には死んでもらうしかなくてな……
聞こえているか? 天使殿?」
サウリュエルは既に絶命していた。
「……さらばだ天使殿。人類が死滅したその時に、また会おう」
地獄への水先案内人になってくれれば愚痴ぐらいは聞こう。
寂しさを含ませたジョセフの言葉は誰の耳にも届かなかった。
◇
それから数年の歳月が流れる。
幼かったジョセフの子供達は長じ、それぞれ類稀な才能を発揮するようになっていた。
そのうちの一人、ティーセ・ジルフ・オクタヴィオ。
"妖精王女"と呼ばれる彼女はアッシェント大地峡帯にいた。
グレアムと出会う一年前のことである。
「あれが"ストームブリンガー"?」
「ええ、水と気候を操る恐るべき敵です」
イリアリノス連合軍の指揮官アドルファス=サトクリフが頷く。
二人の視線の先には巨大な雲塊がある。蛇のように細長い体をもった巨大な生き物がそこから現れ、また雲の中に入っていく。
「……綺麗ね」
「ええ。神と崇められてもおかしくはないでしょうな」
農村にとって渇水は死活問題ゆえ雨を齎す"ストームブリンガー"は益獣になりうる。
程度さえ適切であれば。
"ストームブリンガー"がいる地は常に豪雨に晒される。
人類大陸に最も近い竜大陸の外円部、そこを縄張りとしていた"ストームブリンガー"が新参の"ロードビルダー"に追いやられるようにアッシェント大地峡帯に侵入してきたのが今から一月前である。既に多くの町や村、農地が水没していた。
「"ロードビルダー"?」
「山のように巨大なドラゴンです。奴の通った後は何も残らない。草地も森も岩山も、沼地や川、谷すら均される。ゆえに"ロードビルダー"と名付けました。
……手出しは無用ですぞ」
「わ、わかってるわよ。藪をつつくようなまねはしないわ。
ところでナハトガラックという人を知っている?」
「ナハトガラック? いえ、存じませぬ。その者がなにか?」
「ええ、出がけにお父様がナハトガラックによろしくと」
「ジョセフ王が?」
「苦い青春の思い出とか」
「…………」
ジョセフの昔の女だろうか?
よりにもよって娘によろしく頼むとは、ジョセフとは評判通りの人物のようだとアドルファスは内心で溜息を吐いた。王の子供達は皆、優秀だと聞く。"妖精王女"も"ストームブリンガー"の眷属と思われる中級竜をいとも容易く討ち果たしている。『ドードーがグリフォンを生む』とはどうやら本当のようだ。
「王女、そろそろ作戦開始時刻です」
「ええ。わかったわ。絶対、お父様にいい報告ができるようにするんだから」
サブタイトルを「闇堕ちジョセフ」とつけようか迷った回でした