105 終わる世界 38
(……ああ、負けたのか)
グレアムの朦朧としていた意識が回復する。
岸壁に叩きつけられ後、激しい攻撃によって意識の喪失と回生を繰り返し、やがて完全に意識を失う。
生きていたのは奇跡、――いや、主の危機を感じ取り自主的に治癒魔術をかけ続けてくれたスライム達とドワーフ少女メイシャが作り上げてくれたアダマンタイトスーツのおかげだ。
グレアムの身を守ったそのスーツは今、身にまとっていない。誰かの呼びかけで解除したのを朧気ながら覚えている。後で必ず回収しようと心のメモに留め、動けるようになった体で周囲を見渡す。
ティーセの兄という青年は岩棚の端で蹲っていた。どうやら泣いているようだ。横たえられたティーセを見つけ、彼女が死んだのかと思うと激しく心臓が脈打った。
「マルグレット。ティーセは?」
ティーセの手首を触って脈をとっていた高位魔術師に呼びかける。
「目を覚まされたのですね。ええ、大丈夫です。命に別状はありません」
その言葉に安堵する。
「……生き残ったのはこれだけか?」
<視力増加>で遠方から見た時には二十人以上はいたはずだ。彼らは空中で動きを止められ見えない力で順番に潰されていた。それを見てグレアムは超長距離から<破壊光線>を放ったのだ。
「はい。何人かは逃げたようですが、それでも両手の指の数には満たないでしょう」
マルグレットによれば"タイガー・アイ"と呼ばれた"ロードビルダー"撃破作戦に参加した勇士は324名だという。最初に巨大な邪眼の力によって北部に配置されていた半数が潰される。巨大邪眼はティーセが破壊したが、無数の小型邪眼と"ロードガーディアン"によって少しずつ削られていく。
その後、あらかじめ構築していた地下防御陣地まで撤退することで被害は劇的に減ったが、その地下防御陣地は崩落してしまい、ほとんどが生き埋めになってしまう。生き残った者はグレアムに合図を送るために空に上がっていた主力部隊で、それもあの銀色ドラゴンによってほぼ壊滅してしまった。
「……そうか」
グレアムの短い言葉には惨痛の成分が多量に含まれていた。
彼らとの面識はほぼないが、それでも人類のために国という垣根を越えて強大な敵と戦った彼らに敬意を抱く。彼らの本願を果たせなかったことが悔やまれる。
「あの銀色ドラゴンは?」
「王国への侵攻を再開しました」
「…………なぜ俺たちに止めを刺さない?」
グレアムもティーセもあいつにかなりのダメージを与えた。そんな自分達を放置しておくものだろうか?
「敵ではないのさ」
それまで黙っていたアロルドが口を開いた。
「どういう意味だ?」
「言葉の通りだ。ドラゴンにとって自分を脅かす敵はドラゴンしかいない。屋外で蚊に刺されたからといって、それを延々、追い回すバカはいない」
「……あいつにとって俺たちの攻撃は蚊に刺された程度だと?」
「現にあいつが受けた傷はすべて回復している」
ぐうの音も出ない正論だった。つまり――
(完敗だ)
"ロードビルダー"の巨体は<白>の攻撃によって消失したが、その内部から出てきたという銀色ドラゴン――"ロードビルダー"の本体であろう――が健在で、数多の"ロードランナー"を従えて王国へ進行中という状況は変わっていない。
「実際に対峙して初めてわかった。ドラゴンはただの人間にどうにかできる存在ではない。奴らにとって、俺たちはただの羽虫なのさ。父がなぜああなったのか今ならよくわかる。"ロードビルダー"は他の上級竜との縄張り争いに負けて竜大陸からやってきた個体だ。つまり、"ロードビルダー"はドラゴンの中でも最弱の部類に入る。そんな存在にすら人類は勝てなかった。聡明すぎる父は人類はドラゴンに決して勝てないことを悟っていたんだ。だから、絶望し享楽的に生きる選択をした」
アロルドとティーセの父ジョセフは国王に就任する前は文武両道の優れた為政者であったという。叔父のアリオンと共に先々代の父王のもとで見事な手腕を発揮していたと聞く。
グレアムはジョセフの最後を思い出す。王国最強の剣士グスタブ=ソーントーンに首を刎ねられた瞬間、彼は何と穏やかな顔をしていたことか。あれは、もしかすると安堵していたのかもしれない。自らの王国がドラゴンに蹂躙される姿を見ずに済んだという。もちろん、それだけではないかもしれないが、少なくとも生に執着していた人間が最後に見せる表情ではない気がする。
「マルグレット。俺に<飛行>魔術をかけなおしてくれ」
アロルドが袖で涙を拭い、唯一残った部下に命じる。
「どうする気だ?」
「俺は父とは違う。たとえ勝ち目がなくとも諦める気はない。シェリーの仇を討つ」
(シェリー?)
「私の妹です」
マルグレットが硬い声と表情で教えてくれた。アロルドをかばって死んだという。
「…………」
親しい身内を亡くした彼女達にかける言葉を見つけられないグレアム。自分の時はどうだったろうか。あいつを亡くし茫然自失とする自分に多くの人が声をかけてくれた気がするが、その中に慰めになったものはあっただろうか。
「グレアム殿。私の杖をお持ちですか?」
沈黙するグレアムにマルグレットは問いかけた。
「ん? ああ」
亜空間から預かっていた魔杖を取り出す。グレアムの位置と距離を知るためにグレアムに預ける必要があったのだという。魔術の煙による合図を受けてからは亜空間にしまっておいたのだ。
マルグレットは魔杖を受け取ると<飛行>魔術をかけるべく、アロルドに向き直った。
「待て」
杖を抑えて、それを止める。
「邪魔をするな」とアロルド。
頭に血が上っているなと感じた。シェリーという少女はアロルドにとっても大切な存在だったのかもしれない。だが、このまま行かせればアロルドの死は避けられない。若者の自殺行為を止めるのは年長者の務めだろう。今のグレアムはアロルドよりずっと年下なのだが。
「まぁ待て。俺もこのまま諦める気はない。だが、その前に情報の整理が必要だ」
「情報?」
「蚊の一刺しで死ぬことだってある。今、ここで奴の力を解き明かすんだ」
「…………」
一応は納得したのか、アロルドはその場に腰を落として胡坐をかいた。マルグレットも腰を掛けるのに丁度よい出っ張りを見つけてそこに座る。
二人が話し合う気があるのを確認したグレアムはおもむろに口を開いた。
「まず奴の特徴をあげていこう」
グレアムはそう言うと亜空間から取り出した黒板に無造作に書きだしていく。
1.山脈を不可視の力で切り開く(道を作る力?)
2.羽も翼もなく自由自在に飛び回る
3.アロルド達の動きを封じる(大規模・広範囲に)
4.兵士達を不可視の力で握りつぶす
5.遠距離にいたグレアムを一気に引き寄せる
6.<破壊光線>を捻じ曲げる
7.大量の眷属
8.超回復能力
9.
ここまで書いてグレアムは手を止めた。書こうとしたのは岸壁に叩きつけられた時に感じた違和感。叩きつけられる前に亜空間に逃げ込めばよかったのだが、グレアムは攻撃を続けた。その結果、グレアムは大きなダメージを受け、ほとんど一方的に攻撃を受けることになる。思えばあそこが勝敗を分けるターニングポイントであった。
要はグレアムが判断ミスをしたというだけの話である。生死を分ける戦いで一瞬の判断ミスが命取りになる。当たり前のことであり、その当たり前のことがグレアムに起こっただけのこと――
そのはずなのだが何かが引っかかるのだ。それとも、自分はもっとうまくできたはずだと自惚れているのだろうか。
結局、グレアムはこの違和感を具体的に言語化できず「9.ブレス」と書いた。