104 終わる世界 37
(こいつ、幻影魔術まで使えるのか……)
グレアムを抱えたアロルドは自分達の体が周囲と同じ色になって溶け込んでいることに気づいた。おかげで銀色ドラゴンはアロルド達を見失う。
それもジンジャー・ボネット中佐が信号弾の発光で一瞬でもドラゴンの視界を奪ってくれたからである。その後、中佐はドラゴンのブレスで骨も残さず消し飛んだ。アロルドは歯を食いしばってそれを見ていることしかできなかった。
中佐を助けるために動けば中佐ごとブレスで焼かれることは明白だった。それでは自分達を助けようとした中佐の行動を無意味にしてしまう。
(くそっ! 借りを返すどころかさらに積み重ねた上に踏み倒しちまった!)
イリアリノス連合王国が"ロードビルダー"の侵攻を受けている最中、三大国の中で唯一、王国だけが援軍を送らずにいた。王国から出向しているアロルドは肩身の狭い思いをする。そんな中、ジンジャーはアロルドをフォローし、この作戦でも重要な役割を任せてくれたのだ。
(すまない、中佐。今、死ぬわけにはいかん。いや、俺の命など今更、惜しくはない。だが、こいつだけは今、死なせるわけにはいかんのだ)
アロルドは傍らのグレアムを見る。
なぜ王都の兄達はこいつを討伐しないのか疑問だったが、こいつの戦いを見て理解した。討伐できないのだ。王国軍が反撃できない距離から<破壊光線>を撃ち込まれれば容易に王国軍は瓦解する。王国すら亡くなっていたかもしれない。安易に手を出そうとしなかった兄達の有能さを再確認した。
グレアムを殺すには罠に嵌めるか暗殺しかない。
(暗殺……)
今のグレアムは半死状態だ。討ち取れるかもしれない。氷雪剣の柄に手をかけ、すぐに離した。
(ダメだ。あのドラゴンを倒せる可能性があるのはこいつしかいない)
そう確信してたからこそ最愛のティーセすら見捨ててグレアムを助けることを優先したのだ。
(そうだ、ティーセはどうなった!?)
銀色ドラゴンが高度をとってあの右手をこちらに向けた時、肝を冷やしたが、なぜか銀色ドラゴンは力を発動することなく、再びマヌ高原を切り開いて去っていった。
銀色ドラゴンと十分な距離をとれたと確信できるまで、アロルドは岸壁に張り出した岩棚に身を潜め息を殺していた。
その岩棚から下を覗くと、深い渓谷は闇に包まれていた。
「そこを動くなよ」
アロルドは魔導灯を灯す。ティーセはまだ生きている可能性がある。死んだと決まったわけではない。そう、シェリーのように――
「――っ?」
ガクリとアロルドは膝をついた。
「?」
胸が痛い。息が切れる。
突然、自分を襲った不調に戸惑うアロルド。
(体力の限界? 高山病? まさか。そんなやわな鍛え方をしていない)
では、なんだというのだ? この胸の苦しみは。
ッザ
蹲るアロルドの頭で人の気配がした。
見上げると表情が消えたマルグレットがいた。
その両手に抱えているのは――
「シェリー……」
いや、違う。
ティーセだ。気を失っているようだが、命に別状はなさそうだ。
「……シェリーは?」
「……捨てました。私では二人も抱えられませんから」
それを聞いたアロルドはいてもたってもいられず飛び出そうとした。
「無駄です。遺体は既に"ロードランナー"に食われています」
その冷徹な言葉に、アロルドの膝は頽れて両手を地につけた。
「シェリー、シェリー」
思わず出た自分のその言葉に誘発されるように両目から涙が溢れた。
それで気づいた。
シェリーがアロルドの中でどんな存在よりも大きくなっていたことに。
暗くなっていく岩棚に、すすり泣く音がしばらくの間、響いた。
◇
(ああ、そんなことをしたら……)
"ロードビルダー"が切り開いた渓谷。その中ほどでシェリーの亡骸を抱えていたマルグレット。
頭上から響いた銀色ドラゴンの絶叫に思わず見上げてみれば、ティーセが"アドリアナの天撃"を銀色ドラゴンの背中に撃ち込んだところであった。
妖精の羽で飛べるティーセに当然ながら飛行魔術はかけていない。そんなティーセが羽を失えば、あとは堕ちるしかない。
マルグレットは抱きかかえたシェリーを見る。
誰よりも大切にしたい少女だった。
誰よりも幸せにしたい妹だった。
それはもう叶わない。
ここにあるのはただの肉塊。
そう、ただの肉塊なのだ。だから――
「ごめんなさい。シェリー」
マルグレットは手を離した。
シェリーの遺体は闇の底へと落ちていく。"ロードランナー"がひしめく闇の底へと。
それを見届けたマルグレットは復讐を決意する。
「すべてのドラゴンを、皆殺しにしてやる」
その小さくも地獄の底から響いてきたような誓いの言葉は、誰の耳に届くこともなく、闇に溶けて消えた。