103 終わる世界 36
ドォオン!
銀色ドラゴンの口から放たれた閃光のブレス。
太陽のごとき熱量を持つともいわれる超高熱の吐息に身を晒したグレアム。
シュゥゥウ!
骨すら残さず消滅したのではないかと気が気ではないティーセ。
ブレスの閃光が止むと周囲の岸壁は灼熱しドロリとマグマのように溶けていた。だが、それでもその中心に黒いスーツの姿があることに安堵する。
「GUOOOOOOOOOO!!!」
一方で銀色のドラゴンは怒りの咆哮をあげた。自身の必殺のブレスに耐えたことに激昂したのだろう。
ドォガァン!
羽虫ごときが!
まるで、そう言わんばかりに、その巨大な拳をグレアムに叩きつける。
ドォン! ドォン! ドォン!
何度も。何度も。
「グレアムッ!」
再び岸壁にめり込んでしまうグレアム。
ギィン!
ティーセの呼びかけに答えたのか、グレアムは攻撃を受けながらも反撃する。無数の<破壊光線>がグレアムの周りの空間から生み出され、銀色ドラゴンを襲った。だが――
バッシュウ!
やはり銀色ドラゴンに通じない。いくら魔術を放とうとも、あの光を曲げる謎の力によって逸らされドラゴンの体に届かない。
「…………お兄様。グレアムをお願い」
「!? 待て、ティーセ。何をするつもりだ?」
ティーセは鞘に納めた妖精剣アドリアナの柄に手を置いた。ここに来るまでの激戦でボロボロとなり、自然修復するまで、もう使えないと判断した神話級の宝剣だ。
「東の賢王、西の武王。南に愛染、北に魔導。世界樹守護せし至誠の王よ」
ティーセはアロルドの質問に答えず詠唱を開始する。アドリアナは通常でも物理防御無効を持つが、"アドリアナの天撃"の光を刃に纏わせれば魔術を無効化することができる。
ティーセを上から抑えつけるような不可視の拘束。もしかすると、これも無効化できるのではないかと考えた。そして、その想像は間違っていなかった。鞘の中で光を纏い始めた剣を中心に徐々に拘束が解かれていく。やがて腕が完全に自由になると、鞘からアドリアナを抜いて何もない自分の頭上に向けて一振りする。
パリン!
何かが砕けるような無機質な音が響くと、ティーセの拘束は完全に解かれる。
「よせ! そんな状態で使えばアドリアナを失うことになるぞ! いや、そんなことよりも妖精の羽はもう残っていない! "天撃"を使って羽を失えば飛ぶこともできなくなる!」
"アドリアナの天撃"は六枚ある妖精の羽一枚を消費することで、かつてこの世界にあった世界樹の力の一部を光の奔流という形でこの世界に顕現させる。この光はありとあらゆる存在を焼き尽くす。だが、ティーセに残った妖精の羽は残り一枚。しかも半欠けである。さらには妖精剣は半壊状態。
これではあのドラゴンを倒すことはできないとティーセは予感していた。
だから、ティーセはアロルドに頼んだ。
グレアムをお願い。
そう目で訴えながらティーセは詠唱を続ける。同時に自由を得た体で銀色ドラゴンに飛び掛かった。
「妖精郷に御坐す妖精王の名において、あらゆる魔を討ち滅ぼさん!」
ドン!
妖精剣アドリアナが銀色ドラゴンの背中に突き立てられる。
「GYAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
アドリアナから発した光の奔流は枝葉のようにいくつにも分岐し伸びていく。銀色ドラゴンの体内を焼いて浸食するいくつもの光は体表を突き破った。
◇
「!?」
フッと突然、アロルドの体が軽くなった。
「やったか!? ――くっ!」
魔物に対して特攻効果を持つ妖精系スキルはドラゴンに対してはさらに強い効果を発揮する。通常の"アドリアナの天撃"ならば、ティーセの一撃で勝負は決まっていただろう。だが、ボロボロの妖精剣と半欠けの一枚の羽では、上級竜たる銀色ドラゴンを倒しきれない。
大きなダメージを負いながらも未だ瞳に強い光を宿したままの銀色ドラゴンを見て、アロルドはそれを悟った。
「ティーセ!」
天撃の光が止まった後、妖精剣は音も立てずに粉々になる。そして、妖精の羽が消え飛行能力を失ったティーセは谷の底へと落ちていく。
アロルドは妹のもとへ駆けつけようとするが――
「グレアムを!」
その一言で体を止め、一瞬の逡巡の後、岸壁に向かって飛んだ。
「くそぉ!」
もはや、あの銀色ドラゴンを倒せる可能性があるのはグレアムしかいない。今、救うべきはティーセではなく、グレアムだった。
「おい! しっかりしろ! 生きているんだろうな! 死んでたらぶっ殺してやる!」
気絶しているのか、呼びかけても返事はない。岸壁にめり込んだグレアムは酷い有様だった。黒いスーツはあちこちが裂け、そこから血肉が見えている。左脚と右手はありえない方向に曲がっていた。
「熱っ!」
グレアムを岸壁から抜き出そうとするが、いまだブレスの熱を帯びる岩壁に思わず手を引っ込める。
「くそ、なんで俺がこんなことを!」
アロルドは氷雪剣グラキエスを岸壁に突きつけた。
シュゥウウウ!
グラキエスの魔力によってたちまち岩が冷えていく。すると不思議なことに頑丈そうな岩石はボロリと崩れた。
不完全な状態とはいえ"アドリアナの天撃"を受けた銀色ドラゴンは空中に留まったままだ。ダメージが大きすぎて動けないのか、それとも回復に専念しているのか。
いずれにしろグレアムを救出するチャンスだった。
「トミー、オースティン、手伝え!」
アロルドと同じように解放されているはずの魔斧と魔槍を使う兄弟戦士に呼びかける。だが、彼らは銀色ドラゴンに止めを刺すことを選んでいた。
「!? 止せ!」
アロルドの静止も間に合わない。魔斧がドラゴンの首元に、魔槍は眉間を貫いた。
「やった! ――っ!?」
魔斧も魔槍も刃先で止まっている。通常の魔物ならば、たとえあれより大きな獲物でも首を断ち切り、眉間を深く貫いたことだろう。だが、今、相手にしているのは上級竜だった。
パシャ!
銀色ドラゴンは億劫そうに動かした右手でトミーを握りつぶす。
「! 兄者! おのれ!」
オースティンは槍を逆手に持ち、何度も眉間に突き立てる。だが、槍の穂先は硬い銀色ドラゴンの皮膚に阻まる。やがて、一振りした銀色ドラゴンの腕によってオースティンは弾かれ――
ベシャ!
岸壁に血の花を咲かせた。
「くそ!」
他の者は逃げたようで、この場に残ったのは銀色ドラゴンとグレアム、そしてアロルドだけとなる。
「ぐ……」
その時、グレアムが呻き声をあげた。
「!? おい、生きているのか!? ティーセが時間を稼いでくれた! 奴が動けないうちに逃げるぞ!」
グレアムが身じろぎする。だが、岸壁にめり込んでいるせいで体がほとんど動かせない。
「待ってろ! 今、掘り起こして――」
バシュゥ!
グレアムが纏っていた黒い衣装が解け、中からカーキ色の軍服姿のグレアムが現れた。グレアムの体が前に押し出されると、アロルドはその身を支えた。
「よし! ここから離れ――」
アロルドは銀色ドラゴンと目が合う。
「…………どうあっても、ここから逃がさないといった感じだな」
怒りと殺意が二人に降り注ぐ。
一歩でも岸壁から離れればあのブレスが放たれる。
アロルドはそう予感した。
「蛇に睨まれたカエルか」
(一か八か突破を試みるか?)
すぐに攻撃してこないのは回復を待っているからだろう。万全の状態で自分達を殺す気だ。
ならば時間をかければかけるほど、こちらが不利になる。まだ、ダメージがあるうちに逃げるか。
だが、アロルドはグレアムを抱えている。当然、飛行速度は落ちる。あのブレスを躱しきれるか?
せめてグレアムが自分で飛んでくれれば。そう思い、横を見ればいつの間にか、グレアムの脚が修復されている。
(自分に治癒魔術をかけているのか!? ならば――、くっ、ダメだ! あのドラゴンの回復の方が早い!)
銀色ドラゴンは既に九割がた治癒していた。
(強引に突破するしかない!)
アロルドが覚悟を決めた時、視界の隅に飛翔物が入った。
「!? 信号弾!?」
飛翔物が銀色ドラゴンの手前にくると――
パァア!
そこで強烈な光を放った。
◇
「GU!?」
一瞬、視界を奪われる銀色ドラゴン。
ドラゴンがもつ超回復能力によって、すぐに視界を取り戻すが既にあの目障りな羽虫は影も形もなくなっていた。
「…………」
飛翔物が飛んできた方向に顔を向ける。
そこには地を這うな虫が一匹。
「GURURURU」
殺意を向けるが虫は怯えるどころか、不敵な笑みを浮かべて中指を空に向かって突き立てる。
挑発されているのだと感じた。
カッ!
灼熱のブレスを放ち、地虫を骨も残さず消し飛ばした。
だが、それでも気が晴れない。
最後まであの地虫は不敵な笑みを崩さなかったからだ。
「GURURU」
唸りながらドラゴンはあの消えた羽虫を探す。どうせ、どこかに隠れているに違いない。
それならば、この周囲一帯をまとめて潰してしまおうか。
「GURU」
悪くない案と思える。
銀色ドラゴンは高く飛び上がると右手を下に向けた。
力を発動しようとした、まさにその時――
GIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!
ドラゴンにしか聞こえない音が頭に飛び込んでくる。
音の発生源は遥か東北東。
(バールメイシュトゥアシア)
自分と同じ最強種に属する一体だ。
奴から発した音は強い不快感を伝えてきた。
『何をグズグズしている? さっさと自分の縄張りから出ていけ』
羽虫どもに抱いた別種の激しい怒りに襲われる。
(貴様に左手を食いちぎられなければ!)
あんな虫に煩わされることなどなかったのだ。
(せめて、あと一昼夜、左手の回復に専念できていれば)
あの至高の力を使う必要もなかったことだろう。
「……………………」
だが、いかに不快でもバールメイシュトゥアシアの方が今の自分より強いことは事実である。
(奴を打倒するには眷属の数が足りぬ)
遥か眼下にいる眷属達を見下ろした。バールメイシュトゥアシアに挑み勝利するには少なくとも今の十倍の眷属が必要だった。
(いずれ目にものをみせてくれる、バールメイシュトゥアシア!)
怒りを押し殺し、右手を岸壁に向ける。
その力で再び山が切り開かれていく。
人間達が"ロードビルダー"、もしくは銀色ドラゴンと呼ぶ上級竜ネイサンアルメイルは王国への進攻を再開した。