89 終わる世界 23
「なんだい、ありゃ?」
旧ドイツ軍のような軍服に身を包んだジンジャー・ボネットは思わずそう口にした。
"ロードリサーチャー"
"ロードビルダー"の眷属にして翼持つ下級竜である。この竜は"ロードビルダー"の進行方向に敵がいれば排除する役割を持つと言われている。
ジンジャー・ボネットがこれから始める作戦に"ロードリサーチャー"の存在は障害となる。イリアリノスの生き残りで排除に乗り出したが多勢に無勢。
無数の"ロードリサーチャー"に襲われた部隊は瞬く間に数を減らし、残りは王国から出向しているアロルド王弟とゼスカ姉妹だけとなる。
ここまでかと思われた瞬間、どこからか黒い物体が飛んできたと思ったら、恐るべき火力で"ロードリサーチャー"を殲滅してしまったのだ。
もう一人誰かと合流後、何事か言い争っていたが、しばらくして黒い人物は"ロードビルダー"の後方に飛んでいく。やや遅れてゼスカ姉妹の片割れが後を追った。
残った三人はジンジャーの近くに降りてくる。
◇
「……すまない、中佐。預かった戦力をすべて失ってしまった」
「目的は果たしてくれた。充分だよ、殿下」
「……帝国兵?」
ティーセは年配の大柄な女性が着ている角張った黒い服が帝国の軍服であることを思い出す。
「初めて見る顔だね。王国からの援軍かい?」
「ティーセ・ジルフ・オクタヴィオよ」
援軍どころかイリアリノスが壊滅状態であることすら先程、知ったところだ。それを素直に言うほどティーセも外交音痴ではない。だから、ティーセは否定も肯定もせず、自己紹介だけした。
「ああ、"妖精王女"さまかい。こいつは心強いね。あの黒いのはさしづめ王国の秘密兵器ってところかい?」
「あなたは?」
「ジンジャー・ボネット。見ての通り帝国の軍人さね」
「その帝国軍人がこんなところで何をしているの?」
ティーセが降り立ったのはトラロ山脈の中腹にある標高二〇〇〇メイル、東西におよそ三〇キロメイル、南北に二〇キロメイルのマヌと呼ばれる高原地帯であった。
「詳しい話は中で話そうかね」
ジンジャーが親指で指し示したのは、小高い丘の斜面に掘られた穴。
ティーセがちらりとアロルドを見ると、彼は小さく頷いた。信用してもいいということなのだろう。
いかめしい軍服に身を包んでいながら威圧するような雰囲気はなく、かといって侮れば痛い目を見る。ジンジャーという帝国軍人はティーセにそんな人物観を抱かせる。
(こういう人間は信用してもいい)
傭兵稼業の経験がティーセにそう思わせる。
ジンジャーに連れられて入ったほら穴の中は思いのほか広かった。
ほら穴は長方形にくり抜かれ、長辺の片側にはいくつもの窓が掘られている。そして窓の手前には車輪がつけられた台車が等間隔に並び、一台の台車につき3~4人の帝国軍人が何か作業をしていた。台車の上には金属の大きな筒が乗せられている。
「あれは?」
「帝国の新兵器、火砲さね」
「火砲?」
「火砲がどういうものか、すぐにわかるさね。それよりも、でかぶつがやってきたさね」
ジンジャーが覗き込んでいる窓から外を見ると、緑乏しい地面が陥没していくところだった。
忌まわしき"ロードビルダー"の環境改変能力。
その力によって瞬く間にマヌ高原に深い谷が出来上がる。
"ロードビルダー"の前にはどんな険しい山も無意味だ。進路を阻む山と丘は削られ、湖沼と河川は埋め立てられる。"ロードビルダー"が造り通った道はまさに不毛の地と化すのだ。
ズズン!
"ロードビルダー"がたてる足音がほら穴の中にまで響いてくる。
「攻撃用意」
ジンジャーは通信用魔道具を片手に静かにそう告げた。
◇
ジンジャー・ボネットがその指令を受け取ったのはおよそ二ヶ月前のことである。
「こりゃどういうことだい?」
一瞬、暗合解読を間違えたのかと疑ってしまう。その指令書には帝国軍参謀本部の名前で帝国軍野戦重砲兵第一連隊は速やかにマヌ高原に移動するように書かれていた。
「……おそらく参謀本部は現有戦力での"ロードビルダー"の足止めは不可能と判断したのでしょう」
副官のキャサリン少尉が冷静な口調で述べる。
ジンジャー達はイリアリノス救援のために危険な海を渡ってきた。だが、天候に恵まれず到着したのは"ロードビルダー"がイリアリノスの最終防衛ラインを突破した後のことであった。
「こちらを」
キャサリンが差し出した書類はイリアリノスがこれまでに実行した"ロードビルダー"足止めのための作戦概要とその結果だった。
作戦は"ロードビルダー"の足の破壊を主眼に置かれていた。
これは分かる。ジンジャーでもそうする。
だが、そのために掘られた巨大な落とし穴は"ロードビルダー"の能力によって埋められた。イリアリノス連合軍が直接攻撃を敢行するも、無数の"ロードランナー"によって阻まれ、何とか足元にたどり着いても<爆砕>や<破壊光線>でも破壊することは叶わなかったという。
"ロードビルダー"の足は準アダマンタイト級の硬度があると予想されるとの添え書きにジンジャーは頭を掻いた。
「常識はずれのでかぶつが。……なるほどさね。参謀本部が何をさせたいのか理解できたよ」
参謀本部の狙いは火砲の集中砲火による"ロードビルダー"頭部の破壊であろう。
"ロードビルダー"の進行を阻むモノはない。
ゆえにその進行方向は真っ直ぐだ。
そして、その予測進行方向にマヌ高原がある。
標高二〇〇〇メイル。それは"ロードビルダー"の頭部よりやや高い。
「でかぶつがマヌ高原に作りあげる谷の両側から火砲の集中砲火で頭部を破壊しろってことさね」
「"ロードランナー"で溢れる平野から砲撃するよりも、至近距離から安全に狙えるということなのでしょう」
理屈は分かる。だが、実現できるかどうかは別問題である。
「バカげた作戦だ。あいつの立案に間違いないさね」
「あの方はできると思っているのでしょうか?」
「思っているんだろうさね。貴官がいれば」
かつて、帝都の下町で詐欺まがいの失せ物探し占いをクソ親にやらされていた痩せっぽっちの少女を見出したのはあいつだ。特定の物体の距離と方角を正確に知ることができる【サベイング】スキルを持つキャサリンはこの野戦重砲兵連隊になくてはならない存在となっていた。本人は知らないが、たとえ連隊が全滅してもキャサリンだけは生きて本国に帰すように厳命されている。
「中佐は不可能だと?」
「……でかぶつがマヌ高原に到達するまでの時間は?」
「……魔物と違い休息と睡眠を必要とする"ロードビルダー"の一日の移動距離はそれほどでもありません。後で正確な時間をお伝えしますが、概算ではおよそ二ヶ月あまりかと」
キャサリンの答えを受けて、ジンジャーは渋い顔をした。
「冬の山を越えるのに装備も兵糧も足りない。高地順応と陣地造営もしなきゃならん。火薬の燃え方だって平地とは違うだろうさ。二ヶ月という時間はあまりに少ない。それに……」
(頭を潰したくらいで死んでくれればいいさね)
何せ相手はこちらの常識が通用しない化け物だ。心臓と一緒に潰さなきゃ死なない、あるいは頭が二つある、ぐらいのズルはあってもおかしくない。
しかし、ジンジャーとしても、このまま何もせず帰るという選択肢はなかった。
「……キャサリン。連合軍の大将はアドルファス=サトクリフといったかね。アポをとってくれるかい」
「イリアリノスの残存戦力を引き込むつもりですか?」
主力のガイアメルン竜装騎士団、テレアネット豪炎魔術兵団、独立混成旅団、栄光の夜明け傭兵団は、いずれも先の戦いで壊滅状態にあるという。
「このままだとでかぶつは人類大陸に侵攻する。竜の脅威を誰よりも知ってるあいつらにとってもそれは防ぎたいはずさね」
「ですが、火砲の存在を知られることになります」
「あたしらを救援によこした時点で、上の連中も織り込み済みさね」
「しかし――」
「全責任はあたしがとるさ。今は山越えと、でかぶつの撃破を最優先に考えるさね」
そうして、二四門の火砲を持つジンジャーの連隊と、イリアリノス残存戦力の一部は"ロードビルダー"を迎え撃つためにマヌ高原へと移動する。装備と人員をほとんど失わずにマヌ高原に辿り着けたのは奇跡的といえるだろう。
ジンジャーはキャサリンに測量を行わせ、"ロードビルダー"が造るであろう「道」を挟むように二箇所に砲陣地を築く。山越えから陣地を築く二ヶ月の間、"ロードビルダー"の進行方向は決してずれることはなかったという。イリアリノスに残ったアドルファス=サトクリフは意地を見せられず散ったのだ。
「まったく、男ってやつは……」
「?」
哀しみと慈しみがこもったジンジャーの呟きに"妖精王女"が不思議そうな顔を見せる。
「なんでもないさね。それよりもきたよ」
あらわれたのは平べったい頭に、顔の半分が裂けているように見える大きな口だった。目がどこにあるのか分からない。代わりに無数の瘤が生えている。
グレアムが見ればオオサンショウウオのようだと感想を抱いたことだろう。
そのオオサンショウウオの頭がゆっくりと通りすぎる。長い首がつながりそこにも無数の瘤が生えていた。
「…………」
ジンジャーはその瘤に言い知れぬ不安を覚えた。
(ここまできて弱気はなしさね)
「――っ!? 西の空に異変!」
突如、轟くキャサリンの警告。視線をやると白い光の柱がそびえ立つ。
(っ!? まさか王国の<白>か!? なぜ、このタイミングで!? 王国の罠!? いや、今、考えるべきは――)
「キャサリン少尉! あの柱までの距離は!? 概算でかまわん!」
「およそ四〇キロメイル!」
「ならば無視さね! ここは攻撃範囲外さ!」
オオサンショウウオの頭が予定地点に到達する。ジンジャーは叫んだ。
「攻撃開始!」