88 終わる世界 22
スライムネットワークシステム。
複雑な魔術演算を小さく細分化し、複数のスライムに処理させることで通常の魔術師では到底できない大規模魔術を行使することを可能にした分散高速演算システムである。
だが、このシステムには一つの欠陥があった。
グレアムが今まで使用した魔術で最大のものはスライム百万体分の魔力を使用した<魔術消去>である。
数十万に細分化した演算結果を統合後、これを1万分の1にまで圧縮。さらに魔術放出後、自動解凍して展開するための術式を組み込んでいる。
この無駄に思える一連の処理をしている理由はグレアムがブロランカ島の二の村に来た直後に起きたあるエピソードが関係している。四肢の一部が欠損している住人を全員まとめて<再生>させたグレアムは魔術行使後、体中の穴から血を流して倒れた。
過剰出力。
統合された魔術演算の結果をそのまま行使するにはグレアムの魔術師としての器があまりにも小さすぎたのだ。スライムから受け取った巨大な魔術はグレアムの霊体を傷つけ、肉体にフィードバックされた。
もし、ヒューストームによる適切な処置がなければグレアムは廃人になっていたかもしれない。
すなわち、強大な魔術を行使するためのシステム唯一の欠陥とは、グレアムというボトルネックだった。
その事実をグレアムは、冷静に受け止めた。
自分が「欠陥品」であるということは前世から自覚していた。
その事実が一つ増えただけのことである。
傷が癒えた頃、ヒューストームとともにグレアムの限界を知る試みが行われた。
その結果が、王宮の内廷全体に<魔術消去>をかけようとすればスライムネットワーク全体の90%のリソースを使用して圧縮・自動展開処理を行わなければならないということだった。
さらに、それ以上の大規模魔術を行使しようとすれば圧縮しきれずに、今度こそグレアムは死ぬだろうとヒューストームは警告していた。
「それでも魔術師千人分の魔術は行使できるわい」
そうヒューストームが言っても欠陥を残したままでは未知の強敵に不意に遭遇した場合、対応できないかもしれない。どうにかしてシステムのリソースを十全に使用できる方法はないものか。
試行錯誤したが、結局、このボトルネック問題の解決方法はブロランカ島にいる間には見つけられなかった。代わりに入念な準備を整えて、一連の逃避行へと入る。
解決の鍵はその逃避行の中でもたらされた。
王国の"魔女"ケルスティン=アッテルベリが持参したエスケープスライム。この黒い体のスライムは外敵に対して薄皮一枚残して逃げる特性を持つ。「自切」という自己防衛術の一種であるが、この逃走方法が空間転移という極めて珍しい方法を使用する。
仕組みを調べてみると、まずエスケープスライムは周囲に思念波を飛ばす。その思念波を受け取った他のエスケープスライムとの間にパスを通す。
転送の始点となる皮を残すことでそのパスを維持し、終点のエスケープスライムの近くに転移する。
つまり、エスケープスライムが皮を残すのは、敵の目眩ましのためだけでなく、送信装置として使用するためでもあったのだ。転送先のエスケープスライムは転移してきたエスケープスライムの受信装置として機能する。このように転移が二体で一セットとなっているのは、転送先が安全であることを確認するためなのだろう。
そして、転送対象はスライム本体だけでなく魔術でも可能であった。大規模魔術演算の結果をグレアムを通さずにエスケープスライムからエスケープスライムに転送できるのだ。
いわば「魔術転送」である。
この方法ならば圧縮は必要なく、スライムネットワークのリソースを100%魔術に使用できる。転送距離は思念波さえ届けば制限は無いようなので、クサモを中心に二キロごとに中継用のロックスライムを配置することにした。
ミストリア達にエスケープスライムとロックスライムをバラ撒かせた後、グレアムがクサモに居ながらクサモから遠くにある魔道具を<魔術感知>で位置を特定し、<魔術消去>で魔道具内の術式を消去できるか実験を行った。
一日に数度、大規模に<魔術感知>を実施しスライムネットワーク内のエスケープスライムから転送。各地のエスケープスライムは周囲三六〇度に感知波を放出。感知した場合、速やかに場所を通知。<魔術消去>を転送して、各地のエスケープスライムは先程、感知波で特定した「目標」に<魔術消去>を放出する。
この実験の成功によって、グレアムはクサモの周囲に仕掛けられた<白>の魔道具を早期に見つける。そして、当然ながらグレアムはこの「魔術転送」を攻撃に使うことを考えた。
問題はどのようにして敵を「目標」たらしめるかだった。<魔術感知>は敵が魔道具を持っているか魔術を使わなければ感知はできない。さらに魔術を放出するための受信側となるエスケープスライムは亜空間の外にいる必要がある。
(魔銃のロックスライムのように魔杖を咥えさせて放出させるか?)
試してみる。
パァン!
放出直後に魔杖が粉々に弾け飛んで<超強化炎弾>はあらぬ方向に飛んでいった。過剰な出力に魔杖が耐えられなかったのだ。
次にジョセフをレールガンで狙撃した時のように<目標指示>で目標を指定する方法を試してみる。これはうまくいったが、別の問題が発覚した。
魔術を放出したエスケープスライムが敵に狙われる可能性があるということだ。レールガンのように超長距離攻撃できるように魔術を強化するのは意味がない。魔術を圧縮する代わりに魔術の射程距離を伸ばしただけになってしまうからだ。
また、<目標指示>では指定できる敵も限定される。グレアムが想定している運用は不特定多数への攻撃である。スライムネットワークシステムのリソースをフルに活用するなら、万の大軍を一人でも殲滅できるはずだ。
(やはり<魔術感知>のような方法で敵を感知する必要がある)
そう思っても解決の糸口は見つからず、グレアムの構想はしばらく放置される。
ヒントとなったのはエステルとのランチミーティングでの場だった。
彼女が住んでいたアムシャール村近辺にサウザンドスピアモールが出るという。巨大なハリネズミみたいな魔物と聞いてグレアムに閃くものがあった。
エスケープスライムの皮は送信だけでなく受信でも機能する。皮で作った服を身にまとえば全方位への攻撃が可能になる。敵の存在はタウンスライムが感知してくれる。グレアムに敵意や害意を向けた存在をエスケープスライムに通知し、その存在に向かって魔術を放出するのだ。
試作品を作成し、グレアムは魔物が湧き出る穴の一つに飛び込んでみた。
(…………)
殲滅は一瞬だった。
唖然とする団員達の視線を受けながら、グレアムは自分が身につけている試作品を引っ張ってみる。
ラバースーツのようになったそれは防御力がない。
鍛冶師のメイシャに相談したところ、皮を極薄の多孔質アダマンタイトと重ね合わせることを提案された。
そうして完成したのが魔導兵装オードレリルである。
グレアムに敵意や害意を向けた存在に対して自動的に迎撃する魔術兵装。
それが魔導兵装オードレリルの正体であった。
◇
神童とも言われた魔術師姉妹の姉マルグレット・ゼスカは何が起きたのか分からなかった。
否、脳が理解を拒否した。
グレアムの周囲に現れた拳大の黒い魔力の塊。
それが上位魔術<破壊光線>発射直前の魔力塊であることはかろうじて分かる。
だが、それがなぜ無数に存在しているかが分からない。
宮廷魔術師レベルでも<破壊光線>を二発撃てば魔力は尽きる。
ましてや同時に撃とうするなど不可能で、実際にやろうとすれば脳が焼き切れて死ぬ。
だから、そのありえない光景に、マルグレットの思考は停止した。
ドシュュュュュュゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウ!!!
放たれた無数の黒い光が数多の小型ドラゴンを貫いていく。
胴体が消失し首と四肢がバラバラになる個体。
首だけを失う個体。
体の半分を失う個体。
小型といえど最強のフィジカルを持つはずのドラゴンが、何の抵抗もできずに破壊されていく。
その光景に――
「は、はは」
マルグレットの口からなぜか笑いがこぼれた。
◇
(……削れたのはよくて1割か)
<破壊光線>の射程距離圏内の"ロードランナー"は残らず殲滅した。
ギリギリ射程距離圏外にいた小型ドラゴンは仲間が黒い光によって消失した光景に戸惑い足を止める。だが、その光景を見ていない後ろのドラゴンに押され、それでも留まっていたドラゴンは仲間によって踏み潰される。
再び雲霞のごとく押し寄せるドラゴンに対してグレアムは軽く息を吐いた。
(時間がかかりそうだな)
亜空間から大量のタウンスライムを放出し、ドラゴンの残骸を回収するように命じる。ドラゴンの死骸を原料にナノスライムにマナポーションを作らせスライムの魔力回復にあてるつもりだった。
"ロードランナー"を全滅させる程度ならば、現在の魔力残量でも問題ない。だが――
("ロードビルダー"と戦うことになるかもしれない)
アロンドの作戦に期待していないわけではない。だが、戦う必要はないと楽観することはできなかった。
実際に戦うことになった場合、あの超巨体にどれだけ魔力を消費するか分からない。
(もしかするとあれを使うことになるかもしれない)
それはグレアムが持つ最後の切り札である。それを切るために必要な魔力量を計算しながらグレアムは"ロードランナー"の群れにその身を躍らせた。
◇◇◇
余談であるが、グレアムはアダマンタイトとエスケープスライムの皮で作ったこの装備を"ハリネズミ"と名付ける。
ところが、メイシャが「ダサい」と勝手に"オードレリル"と命名してしまう。
「……却下だ」
「なんでやねん」
さて、エスケープスライムの皮には寿命があり、定期的に貼り替える必要がある。この作業を戦団の生産部門に任せていたのだが、彼らの間でいつの間にか"オードレリル"の名前で定着してしまう。そしてあろうことか、その名前が戦団全体にまで波及してしまった。
「…………」
メイシャの賞与査定票を前にしたグレアムが自らの良心と戦ったのは秘密である。