87 終わる世界 21
グレアムは蟻喰いの戦団と連絡を試みる。
戦況はどうなっている?
こちらの損害は?
春嵐作戦は発動したのか?
グレアムが戦団と切り離される事態も想定していた。だからといって不安が拭えるわけではない。敵にどんな切り札があるか知れたものではない。
だが、どんなにスライムの思念波を飛ばしても戦団に繋がらない。思念波が届く距離は二キロメイルと制限があるが、間にスライムがいれば思念波を中継してくれる。つまりは周囲にスライムがいないのだ。ドラゴンの影響かもしれない。
(やはり、通信に利用するには二キロメイルは短すぎる)
思念波通信ができることから電波通信を後回しにしていたことを反省する。電波通信の確立について優先順位を上げることを心にメモした後、眼下の"ロードビルダー"をあらためて観察した。
形はブロントサウルス。首から尻尾の付け根までの皮膚には一メイルから三メイルまでの瘤のようなものが無数に生えている。エストックのような鎧刺しの武器で突けば膿が吹き出しそうな感じだ。
だが、やはり何と言ってもその巨大さだ。
東京都心にある巨大なビルのような脚を一歩動かすたびにズズンと地響きが起きる。動きは鈍いが一歩が大きいため移動速度は速い。
ドラゴン。
王国航空部隊でテイムしていたグリフォンやヒポグリフと同じ幻獣と呼ばれる生き物。
魔物と同じように大気中の魔力によって生命活動を維持しているといわれている。だが、魔物のように何年も食べ物を摂取せずには生きられないし、疲労もして睡眠を必須とする。幻獣は魔力を利用しているかどうかだけで、普通の動物と違いはないのだ。
(…………)
グレアムはそこにドラゴン打倒の可能性を見出す。だが、そのアイデアはすぐに実行できることではない。とりあえず、これも心に留めておく。
"ロードビルダー"の長大な尻尾の先、そこに目標の"ロードランナー"の群れはいた。早速、始めようとしたところで――
(……?)
後から何かが飛んでくる。それはアロンドに付き添っていた魔術師姉妹の一人だった。確かティーセは"マルグレット"と"シェリー"と呼んでいた。彼女はどちらだろうか。
「何か用か?」
「いえ、助けていただいたお礼を言うのを忘れていまして」
「律儀だな。でも、それだけか?」
礼だけなら落ち着いた後でもできるだろう。礼はすぐにしないと我慢ならないような融通がきかない相手とも思えなかった。
「はい。アロンド殿下から余計なことをしないように見張れと命令を受けています」
「なるほど」
アロンドがこれから何をするのか知らないが、不確定要素一つあるだけで作戦が失敗する可能性がある。作戦の詳細を知っている人間をつけて、それを防ごうというのだろう。
「それに私もあなたに興味がありました。マルグレット・ゼスカと申します」
マルグレットは胸に手をあてて軽く一礼する。
「興味?」
「あのジョセフを殺せる人間とはどういうものか、と」
「…………」
「正直、あれはドラゴンに食い殺される人類最後の一人になるだろうと思っていました」
マルグレットにとってジョセフが誰かに殺されるとは夢にも思わなかったという。"暗部"という超技能者集団に常に守られている上に、暗殺の定番の毒は魔道具で効かない。さらにはジョセフ自身も【超回復】や【全身武闘】といった対暗殺に適したスキル持ちだ。
ジョセフの暗殺計画はマルグレットが知る限りでも片手の指では足らないほど画策されてたそうだが、ほとんどは計画段階で立ち消えになったという。
それでもごく僅かな暗殺計画が実行に移された。結果は言うまでもないだろう。
「なんでそんなこと知ってるんだ?」
暗殺計画なんて機密も機密だろうに。
「イリアリノスというのは罪人が送られる場所でもあるのですよ」
マルグレットは自嘲するように暗く嗤った。
「…………」
なんとなくゼスカ姉妹の出自に想像がつく。
「つまり俺を恨む気はないと」
「恨むどころか感謝している人間の方が多いかと」
「…………」
マルグレットの言うことをすべて鵜呑みにできないが、少なくともグレアムに敵意を持っていないことは間違いないようだった。
「まあいい。背中から刺すつもりがないなら問題ない」
「そのようなことをするつもりはありません」
マルグレットは不快そうに眉を顰めた。
「いや、単純に君が危ないからだ」
「……それはどういう意味でしょう」
「まあ見ていればわかる」
道が新たな狩猟場へと繋がることを待ち構えているかのような"ロードランナー"の群れ。
グレアムはそこに、<火爆>を放った。
突如、起きた爆発に数体の"ロードランナー"が吹き飛ばされる。突然の事態に"ロードランナー"の群れは足を止め周囲を見渡した。やがて一体が空に浮かぶグレアムを見つけ、先程の不埒な攻撃が奴によるものだと理解したのか怒りの声を上げると、それに呼応して他の"ロードランナー"も空を見上げて怒りの叫びを上げた。
「何をしているのです!?」
<火爆>程度の魔術では"ロードランナー"の群れの1%も削れていない。
「いたずらに彼らの怒りを買っただけではないですか!」
「それでいいんだ」
グレアムはそのままイリアリノス方面に飛びたつ。その間にも<火爆>を放つのを忘れない。グレアムが飛び去った後の地上では、一定間隔で爆発が起きて"ロードランナー"が吹き飛ばされていく。
当然ながら小型ドラゴンの群れは、この不埒な攻撃者を追った。百万の群れがたてる地響きは"ロードビルダー"のそれにも劣らない。
(……ここらへんでいいか)
"ロードビルダー"とは充分な距離をとれた。ここならアロンドの作戦の邪魔はしまい。
「な!?」
グレアムが地上に降り立ったことにマルグレットが驚きの叫びを上げた。
百万に及ぶ"ロードランナー"の殺意が一斉にグレアムに襲いかかる。
その喉元に牙を突き立てろ!
鉤爪でハラワタを引きずりだせ!
引き裂いてバラバラにしろ!
体のすべてを噛み砕け! 小指一本でも残すな!
そんなドラゴンの情動が空気を歪めそうなほどに伝わってくる。
それに対してグレアムは――
(魔導兵装オードレリル、起動…)
ただ、静かにそう念じただけだった。
――――――
そして、マルグレットは恐怖とともに理解する。
ジョセフという化け物は人間に殺されたのではないということを。
単純にジョセフを凌駕する化け物に殺されただけなのだということを。