86 終わる世界 20
峻険な山脈を不可視の力で切り進む"ロードビルダー"と呼ばれる巨大なドラゴン。
初めて目の当たりにした人類の天敵にグレアムの手は震えた。
(……恐怖?)
グレアムはゆっくりと鼻から息を吸う。<飛行>の空気供給機構が働いて地上と変わらぬ酸素量をグレアムの肺に与えた。そのまま二秒止めてから、ゆっくりと息を吐く。ついでに自分に<精神異常回復>をかける。
それでどうにか平静を取り戻す。
「……でかいな。竜大陸にはあんなのがゴロゴロいるのか?」
「まさか。ドラゴンの中でも最大って言われているわ」
「そいつはよか――っ!?」
"ロードビルダー"の巨躯に目を奪われて気づかなかった。
トカゲの頭に巨大な鉤爪を持った後ろ脚で二足歩行するドラゴンがいた。
体長は二メイルほど。"ロードビルダー"に比べれば実に慎ましいサイズである。
だが、"ロードビルダー"が作り上げた道の上に夥しい数の二足歩行ドラゴンが犇めき合っていた。
「"ロードランナー"! なんて数!」
「……百万匹はいるぞ」
グレアムは亜空間からサンダースライムを取り出すと電波の発射を命じる。サンダースライムがその電波の反射を受け取りその結果を思念波でグレアムに送ることにより、反射物までの距離と方位を測ることができる。
いわゆるレーダーである。
これによってグレアムは金属武具で身を固めた王国航空部隊やベイセル軍とヘイデンスタム軍の位置と規模を正確に把握することができていた。
(やはり、ドラゴンに対してレーダーが返ってこない)
そうでなければグレアムがあのドラゴンの大群を見落とすことはなかった。まさかイリアリノスを滅ぼしたドラゴンたちがこれほど近づいていたとは想定外だった。
ドラゴンともいずれは戦うであろうことは予想していた。だが、それはずっと後のことだと思っていたのだ。なぜなら王国とイリアリノスの間にはトラロ山脈がある。いかに最強の肉体を持つドラゴンといえど、これを越えてくるのは容易ではないと。
それがあんな規格外の方法で山を越えてくるとは……
(どうする?)
"ロードランナー"の群体をよく観察すれば、傷つき弱っている個体がいた。まわりのドラゴンがその個体を執拗に攻撃している。やがて弱っていた個体が倒れ伏すと、すかさずドラゴン達が群がり、その個体を貪り始めた。
(うっ)
ドラゴン同士の共食いに生理的嫌悪感を覚えたグレアムは視点を移動した。だが、同じような光景が群体のあちこちで起きていた。
(こんな飢えた凶暴な連中が王国に流入すれば戦団も無事ではすまないぞ)
"ロードビルダー"は既に四分の三、トラロ山脈を踏破していた。このペースでは一時間も経たずに王国とアッシェント大地峡帯を結ぶ道が完成する。
「っ!? 見て、グレアム! あそこで誰かが襲われている!」
ティーセの指差す先に空を飛ぶ剣士と魔術師らしき二人が複数の翼竜に襲われていた。
「助けにいく」
すかさずそう決断する。ドラゴンに対して何か情報を持っているかもしれない。
「ティーセはここで待ってろ」
「え!?」
グレアムはティーセの手を離し、三人が襲われている空域に急行する。
三人は背中合わせとなって翼竜の群れに囲まれていた。
そこに割って入る形となったグレアム。手近な一体に<火炎散弾>を放つ。
無数の炎弾を浴びて穴だらけとなった翼竜が地上に落ちていく。
突然の闖入者に怒りの声をあげた翼竜が一斉にグレアムに襲いかかった。
ズドドドドドドン!
しかし、グレアムの二丁の魔銃によってほとんど一瞬で返り討ちにあう翼竜。
空中にグレアムと助けられた三人が残る。
「ちょっと! 置いていかないでよ!」
グレアムに追いついたティーセが文句を言う。
(……速いな)
グレアムとの戦いで四枚の妖精の羽根を失い、残った二枚も半分欠けている。それでもティーセの飛行能力に問題は無さそうだった。
「ティーセか!? なぜここに!?」
「お兄様!? それにマルグレットとシェリーも!」
ティーセに兄と呼ばれた男が剣を持って近づいてきた。その後ろに魔杖を持った女性が二人、付き添っている。
「兄ということは?」
「ええ。お父様の第七王子で名前は――」
「貴様! 何者だ!?」
ティーセの言葉を遮って剣士の男が詰問する。
「……まさか、グレアム・バーミリンガー!?」
「ジョセフ先王を殺害した下手人!?」
眼鏡をかけた魔術師らしき二人の女性。顔が似ているので姉妹なのかもしれない。
「何だと!?」
「間違いありません! 手配書の似顔絵にそっくりです!」
「この下郎! ティーセから離れろ!」
「待ってお兄様! 今はそんなことを言っている場合じゃないわ!」
ティーセがグレアムを守るように両手を広げた。
「なっ!? ティーセ! なぜ、そんな奴を庇う!?」
いたく傷ついたような表情のティーセの兄。
「人間同士で争っている場合じゃないわ! 今はあいつを何とかしないと!」
"ロードビルダー"がゆっくりとだが、確実に歩を進めていた。
「ええと、お兄さん?」
「貴様に兄などと言われる筋合いはない!」
そう言われても名前を聞いていないのだ。
「それに俺はティーセの婚約者だ!」
「え?」
「え!?」
驚くグレアムとティーセ。
「……兄なんだよな」
「ええ。そうなんだけど」
「アロルド殿下は五年間のイリアリノス出向を条件にティーセ殿下との結婚を先王陛下に認められているのです」
「なにそれ!? そんなの初耳なんですけど!」
「…………」
近親婚。前の世界でも珍しいことではなかったという。高貴な青い血を保つため。財産の分散を防ぐため。加えてこの世界にはスキルがある。スキルは遺伝するという性質上、スキルの継承のためやスキルの流出を防ぐため、近親婚への希求は前の世界よりもずっと高いのかもしれない。
この世界にはこの世界の事情がある。
その弊害を知っていてもグレアムが安易に口を出すことではない気がした。ところが――
「違う! 違うからね!」
(……なにが?)
浮気がバレた旦那のように狼狽えるティーセ。
「ええい! 離れろというに!」
「アロルド殿下! そんなことをしている場合ではありません! "ロードビルダー"が予定地点に到達します!」
魔術師姉妹の一人がそう報告する。
「くっ! やむを得ん! 貴様、見逃してやる! 今すぐ失せろ!」
「……あれを何とかする手段があるのか?」
「貴様の知ったことではない!」
(…………)
しばし考える。
王国の王子ならば、王国へのドラゴンの侵入を防ごうとしていることは間違いないのだろう。数年、イリアリノスでドラゴンを相手に戦っていたのなら、任せてみるのも手かもしれない。
それにアロルドがグレアムに向ける敵意。とても共闘することはできない。
「わかった。ここは任せる」
「グレアム!」
「別に逃げるわけじゃない。俺は"ロードビルダー"の後ろにいる小型ドラゴンの大群をなんとかする」
万が一、アロルドが失敗したとしても小型ドラゴンを殲滅していれば流入は防げる。要は役割分担である。
「ふん、大言壮語を! やれるものならやってみろ!」
「では、そうする。あ、そうだ」
グレアムは亜空間から妖精剣アドリアナを取り出した。
ティーセがグレアムを道連れに自爆しようとした際に、ティーセから取り上げ亜空間に収納しておいたのだ。
それをティーセに返す。
だが過剰な力を注ぎ込まれた妖精剣は見るも無残な姿だった。
「……よければ、これを」
そう言ってグレアムが新たに亜空間から取り出したのは一本の白銀に輝く剣だった。
「これはピュアミスリル!?」
「な、なんだと!?」
「ああ、九九%のな」
「「「「!?」」」」
通常五一%以上のミスリルを使用していればピュアミスリルと呼ばれる。一芸は道に通ずるという言葉の通り、アダマンタイトを極めた鍛冶師のメイシャはミスリルの専門家でもあった。
"ここまでミスリル純度の高い剣を打てるのはウチぐらいやで"というのはメイシャの言である。
ところがグレアム以外の四人が驚いているのはミスリル純度の高さだけではない。
婚姻を結ぶ男が剣士の場合、女からピュアミスリルの剣を送る慣習がある。王国最強剣士グスタブ=ソーントーンと妻ソフィアが良い例であり、これは女が剣士の場合も同じである。
世界に魔力ある限り永遠に輝き続けるミスリルは永遠の愛の象徴とみなされ、その純度の高さほど深い愛情を示すと言われている。
もちろんグレアムはそんな上流階級の慣習など知らず、単にボロボロの妖精剣では戦えないだろうという善意から、たまたま手元にあった剣の一本を貸し出しただけである。
だから、なぜピュアミスリルの剣を受け取っただけのティーセが目を潤ませ、アロンドがワナワナと震え、魔術師姉妹が驚いているのか意味が分からなかったのだ。
「よ、よかろう。貴様の宣戦布告、しかと受け取った」
(……何いってんだ、こいつ?)
訳のわからないことを言うアロンドを無視してティーセに話しかける。
「じゃあ、気をつけろよ」
「ええ。あなた」
<飛行>で小型ドラゴンの大群に向かうグレアム。
ティーセから何か妙な二人称で呼びかけられた気がした。
補足しておきますとこの世界でも近親婚の弊害は知られていて王国では三親等内の婚姻は国王と神殿の許可が必要になります。
ジョセフ「俺は認めるけど神殿が認めるとは限らないなぁ(すっとぼけ)」