79 終わる世界 17
グレアムとマデリーネの対話の続きからです。
「すまない。マデリーネの嬢ちゃんが"聖女"というのはわかったんだが、"聖女"ってのは何だ? 聖国の"巫女"とは違うのか?」
急遽、開かれた蟻喰いの戦団の幹部会。その席上で戦闘部門長リーがそう質問すると、呆れたような視線がリーに集中した。
「む? 仕方がないだろう。俺は帝国傘下の小国生まれなんだからよ」
帝国では宗教が禁じられている。大地母神マーナの教典どころか神官の説法一つ耳に触れる機会すらなく育ったのだ。神殿へのリーの認識は金さえ払えば傷を癒やしてくれる便利な場所という程度でしかない。
「聖女様はこの国の国教であるマーナ教の開祖様です」とグレアムの秘書スヴァンが説明した。
「建国王オスカーの保護の元、各地の神殿の建設や教典の編纂に努めてマーナ教の基盤を確立した傑女です」
「ふーん。で、具体的にどんなことができるんだ?」
「いろいろな奇跡の力をマーナより授かっていると伝わっています。中でも特筆すべきは"神霊術"と呼ばれる治癒魔術と同じ効果を持つ力を神官に付与できることです。当時の聖女様は最大で数千の神官に神霊術を付与したと言われています」
「ん? ちょっと待て。それって、スキルなしで生まれたやつが、スキルを使えるようになるってことか?」
スキルとは先天的なもので後天的に得る手段はない。それがこの世界の常識である。
「スキルではありません。聖女様のお力を分け与えていただける感じでしょうか」
スヴァンはおもむろにナイフを取り出すと自分の手の甲を浅く切り裂いた。
「大地母神マーナよ。わが傷を癒やし給え」
スヴァンがそう唱えると傷の周りに暖かな光が集まる。すぐに傷は跡形もなく消え去った。
「私のこの力は一月ほど前に聖女様から授かったものです」
口を大きく開けて愕然とするリー。
「しかも"神霊術"は譲渡が可能です。聖女様の死後、二〇〇年に渡って神官の間で受け継がれ、マーナの信徒に多大な恩恵をもたらしてきました」
「す、すげぇスキルじゃねぇか!」
リーは思わず叫んだ。
「その"神霊術"とはやらは俺にも使えるのか!?」興奮するリーにマデリーネは首を横に振った。
「残念ですが」
「敬虔なマーナ教徒にしか使えないと言われています。かくいう私も<怪我治療>程度しか使えません」とスヴァンが補足した。
「そりゃ残念だが、すごいことには変わりねぇ」
マデリーネ一人がいれば、この国の神殿勢力はほぼ味方になると考えていい。ただこの国の神殿に武力はない。百年以上前にダイク=レイナルドという英雄が当時の神殿と苛烈な戦いを繰り広げ、神殿が保持していた武力を取り上げたという歴史的経緯がある。
だが、それでも神殿が味方になれば、こちらに味方する貴族や土豪も現れるだろう。神殿の影響はこの国では決して小さくないのだ。
「ほ、本当に、聖女様なのですか?」
元アムシャール村の村長で現生産部門長ガストロは恐る恐るといった感じでマデリーネに問い質す。
「はい。皆様には黙っていて申し訳ありませんでした」マデリーネが頭を下げる。
「あ、あわわ! せ、責めているわけではないのです! ど、どうか頭をお上げください!」
「……もしかして、クサモに魔物が湧かなくなったのは聖女様の仕業か?」と狼獣人のミストリア。
「そのことについても謝罪を。決して意図して、そうしたわけではありませんでした。ただ、なんと申しますか、もののはずみで」
スヴァンに自分が聖女であることを証明するために聖女のスキルを使用した。その時の影響で魔物を生み出す瘴気が発生しなくなってしまったのだ。
「それについては前に言ったように既に必要数、揃っていたので問題ない」
むしろ、クサモの元住人達にとっては朗報ともいえる。クサモの街中に魔物が生まれるようになってしまったため、彼らは街を放棄せざるをえなくなったのだ。まだ故郷に戻りたいと思っている者も少なからずいるだろう。
「彼女が聖女だと知っていたのか?」とオーソンはマデリーネをこの地に連れてきたペル=エーリンクに話を振った。
「いえ、何か秘密があると思っていましたが、ここまで重大なものとは夢にも思っていませんでした」
「当然であろう。よいか。本来、神官や神殿長を任命する権利は聖女様のみが有するのだ。聖女様不在の現在では、やむをえず八人の特級神官の合議で決めておる。その特級神官の過半数を王家は長い年月と莫大な資金を投じて掌握した。聖女様はそんな王家の努力を水疱に帰してしまうのだ」となぜか外交担当のベイセル=アクセルソンが偉そうに語る。
「はぁ、なるほど。ということはだ。王国が何が何でも殺したいトップ二人が今、ここに揃っているというわけか」
リーは並んで座るグレアムとマデリーネの二人を見やった。
「そうなりますね。私の存在が明るみに出れば王家が私を生かしておくはずがありません」
王家にとって聖女を味方にした時のメリットよりも敵にした時のデメリットのほうが大きいからだという。
「だからこそ、彼女の父アリオン=ヘイデンスタムはマデリーネの存在を秘密にしていたそうだ。彼女が聖女だと知っているのは両親と秘書のチャイホス。そして、昔馴染みの老神官の四人だけ。彼女の兄達や家臣にはマデリーネが非常に不名誉なスキルを持って生まれたと言って、その存在を秘匿するように命じていたそうだ」
「嬢ちゃんの兄貴たちはそれで納得したのか?」
「……始めは色々聞いてきましたが、私の趣味のことを知ってから詮索されることがなくなりました」
「……ああ、なるほど」
アマデウス×アンドレアスをモデルにしたものを兄達に見られたのはマデリーネ痛恨の失敗だった。あまりにも良い素材だったので書き散らしていたら、その一枚が偶然、風に飛ばされ――
黒歴史を思い出してドヨンとした雲を頭上に浮かべ始めたマデリーネ。
「なあ、もしかして嬢ちゃんのあれは、聖女のスキルの代償か?」
リーが小さな声でオーソンに問いかける。
「…………」
オーソンとしては何とも返事に困る質問だった。もしあれが聖女のスキルの代償であれば初代の聖女も同じだったわけで……。
オーソンは小さく首を横に振った。詮索しないほうがいい。
神殿勢力が味方になるかもしれないのだ。わざわざ神殿の闇を掘り起こす必要はない。
その意図を正しく理解したリーはその疑問を永遠に棚上げすることにした。
「とにかく、マデリーネにとって王国は彼女の命を脅かす敵であるということだ。そうだな?」
「は! はい! その通りです!」グレアムに呼びかけられ気を取り直すマデリーネ。
「それは理解はしましたが、ヘイデンスタム公が何を考えているか分かりません」とペル=エーリンク。
現在、アリオンは一万を超える大軍でクサモに向けて進軍しているところだった。
「こちらの陣営に馳せ参じるつもりでしょうか?」
「いいえ。まず間違いなくグレアム様を討伐するつもりかと」
「それが分からん。なぜ、聖女をこちらにやるような利敵行為を取る?」
「父はヘイデンスタムを存続させたいのです。父が勝てばそれで良し。自分が負けても子どもたちの誰かがヘイデンスタムを受け継ぐ。その可能性の一つとしてグレアム様のもとへ私をやったのです」
「グレアムが王国に勝てば聖女マデリーネ=ヘイデンスタムとして家を存続させることができるってわけか。面倒くせえな。貴族ってやつは」とリーはため息をついた。
「……父は十数年前、先王ジョセフと王位継承を巡って争った時期がありました。父が武力蜂起していれば、父の頭上に王冠が乗っていたと言われています。ですが、父はそれをせず臣籍降下しました」
王族から臣籍になれば、もはや王となることはできなくなる。
「国を愛する父は内戦で国土を荒らしたくなかったのです。ですが、そんな父の思いとは裏腹に魔物と戦争で国土は荒れ果てる一方。そして、今回の内戦です」
"自分が王になっていたほうがマシだった"
言葉にこそしなかったがアリオンがそのような思いを抱いていたのは間違いない。
「今回の父の進軍は二度と後悔したくないため。
父は怖いのだと思います」
「怖い? 何がだ?」
「グレアム様が作る新しい世界を。父が知る王侯貴族の世界が終わるのを」
「……随分と高く買われたものだな」と思わず苦笑したくなるグレアム。
自分としては新しい世界を作る気も古い世界を壊す気もなかった。
「グレアム様が民に魔銃を与えれば、必ずそうなると父は確信していました」
「…………」
グレアムの瞳に冷たい光が宿った。アリオン=ヘイデンスタムを恐るべき敵であると確信した瞬間だった。民が力を持てば封建制度は崩壊する。地球の歴史で学んだからこそ知っている事実を、アリオンは封建社会の中で生まれ育ったにも関わらず気づいている。恐るべき先見性といえた。
「君の要請はアリオンを生かせということか? 聖女として自分の協力がほしければ」
「いいえ。父の願いのためにもグレアム様に協力することは確定事項です。ですからお願いとなります。父を殺さないでいただきたい。父は王家を敵にまわすリスクを負ってでも私を生かしてくれました。もはや王となる望みもないのに。ただ、アリオンの娘として純粋に生きることを願ってくれたのです。ならば、娘の私が父が生きることを願うのは当然といえるでしょう」
マデリーネの真摯な訴えに同情するオーソン。だが、彼は副団長として厳しい意見を言う。
「……決死の覚悟をして向かってくる相手に手心を加えることは難しい」
「そうだな。それに向こうの兵力はこちらの数十倍。少し兵を減じたところで諦めはしないだろう」と狼獣人のミストリアも同調する。
「……やはり約束できない」とグレアム。
「敵の総大将の命を気にしていては戦えない。いや、むしろ積極的にアリオンの命を狙うべきだ」
それが敵味方双方にもっとも被害が少なくて済む。
ヘイデンスタム軍が大半を占める第二次討伐軍はアリオンを殺せば退くと考えていた。ヘイデンスタムの嫡男が健在である以上、将は残った兵を嫡男のもとに返す義務がある。主のいない状態で戦闘は継続しないだろう。
「……グレアム様、このクサモは守るための要塞ではなく、敵を壊滅させるための要塞ではないのですか?」
グレアムはジロリと戦闘部門に属する一同を見回した。誰かが口を滑らしたのかと思ったのだ。
「簡単な推理です。援軍を期待できない蟻喰いの戦団は敵を積極的に打ち倒す必要がある。ベイセル様の軍もそうして壊滅させたではありませんか」
ベイセルはバツが悪そうに身じろぎした。
「クサモを使ってください」
グレアムはその意味を正しく理解した。
「……自分が何を言っているのか分かっているのか? アリオンの心を折るために、一万の兵を皆殺しにしろと言ってるんだぞ」
「はい。その通りです。父一人を生かすために、それ以外の命を散らしてください」
聖女と思えぬ言葉に会議の場は何ともいえぬ雰囲気に包まれた。気の弱いガストロにいたっては目をまわして気を失った。
「おい。議事録を書くな。とても文書に残せん発言だ」
ベイセルは書記の手を止めさせる。
「聖女様の発言は我々と運命を共にする覚悟と受け止めました。グレアム殿、アリオンについてすぐに結論を出す必要はないかと。まずは私がアリオンの元に赴き交渉を行いたく思います」
「危険だぞ」
「はい。おそらくは有無を言わせず切り捨てられる可能性が高いかと。ですから私の偽首と薬裡衆を数名、貸し与えていただきたい」
「どうする気だ?」
「アリオンを生かすにしろ殺すにしろ居場所は把握しておく必要があります。それに作戦が成就すれば、おそらくアリオンは――」
◇
そして、現在に戻る。
カチャン!
ベイセルはアリオンの手から短剣を払い落とした。アリオンが自刃する直前のことである。
「あ、アリオン様!」
「聖女様はあなたが生きることを望まれている。勝手に死んでもらっては困るのですよ」
「……生き恥をさらせというのか。お前のように」
「恥を雪ぐ機会もあるでしょう。新しい世界も悪いものではないかもしれませんよ」
「…………」
「その世界でグレアム殿の宰相として生きてみてはどうです?」
「な、何を言っている、ベイセル!? まるでグレアムが王として立つかのようではないか!」
「そう言っているのだ、チャイホス。聖女様によって王権が神授される。建国王オスカーの再来だ」
「そ、それは……」
「…………」
「まぁ、考える時間は――、!?」
ベイセルは東の空を見上げて息を飲んだ。
遥か天空まで届く光の柱が突如、出現したからだ。
「き、北と西にも!」
「南もだ。これは、<白>か?」
グスタブ=ソーントーンの領地であるブロランカ島を消滅させ、王国北西部に侵攻した帝国連合軍一万五千を壊滅させた戦略級広域殲滅魔術。それがクサモを囲むように四つも発動していた。
「……そうか。土木建築魔術師の派遣で気づくべきだった。
すべては茶番だったということか!
テオドール!!」