78 終わる世界 16
「ひぃ!」
王国軍の本陣を守る兵士の一人が情けない声を上げて逃げ出した。
こちらに向かってくるデス・キャンサーの集団をその名の示す通りに死神にでも見えたのだろうか。つられるように剣や槍を捨てて逃げ出す兵士達が続出した。
「ま、待て! お前たち! 逃げるな!」
アリオン=ヘイデンスタムの幕僚が静止する。
「よい。お前たちもゆけ」
「し、しかしアリオン様」
アリオンはその場でアグラをかいて座り込んだ。
動こうとしないアリオンに困惑した幕僚達はベイセル=アクセルソンを見る。
ベイセルは「逃げたいならどうぞ」と手振りで示した。
かくして、アリオンの周りに残ったのは秘書チャイホスだけであった。
「薄情なものですな」
逃げる幕僚達の背中を見送りながらベイセルは言う。
「信用できる者の多くはアインとツベルに付き添わせた」
アインとツベルはアリオンの二人の息子だ。現在はそれぞれ第三王子派、第五王子派の陣営に馳せ参じている。
「ここに連れてきた者で信用できる者はアンドレアスとアマデウス、そして、チャイホスだけだ。……ふっ。三人にはとんだ貧乏くじを引かせたものだ」
「アリオン様……」
「……聖女様のお話では、始めから負けると分かっていたそうではないですか。"不動"と呼ばれるほど慎重なあなたがなぜ、今回に限り動いたのです?」
「…………」
ベイセルの質問に答えようとしないアリオン。
「それとも、聖女様の仰る通りですか? あなたが、未だに王位継承の件を吹っ切れていない臆病者だから」
◇
話は数日前に遡る。
「君の父親を、殺すことになる」
そうグレアムに言われたマデリーネは冷静であった。
「はい。それは困ります」
「…………」
そのマデリーネの態度にむしろ困惑したのはグレアムだった。
「……君の正体は――」
「ペル=エーリンクからでしょう? クサモに近づいている王国軍の指揮官が私の父だと知った時点で彼があなたに黙っているはずがありません。私も口止めしてませんでしたし」
「……正直、君の処遇は決めかねている。即刻、追放しろという者もいれば、拘束して閉じ込めろという者もいる」
「そうでしょうね」
「君は一体何をしたい? 何をしにここに来た?」
「父を救うためです」
「……わからないな。君はここでスパイ行為や破壊工作のようなまねをするつもりはないのだろう?」
「はい。もちろんです。私は私にしかできない方法で父を救うつもりです」
「その方法とやらを聞いても?」
「その前にご質問をお許しください。グレアム様は今後、戦団をどのようにするおつもりなのですか?」
「それは戦団の最重要機密事項だ。副官の君でも話せることじゃない」
「それでは勝手に語らせていただきます。国外へ脱出するつもりなのですね。目的地はおそらくイリアリノス連合王国。その地に赴けばいかに王国といえど、大規模な軍事活動はできなくなる。グレアム様はその地で力を蓄え、王国にも対抗しうる勢力へと戦団を育て上げるつもりなのでは」
「…………」
マデリーネの語る予測は概ね正しい。険しい山脈の向こう側にあるイリアリノスに王国は大規模な軍を送れない。ドラゴンさえ倒せばいかなる犯罪者でも受け入れるイリアリノスは戦団にとってはうってつけの逃亡先であったのだ。
「どうかな? このまま国内で王国が諦めるまで戦い続けるという選択肢もある」
だが、試しにグレアムは正反対のことを言ってみる。
「グレアム様が王国内に留まり続けることは自滅を意味します」
「…………」
「なぜなら、戦団は百度勝利しても最後に負ければ終わります。逆に王国は百度負けても最後に勝利するだけでよいからです」
「……また、極端な話が出てきたな」
グレアムはため息を吐いた。呆れたからではない。マデリーネの言葉はまさに真実を言い表していたからだ。
戦いを続ければいずれは負けることもあるだろう。その時、グレアムは敗北を立て直せる基盤を持っていない。基盤とは本拠地であり、そこに住み、兵となる民のことである。
「待遇に不満を持つ奴隷や農民を糾合すれば、そこそこの数、集まるんじゃないか? 共に王国を支配しようと言うどこぞの傭兵団長がやってきたこともある。数万はいくんじゃないか?」
グレアムはかつて自ら否定した方策をあえて述べてみた。マデリーネがどう答えるか興味があった。
「そのような烏合の衆、いずれは分裂し瓦解します。そしてその混乱の中、王国軍に急襲され惨めに逃げ惑うことになるでしょう」
「…………」
「グレアム様もそのことが分かっているから、内戦という好機にも関わらず、兵を集めようとしないのでは?」
「好機、か……」
グレアムは含むことがあるかのように呟いた。
「何か懸念が?」
「いや。……こちらに都合が良すぎてな」
自分の幸運を信じていないグレアムにとって、突然、始まった内戦には気味が悪い思いを抱いていた。
「まぁ、内戦なんて当事者たちが合意さえすればいつでも終えられる。そこにつけ込もうとしない理由にはならない。だが、それ以外は正しい。いくら勝利を積み重ねても王国に留まる限り俺たちに未来はない」
グレアムは認めることにした。予想以上にマデリーネがこちらの現状を正確に把握しているので誤魔化しても無駄だと思ったのだ。
「そうだ。最大の問題は仮に魔銃を配ったとしても、烏合の衆にしかならないということだ」
常に魔物の脅威に晒され続ける王国民に自衛の手段を与えれば味方になる者も出てくるだろう。王侯貴族に忠誠を誓う民は少ない。民が王侯貴族に従う主な理由は彼らが武力を持っているからだ。
しかし、そうして民が集まったとしても彼らを指揮できる人材がいない。会社に例えるなら課長や部長のような管理職いない状態である。そうなれば、グレアムという社長が数万の平社員に直接指示しなくてはならず、そんなことは実質、不可能である。会社は早晩、倒産することだろう。そして、軍ならば、いや、軍というのもおこがましいバラバラの集団となって、敵に蹂躙されるか野盗となるのがオチだ。
「だから、俺たちは王国とは別の地で人材を登用し教育を施すつもりだ」
目標はとりあえず五千人。もし、イリアリノスに逃れてもなお王国が戦団に仇なすならば、グレアムはその五千人を率いて王国に逆侵攻する。そうして、占領地の行く先々で魔銃を現地民に与え戦力とし、最初の五千人は現地民のリーダーとする。それがグレアムの計画であった。
「人材を集め育てるには時間がかかるかと」
「まぁな。およそ十年スパンで考えている」
「国内の貴族や土豪を味方にすれば、わざわざ育てる必要はありません」
的を射た指摘である。彼らは民をまとめ指揮できるように教育と訓練を受けている。だが――
「味方になればな。それは無理だ」
グレアムが元は奴隷だから、貴族が嫌悪するスライム使いだからその下につきたくないと考える者もいるだろう。魔銃を民に与えることを嫌う貴族もいるかもしれない。だが、それ以上に問題なのは、聖職叙任権(神官や神殿長を任命する権限)を事実上握る王家を敵にしたくないからだ。大地母神信仰の根強い王国において領地経営に神官は必須だったのだ。
「私ならば、貴族を味方にすることができます」
「…………」
「なぜなら、私は聖職叙任権を王家から取り上げることができる唯一の存在だからです」