75 終わる世界 13
第二次グレアム討伐軍最大の目標は言うまでもなくグレアムの殺害、もしくは捕縛である。だが、第二目標として蟻喰いの戦団の殲滅が掲げられている。これの理由はグレアムの鎧ともいえる戦団をグレアムから引き剥がすことで第一目標達成の手段とすることが一つ。そして、王国の反逆者に味方する者もまた反逆者であり、討滅の対象となることを内外に示すことである。
そのため、今、この戦場にグレアムが不在であっても蟻喰いの戦団を殲滅することは王国にとって必須事項であったのだ。
"南の稜堡の占拠に成功"
その報告に指揮所で歓声が起きた。
「静かに」
幕僚や下士官達の喜びに水を差したのは第二討伐軍最高司令会アリオン=ヘイデンスタムである。
「何も喜ぶべき要素はない。稜堡はこちらが占拠したというより、敵が放棄したと考えるべきだ」
指揮所には希少な通信用魔道具によっ戦況が常にて細かく伝えられていた。それによれば敵は南の稜堡の一部が破壊されると、すぐさま東の稜堡とその近辺の防壁に団員を移動させたという。
一つの稜堡だけではこちらの進攻は阻めないと判断したのだろう。東と南の稜堡で分断される前に戦力を集中させたのだ。
「優秀な指揮官がいるようだな」
コアの大爆発を見て、なお恐れず戦力を集中させる。非凡な指揮官にできることではない。こちらにコアが残っていれば一網打尽にしていたことだろう。
「ですが、こちらが追い詰めていることは確かです!」
そう発言する若い幕僚にアリオンは失望を禁じえない。事実は全く逆だったからだ。
「追い詰められているのはこちらだ」
「な!?」
「前線に投入した魔術師八〇〇名。その内、魔力が残っている者は百人を切っている」
戦闘開始から既に二時間が経過していた。
アンドレアスとアマデウス、それぞれに五〇〇〇の兵と三〇〇の魔術師(後にアンドレアスには追加で二〇〇)を与えた。
地下進攻部隊の魔術師は魔物との戦いで魔力を使い果たし、地上進攻部隊の魔術師は敵の激しい弾幕から部隊を守るために魔術障壁を張り、その魔力を急速に減らしていた。
魔力を回復させるにはマナポーションか休息による自然回復しかない。キュカのような【ドレイン】は例外である。しかし、ポーションは長期保存ができないうえに内戦のため需要が急増していた。ヘイデンスタム家の総力を上げて集めさせたが、それでも備蓄分を合わせても二百も届かず、そしてそれらはすべて使い切った。
さらに魔力の自然回復は、最低でも四時間以上の休息を必要とする。魔術師の魔力完全枯渇まで、およそ三〇分と見込めば、到底間に合わない。
それにひきかえ敵はどうか。<炎弾>とシールドを湯水のごとく使っているが、いまだに勢いが衰える様子を見せていない。このまま一日中でも戦闘が可能とでもいわんばかりだった。
「魔術師の支援がなければ、後は一方的な虐殺だけだ」
アリオンが信頼するアンドレアスとアマデウスもそれが分かっている。<炎弾>を防げるミスリルやアダマンタイトの防具を身に着けた少数精鋭で突撃を行うも、敵の投擲兵器に苦戦を強いられていた。
地雷と同じものであろう。魔術障壁や盾を飛び越えて投げ入れられたそれは爆発を起こし、内部の破片の効果も相まって甚大な被害を与えてくる。ライクル=ベハンドの作った屍兵も、次々と行動不能に陥っているという。
「…………予備兵力を投入しましょう」
幕僚の提案した予備兵力とは特に用途を定めていない部隊のことである。敵の援軍への対処など戦場における不測の事態への対応、もしくは勝敗分岐点において戦勢を決定づけるために投入される。
兵站部隊と偵察・哨戒任務にあてている隊を除く三五〇〇の兵と二〇〇の魔術師を無傷で後方に待機させている。これを前線に投入して一気に敵を制圧しようというのだ。
「…………」
だが、その提案にアリオンは頷かなかった。
違和感を感じていた。
敵の首領たるグレアム・バーミリンガーは不在で、防壁も破壊された。意図的に放棄したとはいえ稜堡まで占拠されたのだ。それでも敵の士気は衰えていない。少しは動揺があっても、おかしくないはずだ。
(策でもあるのか?)
そんなはずはない。
アリオンと参謀達は敵の策を散々に検討していた。
例えば、クサモの近くを流れる二つの川。その水を堰き止めたのは蟻喰いの戦団だと判明している。
川の水を堰き止めて何をしようとしていたのか。
クサモ外周の堀に敵を誘い込んだ後、川の水を流し込む予定ではないか。
まず、そう考えられた。
だが、そのための川と堀を結ぶ水路が見当たらない。地下にあるのではないかと推測したが、その痕跡は見つからなかった。それに堀に水を流し込んだところで、溺れ死ぬほどの深さではない。
結局、堰き止めていた川の水は何らかの作戦に使おうとしていたが、堰を守るのは難しいと判断して断念、そのまま放置したと結論づけられた。
次に考えられたのは落とし穴である。
だが、いつどこに攻めるか決めるのは攻撃側の我々である。攻撃側がここに来ると予測して落とし穴を掘るのは現実的ではない。かといって広範囲の落とし穴は地盤が緩くなり自滅を招きかねない。何より地下進攻部隊がこちらにはいたのだ。巨大な落とし穴があればすぐに分かる。
他にも複数の敵の策が検討・調査されたが、いずれも否定された。
無論、検討だけではなくクサモに何人も間者を送っていたが、敵の防諜は完璧だった。グレアムが薬裡衆を召し抱えたという情報は確かなようだった。
結局のところ、「敵に策はない。ガトリングガンとオルガン砲の火力でゴリ押しする」
そう結論づけ戦端を開いたのだ。
「…………」
「魔力がまだ残っているうちに撤退させましょうか?」
予備兵力投入の決断を躊躇うアリオンに幕僚がそう提案する。
「……グレアムが戻ってくれば、我々に勝ち目はない」
グレアムを抑えてくれている王妹殿下から未だに何の連絡もない。王家からの予想外の協力の申し出に、当初絶望的と思えた戦いにも勝ち筋が見えた。戦場への派遣を禁忌としていた土木建築魔術師の派遣。コアの提供。そして、ティーセの出陣である。
パンゴリンを使用した作戦を立案し、ティーセにはグレアムを釣り出すように依頼した。"アドリアナの天撃"で稜堡の一つでも潰せば、グレアムはティーセを無視できない。そして、ティーセがグレアムを釣り出している間に蟻喰いの戦団を殲滅するのがアリオンの作戦の概要である。
ティーセの様子がおかしいことに気付いていたが、気遣うほどの余裕もなかった。ティーセの奇襲は稜堡よりもグレアムを狙ったものだった。結果的に防がれたが、第一目標を狙うのは当然である。そして、ティーセは役目を十分に果たしてくれている。
もし、グレアムが戻ってくれば魔力の枯渇を待つまでもなく魔術障壁を引き剥がされ、前線の部隊は壊滅的被害を受けるであろう。
結局、戦場の勝敗を決めるのは兵士の数ではなく魔術師の質と量なのだ。そのことを熟知している諸侯や傭兵団は賢明にも決してグレアムに手を出そうとしなかった。精鋭の王国航空部隊の壊滅以降、どんな報奨をぶら下げようと蟻喰いの戦団に対抗しようとする勢力は王国軍以外に現れなかったのだ。
かといってアリオンには弱者の戦いなどできなかった。グレアムと蟻喰いの戦団を正面から打ち破ってこそ、王国の権威は保たれる。
(そうだ。私にはそうした戦いしかできん。玉座にもっとも近づいた男の、矜持である)
アリオンは予備兵力の投入を決断した。
◇
『第三小隊、手榴弾残数ゼロです!』
『第二小隊、こちらもです!』
各所で奮戦している団員からリーに連絡がくる。
「魔銃を<衝撃弾>に切り替えろ。<炎弾>よりも、そちらの方がストッピングパワーがある」
『『了解!』』
団員の応答する声に悲壮感はなかったが楽観できる状況ではなかった。<炎弾>よりも射程の短い<衝撃弾>が使用できるということは、それだけ押し込まれている証左でもあったのだ。
戦闘開始から二時間が経過。今、蟻喰いの戦団は深刻な事態に直面しようとしていた。
リーは手元の魔道具に目をやった。細長い管に同じくらいの長さのクリスタルが嵌められており、クリスタル内部には赤い液体が封入されている。そして、赤い液体はクリスタル全体の一〇分の一の量の位置にあった。
戦団の魔銃に使用できる残魔力量を示す魔道具である。この"魔力保有計"が示す残量によれば、あと十五分足らずで魔力が尽きる。そうなれば<炎弾>どころか<銃盾>一枚張ることもできなくなる。
だが、ここで手を緩めることはできない。
魔力保有量が残りわずかだと敵に悟られるわけにはいかなかったのだ。
(二〇分の一だ。それを切れば作戦を発動する)
今の状況で作戦を発動しても計画は完成しない。グレアムに偉そうに言った手前、格好がつかないがやむを得まい。ここで戦団を全滅させては、なおさら合わせる顔がない。
(ヘイデンスタムのお嬢ちゃんには悪いがな)
じりじりと下がっていく魔力保有計を見ながら、リーは時がくるのを待ち続けた。
ウォォォオオオオオオ!!!
突如、敵方から歓声がわき起こる。
『副司令! 敵の増援です!』
外堀の向こう側に新たな敵の存在。その数三千以上。それが魔術障壁を張りながら前進してきていた。
増援の存在に、敵の士気は上がり、味方の士気はくじかれる。実際に増援が干戈を交える前に勝敗が決することも多い。
だが、それこそがリーが待ち望んだ瞬間だった。
「春嵐作戦を開始する! 各員、安全帯のフックを固定しろ!」
リーの指示を受けた団員達は、ベルトから伸びたフックを胸壁に付けられた手すりや各所に埋め込まれた杭に接続していく。
リーはコントローラーを取り出すと、素早くコマンドを打ち込んだ。