70 終わる世界 8
蒼穹の空に煌めく妖精の羽。本来六枚のはずが一枚欠けているのは"アドリアナの天撃"を撃って消費したためだろう。グレアムを襲った光の奔流は防壁上の石材を破壊し焼熱させていたがグレアムが単独行動をしていたおかげで人的被害はなかった。完全に不意を付かれた形であったため、グレアムに護衛をつけていれば犠牲が出ていたことだろう。だが、安心はできない。【妖精飛行】に関する情報が確かならば、ティーセは同じ攻撃をあと五回できるということになる。
爪先まで全身をミスリルの鎧に身を固めたティーセだったが、頭部は耳と側頭部だけ覆うような簡易なヘルムを身に着けているだけで、その綺麗な顔を戦場に晒していた。
ティーセは冷めた様子で視線を左右に動かすと、その場から離れる。数瞬後、ティーセが滞空していた場所に地上から放たれた<炎弾>の雨が通過した。
高射砲である。王国航空部隊を壊滅させたグレアムであったが、残存の航空兵が来ることを想定して準備していたのだ。
『グレアム! 無事か!?』とリー。
「ああ。だが……」
グレアムは空を見上げる。
地上四方から放たれる<炎弾>をまるで踊るように回避していくティーセ。それどころか彼女が持つ妖精剣アドリアナが輝きを放ち始めた。"天撃"を放つための詠唱を開始しているのだ。
(まずい)
ガトリングガンやオルガン砲の死角を無くすため外に向かって突き出すように構築した稜堡。ガトリングガンとオルガン砲の射手は<銃盾>で頭部を含め身を守れるようになっているが、背面はがら空きである。彼らに向けて"天撃"を撃たれると、クサモの防衛力が著しく低下する。
『ヒポグリフを上げるか?』
戦団では三体のヒポグリフを所有している。戦団の航空戦力となるように専門の人員を割り当て日夜、訓練を積んでいた。
「いや、今の彼らでは対応できない」
だが、残念なことの戦団にヒポグリフに乗って空中戦のノウハウはない。普段の仕事は連絡係や警邏任務で、戦闘も魔物退治のみ。それも片手で数える程度でしかない。彼らが空に上っても返り討ちにあうか、味方の誤射で死ぬだけである。
「俺が上がる。リーは地上の指揮を頼む」
『……了解』
リーの回答には逡巡があった。グレアムとて空中戦の経験がさほどあるわけではない。グレアムが死ねば戦団は終わりなのだ。だが、現状の戦力でティーセに対抗できるのはグレアムしかいないことも事実である。
グレアムは亜空間に手を入れると絹のような光沢を放つ黒い布の塊を取り出した。それを空中に放ると幾条にも帯に分裂し、グレアムの体に纏わりつく。頭部から爪先までグレアムの体を覆った不可思議な布はわずかに輝くと帯の継ぎ目が消え、一繋ぎのスーツとなった。
"魔導兵装オードレリル"
アダマンタイト鍛冶師メイシャとグレアムが合同で作製・命名したそのスーツの表地はアダマンタイトでできている。
ジョセフ抹殺のため単身でサンドリア王宮に乗り込んだグレアムがその四肢を"暗部"によって切断された反省から作製したもので、極薄ではあるが最硬金属の名に相応しく、多少の剣撃や魔術は通じない一種の鎧である。アダマンタイトより防御力は落ちるが、オーベルクォーツと呼ばれる透明な魔導水晶で目元をバイザーのように覆うことで視界は確保している。他にも"兵装"の名に相応しい仕掛けをいくつか施していた。
グレアムは防壁上から身を投げると<飛行>を発動させた。魔力の完全絶縁体であるアダマンタイトと魔術は相性が悪く、いかに大規模魔力演算ができるグレアムでもアダマンタイトで全身を覆えば魔術の発動は不可能となる。
その問題をメイシャが解決してくれた。アダマンタイトを加工する際に塩を混ぜ込む。その後、特殊な製法で塩を抜けば極微細な穴を無数に持った多孔質アダマンタイトができる。このアダマンタイトを使うことによって、グレアムは魔術を使用することが可能となった。ちなみにこの製法をメイシャは祖父から教わったという。メイシャの一族にのみ口伝で伝える秘法だとのことだ。
グレアムは<飛行>魔術式に魔力を注ぎ込み、ぐんぐん高度を上げていく。時折、高射砲からの<炎弾>がグレアムの背中を打つがスーツは問題なく防いでくれている。
「ティーセ! こっちだ!」
高度1500メイル。ここまでくると地上からの<炎弾>は届かない。そこでグレアムはティーセと対峙した。グレアムの呼びかけでこちらに気付いたティーセは既に臨界に達していた妖精剣を振るう。
刀身から伸びた無数の光の枝刃が、さらに伸長し光の奔流となってグレアムを襲った。
シュパァァ!!!
(<魔壁>複数展開!)
グレアムの前方に青白い光の壁が幾枚も構築される。
「!?」
だが、魔術の壁は薄膜を破るように破壊されていく。
グレアムは後方に飛翔すると同時にさらに<魔壁>を展開していく。幾重にも展開される壁を次々と光の刃は突き破りグレアムに迫る。
「くっ!」
亜空間からアダマンタイトのマントを取り出して魔力を注ぎ込む。マントの裏地は極薄のオリハルコンを縫い合わせているため、このマント自体が一種の魔道具だ。グレアムの意思に従い形を変えて馬上槍のような円錐形となる。
光の奔流が円錐の頂点に達すると光はマントの表面を滑るように拡散されていく。円錐の底辺に身を置いていたグレアムは光の奔流が止まったのを確認するとマントを一枚の布に戻した。
(!? しまった!)
ティーセを見失うグレアム。
『上です! 団長!』
見上げると太陽を背にティーセが突っ込んでくる。バイザーに使用しているオーベルクォーツはサングラスのように強い光をカットする機能があるため、ティーセの姿がはっきりと見えていた。
迎え討とうと対峙した瞬間――
ゾワッ!
得も言えぬ悪寒が走る。
シュパ!
グレアムはティーセとの近接戦闘を避け距離を取った。
だが、ティーセはグレアムを追う。
(速い!)
速度、旋回能力、戦術、経験、センス。
空中戦で必要なもの全てティーセがグレアムの上をいっている。
「くそっ!」
亜空間から魔銃を取り出して<拘束弾>を撃ちまくる。だが、ティーセは音速に近い魔術の弾を螺旋を描くように回避していった。
(本物のフェアリーかよ!?)
踊るようなその可憐な動きに見惚れそうになる心を自制し、グレアムは左手に<魔盾>を展開する。<魔壁>と比べて<魔盾>は展開範囲が狭く、耐久度も低いがまさに盾のように取り回しができる。<魔盾>でティーセの剣を受け止めた瞬間に<拘束弾>を撃ち込むつもりだった。
ガギン!
妖精剣と<魔盾>が空中で火花を散らす。
(いまだ! っ!?)
グレアムの魔銃が、右手首ごと消えていた。
(斬られた!? どうして!? いつの間に!?)
混乱と激痛の中、ティーセがさらに剣を振るう。
盾を使った戦い方など学んだことがないグレアムだったが、身体強化魔術の助けでなんとか妖精剣の斬撃を防ぐ。
ガギン! ザシュ!
ガギン! ザシュ!
防いでいる。そのはずなのにティーセが剣を振るうたびにグレアムの体に傷が増えていく。アダマンタイトスーツなどまるで紙のようだった。
(そうか! 妖精剣の"物理防御無効"! だが、この見えない斬撃は!?)
左脇腹に激痛。
(深い!?)
たまらず、グレアムは亜空間から拳大の物体を左手で取り出すとティーセに投げつけた。投げつけた瞬間に左手も斬り落とされるが――
カッ!
「!?」
ティーセの眼前で強烈な閃光を放つ。グレアムが開発した閃光手榴弾である。エスケープスライムの"皮"に光度最大、持続時間最短で<光明>の魔術を付与している。
ティーセの視界が奪われている間に、グレアムはさらに上昇し<怪我治療>を全身に施して血止めを行う。
(なんだ、あの攻撃? まるでアシュター王子の【運命の女】じゃないか)
一度の剣の振りで二度の斬撃を浴びせる。ジョセフも使っていたので覚えがある。
ティーセもそのスキルを持っていたというのか?
グレアムは両手の<再生>を後回しにし、スーツの機能を使ってティーセを視る。
(…………?)
グレアムが戦っていたのはティーセ一人のはずだ。
それなのに、もう一人、別の女が視える。
その女はティーセの耳元で何事かを囁いていた。
(まさか、"運命の女"? スキルが具現化しているのか?)
あれに魔術が通じるだろうか。スキルであれば<魔術消去>も効果がないような気がする。
(どうする?)
手加減してどうにかできる相手ではないことは思い知った。対抗するにはこのスーツの性能を百%発揮する以外にない。だが、それではティーセを殺してしまう。スーツの仕様上の問題で生かして無力化するということが難しいのだ。
そう、グレアムはティーセを殺したくなかった。
あのちょっとポンコツで、奴隷が蟻のエサになっていると知るや単身でブロランカに乗り込んでくるようなお人好しを。絶望した獣人達のことを想い涙する彼女を。
(…………)
悩むグレアム。だが、非情にも事態は戦団に不利に動いてた。
『団長! 地下の王国軍がクサモの下まできています!』と切羽詰まったミストリアの声。
(なに?)
アリオン=ヘイデンスタムは整地ローラーの地上部隊を進攻させると同時に、地下部隊にも新たに二〇〇名の魔術師を投入していた。
魔術師の<火球>がオーガの頭部を焼く。苦悶の悲鳴を上げる赤肌の鬼を王国兵の槍襖が刺し貫いた。
ドォン!
レッサー・ヒュドラが潜む穴に別の魔術師が<爆砕>を撃ち込む。バラバラになった蛇の残骸が穴から吹き出てきた。
「そうだ。確実に一匹ずつ仕留めていくんだ」
地下進攻部隊の指揮官アンドレアス=アルヴェーンは、弓矢でハリネズミのようになったバンシーを踏みつけながら部下たちに指示していく。ヘイデンスタム軍は魔物退治を積極的に行っている。個々に襲ってくる魔物に対し、組織的かつ機能的に駆除していくノウハウを多く持っていた。そうしてクサモの地下にまで進攻した彼らは地上に向かって掘削を開始していた。
そして、王国軍の地上進攻部隊は――
ドォォォオオオオン!!!!!
クサモの防壁近くで巨大な爆発を起こしていた。