69 嘆きの妖精 2
「少し痩せたようだね」
「……お兄様こそ」
実際のところ、アシュターの容貌は痩せたどころではなかった。頬がこけて肌は生気というものがなく、まるでグールのようだった。アシュターの病は寛解したというが、実はまだ癒えていないのではないか。この王国の危難の折に病を押して表に出てきたのではないか。
そう良識派の中で噂され、その献身的なアシュターの姿に感銘を受ける者は多い。そして、そんなアシュターから第一王位継承権を剥奪した父ジョセフの無情を批判する者も。
だが、ティーセは真実を知っている。
アシュターはオーソン=ダグネルの婚約者に横恋慕し、オーソンからアリダを奪う。だが、無実の罪をオーソンに着せた陰謀に加担したアシュターにアリダは心を開かず、嫌悪していた父と同じ所業をしたことを当の父に指摘されたことで心を病んだ。
別邸に引きこもり誰とも会おうともしないアシュター。王太子としての役目を果たそうとしないアシュターから第一王位継承権を剥奪するのは、真っ当な処置とも言えた。
だが、そんなアシュターがケネットとクリストフの争いを機に姿を見せるようになる。ティーセがアシュターと再会した時、瞳の中にある異様な光に言いしれぬ不安を覚えた。
『何があったの?』
そう訊く機会を得ぬままであったことを、ティーセは後日、深く後悔することになる。
「状況は理解しているね?」
「…………はい」
王位を巡るケネットとクリストフの争い。もはや、どちらかが死ぬまで止まることはないだろう。
「決着がつくまでに王国は荒れ果てる。ただでさえ魔物に荒らされた田畑を内戦の兵士がさらに踏みにじる。その上、戦の費用を捻出するため諸侯は重い税を民に課している。困窮した民は娘を売り息子を戦場に遣り老人は山に捨て置かれ乳の出なくなった母は赤子が衰弱していくのを見ていくしかないという」
「…………」
アシュターが突きつける非情な現実にティーセは拳を握りしめる。
「ティーセ。君は女王になれ」
「…………? 何を……」
アシュターの突然の宣告に戸惑う。
「もはや王国を救うには君が女王になるしかない」
「待ってください」
「僕は本気だ。考えてみたまえ。このままケネットが王になったとして、彼に荒れ果てた王国を立て直せる才覚があると思うか?」
「そ、それは私たちがお兄様を支えれば……」
「身の程知らずのあいつに誰かの意見を取り入れる度量があるとは思えない。かといってクリストフはもっとダメだ。証拠もなくテオドール殺しの犯人と決めつけてケネットを攻撃したクリストフはいわばこの内戦の主犯だ。彼を王に戴いては禍根を残す」
二人の兄、どちらも王にふさわしくない。その意見は悲しいことに納得できる。だが、だからといってティーセが二人を飛び越えて女王になるというのは飛躍しすぎていると思う。そもそも――
「私の王位継承権はお兄様達より遥かに下にあります」
「それについては問題ない。君は今、ケネットとクリストフに次ぐ第三位王位継承権者だ」
ジョセフは数多くの子供を作ったが、正妃との間に作ったのはアシュターとテオドール、ケネットとクリストフにティーセの五人だけである。公妾との子供は王位継承権を持てないが、側妃との子供は王位継承権を持てる。ティーセの王位継承権が低いのは側妃の子供にティーセよりも高い継承権をジョセフが与えていたからである。
「本来、側妃の子よりも正妃の子を優先するルールがある。無論、類まれな才覚やスキルがあれば、側妃の子でも高い王位継承権を与えられることがあるが」
その直近の例が他ならぬ彼らの父ジョセフである。彼は側妃の子であったが【絶頂に至る八芒星】という稀有なスキルを保持していたため、高位の継承権を与えられた。ジョセフの父は正妃との子がいなかったこともあり、ジョセフは最終的に叔父のアリオンと王位を争い勝利する。
「だが、クリストフとティーセの間にいる側妃の子たちに類まれな才覚やスキルはない」
つまり、ジョセフはルールを曲げて、不当にティーセに低い王位継承権を与えていたことになる。ティーセが女だからというのは理由にならない。この国は女王を認めているし過去にもいた。
「テオドールがその歪みを嫌い王位継承権を修正していたんだ。曲がったことが嫌いなあいつらしい」
「テオドールお兄様……」
テオドールを想い涙が出てくる。知的で温厚、そして優しい人だった。そんな彼がどうして殺されなければならなかったのだろうか。未だにあの死に方には納得がいっていない。
「長老連と後宮とは君を女王にすることで話がついた。だが、そのためには絶対に欠かせない条件がある」
アシュターは冷たく言い放った。
「グレアム・バーミリンガーとオーソン=ダグネルを殺せ」
「――っ!」
「君が女王になるには誰もが認める功績が必要だ。そのために二人の首が必要なんだ」
「待ってください! グレアムは殺さずに生け捕って、その力を傷ついた王国の復興にあてる予定ではなかったのですか!?」
「そんな甘いことを考えているから、レイナルドとテオドールは殺されたんだ」
「……どういうことです? 二人の死にグレアムが関わっていると?」
テオドール殺害の犯人は未だ不明だが、レイナルドはその妻アイーシャによって毒殺されたという。
「"薬裡衆"という言葉を聞いたことがあるかい? レイナルドの汚れ仕事を扱う集団だ。二人の死には彼らが糸を引いている」
「ど、どうして彼らがそんなことを? それに彼らとグレアムに何の関係が?」
「大叔父のヘイデンスタム公爵がグレアム討伐のために動いていることは知っているね? 薬裡衆は大叔父の軍に攻撃したんだ」
グレアムが立て籠もるクサモ攻略のために準備していたバリスタや投石機、攻城櫓などが焼き払われたのだという。
「彼らの仕業であることは間違いない。もともと王国に対してゲリラ戦を行っていた一族の末裔だ。その遣り口は知られている」
そういった工作や破壊活動に限定すれば、王家の"暗部"よりも技能は上だという。
「なぜアイーシャはレイナルドを殺した? なぜ薬裡衆はヘイデンスタムを攻撃した? レイナルドとヘイデンスタムに共通しているのは、グレアムを攻撃しようとしていたということだ」
「グレアムを助けるため? でも、なぜ?」
「実はグレアムはレイナルドの嫡男ではないかという噂がある」
「――っ!? グレアムが!?」
ダイク=レイナルドがスライムをペットにする悪趣味があったというのは有名な話だ。それが実は【スライム使役】スキルによるものだとしたら。
スキルは遺伝する。グレアムがダイクのスキルを受け継いだとしたら、それが何よりの証拠にならないか。
さらにこんな証言もある。グレアムがスライムを使役していたと聞いたアイク=レイナルドは真っ青になっていたという。彼はその瞬間、グレアムが自分の息子であることに気付いたのだろう。だから、アイクはグレアムの生け捕りを主張し、妻のアイーシャは息子の邪魔をしようとする夫を殺したのだ。
「だとすれば王国にとって非常にまずいことになる。今、レイナルドの騎士たちは領地に引き上げて騎士団領として独自に運営する動きを見せているが、もし彼らがグレアムを正当な嫡子と認めたら、王国内に強大な敵対勢力ができることになる」
しかもレイナルド侯爵領は帝国から王都を守る最後の防衛線として、非常に近い位置にある。これが王国に敵対するとなると、まさに喉元に刃を突きつけられたに等しい。レイナルド二万の軍勢に対して、今の王都では対抗する術がない。
「グレアムを殺せ。テオドールもそれを望んでいる。テオドールの仇を討つんだ」
「……本当に、彼がテオドールお兄様を?」
「王宮の厳重な警備をかい潜り、テオドールを暗殺できる存在など、薬裡衆以外にない」
「…………」
情報が多すぎる。どう判断していいか分からない。
ただ、誰かに命じて暗殺というのはグレアムらしくないような気がする。実際、大叔父のアリオン=ヘイデンスタムは攻城兵器を破壊されたが暗殺はされてない。それに、いくら王家の"暗部"が弱体化しているとはいえ、むざむざ本拠の王城に侵入を許すだろうか。"暗部"に比肩しうる勢力として特に薬裡衆を警戒していたはずだ。
もし、グレアム以外にテオドールを暗殺できる存在がいるとしたら――
「身内」
そう口に出した瞬間、えもいえぬ怖気がティーセを襲った。
顔を上げたティーセの瞳に、何の感情も浮かべていないアシュターの顔が写り込んだ。
(……誰?)
自分は今まで兄と話していたはずだ。それが、急に見知らぬ人間と話していたように思えてきた。
「グレアムとオーソンを殺せ」
『グレアムとオーソンを殺すのよ』
アシュターの声に被さるように女の声がティーセの耳元で聞こえたような気がした。
「王国を救うにはそれしかない」
『王国を救うにはそれしかないの』
二人の声、特に女の声を聞いていると何故かそうするしか無いように思えてくる。
「わ、私は」
「すべての段取りはできている。大叔父上には策を提供した。その過程でグレアムは大きな魔術を使うはずだ。この魔道具でそれを測り、発信源に向かって"アドリアナの天撃"を放て」
『あなたは剣を振るだけでいいの』
「振る、だけ……。それで、王国が救われる」
うまく頭が働かない。まるで、頭の中に靄がかかったようだった。
「そうだ。王族の務めを果たすんだ」
『そうよ。民を救って救国の英雄となるの』
義務。英雄。
二人のとめどない言葉がティーセの頭を埋め尽くす。
「君が苦労して設定した会談もレイナルドのせいでご破算になった」
『いいえ。むしろグレアムがそうなるように仕向けたの。王都で広がりつつある疫病も彼の仕業よ』
「君には彼を憎み、討つ、正当な権利がある」
『王国の平和を脅かす悪に対して、正義を執行するの』
(憎む? グレアムを? わたしが……)
そんな疑問を抱いたのを最後に、ティーセの意識は闇に沈んだ。
―― 現在 クサモ ――
『『グレアム!』』
リーとミストリアの切羽詰まった呼びかけ。
防壁上で王国軍の様子を見ていたグレアムは幻影魔術で姿を消していた。そこに狙いすましたかのように天空から光の奔流が襲来する。
【危機感知】スキルと獣人の超感覚でグレアムの危険を感じ取ったリーとミストリアは咄嗟に警告を放った。そのおかげか、光の奔流が止んだ後、幻影魔術こそ解除されていたがグレアムは無傷で防壁上に立っていた。
「…………。ああ。君も来ていたのか」
グレアムが見上げる視線の先には、輝く鎧に身を固めた"妖精王女"の姿があった。