65 終わる世界 5
「その任務、私にやらせてください」
そう力強く発言したのはブロランカからの古参の少女ミリーだった。
その任務の内容は至ってシンプルだ。とある場所に隠れて待つだけである。ただし、グレアムの合図があるまでという条件がつく。もしかすると一月以上。その間、体を拭くこともできず食事も排泄も、そこで済ますことになる。そんなある意味、過酷な任務をミリーが買って出たのだ。
「この任務はジャックスに任せるつもりだ」
「いいえ。ぜひ、私にやらせてください」
珍しくグレアムに食い下がるミリー。
グレアムは横に座る狼獣人のミストリアを見た。グレアムの視線を受けた彼女は首を横に振る。ミリーのトラウマが未だに払拭されていないと無言で語っていた。
ヘンリクを狙って撃った<炎弾>がグレアムの肩を貫いて以来、ミリーは銃爪を引こうとするたびに激しい拒絶反応が出るようになってしまった。戦団一の狙撃手として一隊を率いていた彼女も、以降は隊長の任を解かれリハビリに努めていた。
「問題ありません! 今度こそ、必ず撃てます!」
なおも食い下がるミリー。ここで諦めたらクサモ離脱組に加えられると思ったのだろう。事実、グレアムはそうするつもりだった。
「しかし――」
「いいじゃねぇか」
拒絶しようとするグレアム。そこに助け舟を出したのは戦闘部門長のリーだった。
「作戦がうまくいけば出番はない。だったら、そこにミリーの嬢ちゃんを配置して、ジャックスには他の手薄な部署を担当してもらったほうがいい」
「…………」
リーの言う通り、この任務はいわば保険であり、万が一、作戦が失敗した場合の最終手段となる。だが、だからこそ信用の置けるメンバーをアサインすべきだった。
生きていない標的ならば、命中率100パーセントを誇るミリー。だが、生きたものは撃てないリスクがある。一方、ジャックスの命中率は96パーセントとミリーに劣るものの、生きたものでも撃てる。冷静に考えるなら、ここはジャックス一択である。だが――
「……いいだろう。この任務はミリーに任せる」
喜色を浮かべるミリーに対して、ジャックスは複雑な表情だった。
「こいつは貧乏クジだぜ。正直、引かなくて助かったけどよ、ミリーで本当に大丈夫か?」
本人がやれると言ったんだ。だから、任せる。
そんな考え方は上司の責任放棄である。もしもの場合に備えてフォロー体制を築くのがグレアムの役割だが、そんな余裕はもはやない。それでもミリーを選んだのは、その任務ならば万が一の場合に、ミリーが生き残れる可能性が高いと思ったからに過ぎない。
早速、その夜、ミリーはクサモを離れた。
◇
「……………………」
「どうぞ」
執務室で一人、物思いに耽るグレアムにマデリーネはお茶を淹れた。
「……(ずず)」
窓の外を見ながら湯呑を啜るグレアム。
「ミリーのことを考えているのですか?」
「……なぜ、分かった?」
意外そうな顔でマデリーネを仰ぎ見るグレアム。
「何となくです。団長は何か大きな決定をした後は、こうして物思いに耽ることがありますから」
「……そうか」
グレアムは湯呑を机に置くと、罪を告白するように手を組んだ。
「時折、本当に自分の決断は正しかったのか、思い悩むことがある。部下たちに俺の迷う姿を見せてしまえば不安にさせてしまう。そんな思いから短慮に決めてしまったのではないか、とな」
珍しいグレアムの弱音だった。
「団長はよくやっていると思いますよ」
そんな彼にマデリーネは思いの外、優しい声音を出すことができた。
「そうだろうか。いつも後悔してばかりだ。ミリーの兄は俺のせいで死なせてしまってな。ミリーにまで何かあったら……」
「……」
噂に聞いたことがある。まだ、グレアム達がブロランカ島で生贄奴隷にされていた頃、ミリーの兄はグレアムをディーグアントから庇って死んだ。だから、ミリーが大きな失敗をしてもグレアムはミリーを追放したりしないのだと。
あの日――ベイセル=アクセルソン率いる王国軍を撃退した日、最終局面で何が起きたのか、新参者のマデリーネに知るすべはない。グレアムが口外を厳しく禁じているからだ。それでもミリーが置かれた立場から何があったのか想像できる。
最古参にして団の中核である二の村組は腫れ物を扱うような感じだ。一の村の獣人も多くはそんな感じだが、一部は無視、中には明確な敵意を向けている者すらいる。ちなみに、ヘンリク少年もそんな感じである。もっとも、グレアムが二人に頻繁に話しかけているのもあってか、敵意を向ける以上のことをする者はいないようだが。
「きっと、時間が解決してくれると思います」
残念なことに、そんな月並みな慰めの言葉しか出てこない。それでもこの優しい団長はぎごちない笑顔で答えてくれた。
「ああ、きっとそうだな。……ところで、話は変わるんだが」
「はい?」
「君の父親を、殺すことになる」
◇
『結局、クサモに残ったのは300ほどか』
帝国陸軍情報部諜報二課所属ドレガンス・エレノア中尉の主――ヘリオトロープはそう呟いた。
「はい。200名近くがオーソン副団長と共に、クサモから離脱しました。残った300名で15000の王国軍と相対することになります」
『15000? 違うね、ドレガンス。これは300対1000の戦いだよ』
「どういうことでしょうか?」
『1000というのは王国軍の魔術系スキル持ちの数さ。魔銃を相手にする場合、他はただの肉壁だ』
「まさか」
それはいくら何でも言い過ぎだろうとドレガンスは思う。
『前の私の世界では銃で武装した180人で八万の兵を要する帝国を滅ぼした例がある。もちろん、疫病や内紛で、帝国は既にボロボロだったという背景があったんだけどね』
「疫病、内紛……。今の王国と奇妙に一致しますな」
『おそらく、そう遠くない未来、フランシスコ・ピサロのごとくグレアムによって王国は滅ぼされるだろうね』
「……正直、にわかには信じられない思いです。一時は我らが祖国を追い詰めた王国がそんなに簡単に滅ぶのかと」
『それぐらいのポテンシャルがあるんだ。あの魔銃には』
「……我らの銃で対抗できるのでしょうか?」
帝国も今、急ピッチで銃の配備を進めている。ヘリオトロープの敵対勢力が王国の<白>によって大打撃を受けたことで、帝国軍の編隊と装備の新調がやりやすくなったと以前、ヘリオトロープから聞いていた。
『それはどちらの製造にも携わった君が一番、よく分かっているだろう?』
「……はい。残念ですが、魔銃に及ぶべくもないかと」
帝国の銃は主が火縄銃と呼ぶものだ。主が自動小銃という最適解を示していても、技術がそれに追いついていないのだ。
『威力は互角だろう。だが、連射性能が違いすぎる。おまけに向こうはシールド付きだ。彼我の損害比率は……、はっ! 考えるのもバカらしくなる! おまけにコストは十分の一! スライムがいる限り、弾切れの心配もない! チートにもほどがあるだろ!』
珍しく荒ぶる主にドレガンスは不安を感じる。ドレガンスにグレアムの暗殺を命じるのではないかと危惧したのだ。もし、グレアムが率いる王国と帝国が激突すれば……。
『安心したまえ。そんなことを命令する気は毛頭ない』
「!?」
『ふふ。図星だったかな?』
「……お戯れを。話を戻しましょう。それでは、今回もグレアム殿が勝利すると?」
『う~ん。それは正直、微妙。300対1000なら、拠点攻略に攻撃側が三倍の兵力で挑むという攻撃三倍の法則に従っているし、王国にはいくつか隠し玉もあるようだ』
「それは……」
『アリオン=ヘイデンスタムはかなり頭の切れる人物のようだね。彼も分かっているんだ。これが王国がグレアムを倒す最後の機会だと。いずれにしろ、グレアムはかつてないほどの苦戦を強いられるだろう。もし、グレアムが負けるようなことになれば……、分かっているね?』
主の命令にドレガンスは悲壮な決意で頷くのだった。