64 終わる世界 4
「ここにいたのか」
クサモの防壁上に佇むオーソンの背中にグレアムは声をかけた。
『ふざけるな! そんなこと、受け入れられるわけないだろう!』
そう怒鳴ってオーソンが会議室から出ていったのが一時間前のことである。
「クサモから離れることを不安がっている団員も多い。だが、副団長の君が彼らについていてくれれば安心できる。頼むよ、オーソン」
王国討伐軍がクサモに近づいている。クサモ近郊に集っていた商人や日雇労働者は、それを察知して少しずつクサモから離れている。グレアムは彼らに紛れて、戦団の非戦闘員を連れてクサモから離れるようにオーソンに命じたのだ。
それだけならば、まだオーソンは怒らなかっただろう。非戦闘員を安全な場所まで連れていった後に戻ってくればよいだけだ。だが、グレアムはクサモでの戦闘が終わるまでオーソンに待機を命じたのだ。
「今回は厳しい戦いになる。死ななくていい人間まで死ぬ必要はない」
「……だからこそだ。俺もここに残って戦いたい。……アリダがいるから俺なのか」
身重のアリダはもちろんクサモ離脱組である。
「それも一つの要因であることは否定しない」
「……俺よりも、リーを信用しているのか?」
ブロランカから脱出直前に仲間になったリーは、今や戦団にはなくてはならない人材となっている。第二次討伐軍との戦いでは副司令的立場になる予定だ。
「……オーソン。師匠に回復の兆しが見られる」
「ヒューストームが!?」
戦略級広域殲滅魔術<白>を防ぐため、生命力を魔力に変換する魔術を使用したことで眠り続けていたヒューストームに目覚めの兆候があるという。
「昔、リーを仲間にするかどうかで、ちょっとした論争になったことを覚えているか?」
「……ああ。俺がリーを仲間にすることに反対したんだ」
リーは先々代の王ジョセフによって八星騎士として叙任されたが王宮勤めは性に合わないと言って王国を出ようとし、それをグスタブ=ソーントーンに察知され斬られたという。同じ元八星騎士のオーソンとしてはソーントーンの行為は当然である。八星騎士は半ば名誉職のようなものだが、国王ジョセフの直属の騎士でもあり、特に任務がなければジョセフの傍にいることが求められた。そのため、王国の中枢に触れる機会は多い。勝手な出奔は、それだけで充分な裏切り行為だった。
『また、性に合わないと言って蟻喰いの戦団も辞めたらどうする。こちらの秘密を抱えて、また王国に再就職か? 一度、裏切った奴はまた裏切るぞ』
そうリーの加入に反対するオーソンに対し、グレアムはこう答えた。
『それは一つの真理かもしれないが、だからといって裏切ったことが無い奴が今後も裏切らない保証はない。裏切ったことがあろうがなかろうが、人間、裏切る時は裏切るんだ。裏切りを恐れていては誰も雇えない』と。
結局、ヒューストームもリーを仲間にすることに賛成したことで決着したが、後日、グレアムの言葉を裏付けるように古参のナッシュとヘンリクがグレアムの(偽)首を持って王国軍の元へ走ってしまう。
オーソンにとっても苦い思いなのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あの時は、ああ答えたが一つ訂正させてくれ。俺が絶対に裏切らないと確信できる相手はオーソン、君と師匠だけだ」
オーソンとはそこそこ長い付き合いになる。それだけでグレアムの言いたいことが察せられたのだろう。
「…………俺にヒューストームを守れと?」
「ああ。守ることに関しては師匠よりも信頼している」
この世界でもっとも信を置く二人。どちらが欠けてもグレアムにとっては大きな痛手だった。だから、もっとも信頼する人間でもっとも信頼する人間を守る。
「俺が今できる最善の一手だ。頼むよ、オーソン」
「………………………………。あー! クソ!」
頭をガリガリと掻き毟ったオーソンは勢いよく振り返った。
「死んだら絶対に許さんぞ!」
「……ああ。努力するよ」
「努力じゃない! 絶対に死ぬな!」
「無茶を言うな」
「無茶でも無理でも、とにかく生き残るんだ! それだけは約束してくれ!」
強く迫るオーソン。グレアムはこの親友に嘘だけはつきたくなかった。
「…………分かったよ」
これで是が非でも生き残らねばならなくなった。
「絶対だぞ!」
「ああ。約束だ。生きてジャンジャックホウルで会おう」
グレアムは右手を差し出す。それをオーソンは力強く握った。
◇
「これは……、どういうことでしょうか?」
ヘイデンスタムの正騎士グウェンは部下の問いに答えることができなかった。
主のアリオンに命じられ一隊を率いてニワリ川の上流を進んでみれば、そこは妙な光景が広がっていた。大量の土砂と木石で川の水が堰き止められていたのだ。
「川の水量が少ない原因はこれか。だが……」
誰が、何のために?
「グレアムの仕業でしょうか?」
「……おそらくはな」
というか他に考えられない。だが、理由が分からない。
「ダイク=レイナルドが当時の敵国が所有する要塞を水攻めで陥落せしめた逸話があります。グレアムはそれをやろうとしているのでは?」
「あれは攻める側がやるから意味があるのだろう。守る側がやる意味が見い出せない」
「……グレアムが何を考えているか分からんが放置はできん。堰を切って川の水を流す。本隊から工兵を呼べ。それとクサモ周辺にはもう一つ川があったはずだ。確認してこい」
数時間後、やはり同じように川の水が堰き止められていたという報告がもたらされた。
「わからん。グレアムは本当に何を考えているんだ?」
「どうやら本気でクサモ周辺を水没させるつもりだったのかもしれませんね。ですが、その企みもこれで終わりでしょう」
工兵隊の巧みな作業によって堰き止められていた水が少しずつ流れていく。流れ出した水流は残っていた土砂と木石も次第に押し流していき、やがて本来の川の姿を取り戻していった。
だが、グウェンの心には一抹の不安が押し流せずに残ったままだった。
その時、一隊から歓声が沸き起こった。何やら分からぬがグレアムの悪辣な企みを事前に阻止した。その喜びの声だ。
「喜ぶのはまだ早い。もう一つの川の方も今日中に対処する。川に水が戻ったことに気づいて妨害に出てくるかもしれない。油断するな」
だが、そんなグウェンの心配は杞憂に終わる。何の妨害もなく堰を崩すことに成功してしまったのだ。釈然としない思いを抱えたまま、グウェンは本隊へと合流を果たすのだった。