61 終わる世界 1
「魔物の肉?」
「団長って食べないですよね?」
ランチミーティングで生産部門責任者ガストロの娘のエステルからそんな質問を投げかけられた。
「あまり好きじゃないな」
「やっぱり」
この世界では魔物食は一般的だった。素材を剥ぎ取った後、猪型や鳥型など食べられそうな魔物なら食べるという。
ちなみに蟻喰いの戦団では魔物は食べていない。クサモに出る魔物は食材として適さないものが多いのも理由だが、素材を剥ぎ終わったらグレアムがさっさとスライムの餌にしてしまうからだ。
「好きじゃない理由でもあるんですか?」
「う~ん。やっぱりあいつら人間を襲って食べるからな」
食べられた人間が病気を持っていた場合、もしかするとその病気が伝染るかもしれない。魔物が人間の病気を媒介するか知らないが可能性は否定できない。
グレアムの心情的には魔物食を全面禁止にしたいが、魔物食で餓死を免れた例もあるという。この世界にはこの世界のルールや文化・慣習があり、グレアムの個人的感情でそれを禁止するのもどうかと思っている。
ランチミーティングの後、グレアムはベイセル=アクセルソンを執務室に呼び出した。
「な、何ですかな? 綺麗に食べていたと思いますが……」
なぜか焦った表情のベイセルは隣に座るスヴァンに視線を送る。
「何のことだ? 俺が聞きたいのはお前が連れてきた子供のことだ」
近隣領主との交渉に出ていたベイセルがクサモに戻ったのが数日前のことである。その際に一人の子供を連れて帰っていた。
「詳しい話を聞いてないことを思い出してな」
子供は体中に怪我を負い、傷口から蛆虫が湧いていた。
この時期に蛆虫が湧くことに違和感を感じたが、状態の酷さにグレアムは蛆虫を取り除いて治癒魔術をかける。だが、傷口は塞がるどころかそこから新たな蛆虫が湧いてくる。それでこの傷は呪詛だと気づいた。
「どういう理由であんな小さな子供に呪詛をかけるのか知りたくてな」
グレアムの口調には怒りが滲んでいた。ちなみに子供はグレアムから<呪消し>を受けて一命を取り留めたが、体は痩せ細って骨と皮だけといった状態で未だ喋ることもできなかった。
稀に奴隷の逃走防止用に呪詛をかけると聞いたことがある。もし、奴隷商人のところにいたというなら、グレアムはその奴隷商人を潰そうと決めた。どこかの貴族のところにいたというなら、戦団を動員してそいつを討つつもりだった。
ところがベイセルの回答は意外なものだった。
「さて、何とも。私も道すがら拾っただけですからな」
「……縁もゆかりもない子供をか?」
あのような酷い状態の子供を見るに見かねて救おうとしたのだとしたら、グレアムはベイセルを見損なっていた。道端に死にかけの子供が転がっていても見捨てるようなやつだと誤解していたのだ。
「でも、団長。子供お好きでしょう?」
「……別に好きでも嫌いでもないが」
「戦団の子供たちにお小遣いをあげているのに、ですか?」
「あれは子供が好きだからあげてるんじゃない。教育の一環だ」
「? どういうことでしょう?」
「金から学ぶことは多い。店に行くことで地域社会を知る。商人と話すことで人を知る。物を買うことで物と金の価値を知る。欲しい物があっても金が足りなければ、どうするか考える。貯めるか、我慢するか、手伝いで駄賃をもらうか。いずれにしろ子供にとって悪いことではない」
金銭教育はお金の使い方を学ぶことでお金の大切さを学び、自立心と人間形成の土台を作成することを目的とする。現代日本では子を持つ親が当たり前のようにやっており、この世界でも少し裕福な家庭ならやっていることだろう。
だが、執務室にいるベイセル、スヴァン、マデリーネはいまひとつ心に響かなかったようで互いに顔を見合わせた。やがて、ベイセルが代表するように聞いた。
「なぜ、そんなことを?」
「……なぜって?」
「文字書き計算はまだ分かります。戦団の運営に役立ちますからな。ですが、自立心やら人間形成の土台やらは漠然としすぎていてグレアム殿の利益になるとは思えませんが」
「…………」
ああ、そうか、と納得する。ここでもグレアムとこの世界の人間のズレを認識する。現代日本では国民皆学が当たり前だった。だが、この世界で教育を受けるのは貴族以上の人間だけである。稀にスヴァンのような平民が特別な例で教育を受けさせてもらえることもあるが、多くの平民は無学だ。無知無学のほうが扱いやすいということもあるのだろう。
例えば傭兵は金があればあるだけ使い、結局、死ぬまで戦い続けなければならなくなる。金を貯めてセカンドキャリアを目指す傭兵など神獣レベルで稀な存在なのだ。
確かに自立心や金の使い方を学ばせても、グレアムの利益に直接結びつくことは稀だろう。むしろ人材が戦団から流失するかもしれない。
グレアムは迷う。この世界に"国民皆学"という概念を持ち込んでいいものなのか。
迷いは一瞬だった。
「子供にはすべて教育を受けさせる。義務教育だ」
◇
『ドラゴンという種は高い知性を持つ。上級竜ともなればその知性は人間以上とも言われている。だが、そんなドラゴンたちも文化と文明を持つことはなかった。なぜだと思う』
ブロランカ島にいた頃、師匠のヒューストームからそんな問を投げられたことがある。
その時、グレアムは答えることができなかった。結局、答えをヒューストームから聞きそびれたなと思い出しながら、リンド老からの報告を聞く。
「イリアリノス連合王国が崩壊したというのは事実のようです。少なくともドラゴンに対し組織的な抵抗はできていない様子」
「……そうか」
イリアリノス連合王国は三大国を後ろ盾に持つ複数の小国で構成されている国家だった。イリアリノス連合王国に行けば王国でも簡単に手出しはできない。グレアムはそこで王国に対抗できる力を蓄える計画であった。
だが、それはイリアリノス連合王国の崩壊により、ご破産となる。
(さて、どうするか)
グレアムは自分に問う。
政情不安があっても当初の予定通り聖国に行くか。だが、遅きに失した感もある。
「王国軍の現在位置は?」
「テムゼンの東五〇キロ」
聖国への途上で王国軍とはち合わせになる可能性が高い。ここで迎え撃つしかない。
(だが、その後はどうする?)
グレアムの作戦を実行すればクサモは使えなくなる。拠点を失い戦団は何処へ行けばいいのか。
グレアムは一晩中、悩み続け、それでも答えは出なかった。