54 薬裡衆とナノスライム 2
「アイーシャ様をお助けしたいですか?」
レイナルド私設暗部集団"薬裡衆"頭領リンドはグレアムにそう訊いた。
「できるのか?」
「我らならば赤子の首をひねるより容易いこと」
「……何が望みだ?」
「話が早くて助かります。我ら薬裡衆を雇っていただきたく」
元はレイナルドの家業であるポーション製造の秘密を守るためにグレアムの曽祖父ダイク=レイナルドによって組織された薬裡衆だが、ダイクの軍事活動の拡大とともにその仕事も拡大していく。暗殺、間諜、後方撹乱、情報操作、破壊工作等、おおよそ汚れ仕事は何でもだ。
「まるで忍者だな」
「はて、なんと?」
「何でもない。続けてくれ」
もちろん薬裡衆の活動も金がなくてはできない。薬裡衆の費用はレイナルド家のポーション製造の利益から賄われていたが――
「それができなくなったと? 何故だ?」
「遠縁のバカどものせいです」
リンド老は忌々しげに吐き捨てた。
アイクとオリハの死亡後、その跡目をレイナルド家の遠縁の者達が公然と争い始めた。自分こそが正当なレイナルドの後継者だと主張しあい王都で戦いを始めたのだ。それが呼び水となり、王位継承を巡って対立し緊張状態にあった第三王子派と第五王子派も王都で軍事衝突を起こして王都の四分の一が焼ける。
(ドッガーのやつが最近、忙しそうにしていたのはそれが理由か)
グレアムも内乱が始まるかもしれないという情報は得ていたが、実際に衝突したという情報は初耳だった。
(ティーセは大丈夫だろうか?)
妖精王女とは彼女の父ジョセフの首を彼女に返し、王都の近郊で別れたきりである。ティーセはジョセフの首を見て動揺していた。その隙にグレアムはその場を離れ、ティーセは追ってこなかった。
思えば十二歳の少女に対し随分と酷いことをした。無事だといいのだが。
「レイナルドのポーション製造工場は機密保持のため、王都の一箇所に集中しておりました。そこが戦災にあい、ほぼ全焼してしまう事態に」
「それで、収入源を断たれたレイナルドに見切りをつけたわけか」
「しかり。遠縁のバカどもには我らを使うほどの器量はありませぬゆえ」
「新たな雇い主として何故、俺を選んだ? レイナルドの血を引いているからというわけでもあるまい」
「マイク様ならば我らを丸ごと抱えられる財力を持てると考えて」
そう言ってリンド老の提示した莫大な金額にグレアムの顔は引きつった。確かに払えない額ではないが。
「俺ならばというのはどういう意味だ」
グレアムがフォレストスライムを使って海から希少金属を抽出していることは、オーソンでも知らないトップシークレットである。
「こちらを」
リンド老が肩にかけていたバックから一抱えもある壺を取り出した。驚くことに、その壺はバッグの容量ではとても収納できる大きさではない。
「古代魔国時代に作られたマジックバッグです。生きた者も収納できるので要人の救出や誘拐に重宝しております」
そんな物もあるのかと感心したが、すぐに別のことに興味を奪われる。
「壺の中身は、スライムか?」
「はい。焼失したポーション製造工場の仕込み桶から無事だったものをかき集めました。マイク様の曽祖父ダイク様はナノスライムと呼んでおりましたな」
グレアムは壺を覗き込んだ。中身は透明な水のようなものしかないが、確かにスライムの思念波を感じる。しかも一万体分だ。
「目に見えない微細なスライムの集合体か」
グレアムは王城襲撃時に王都に住むスライムのほぼすべてを【スライム使役】で支配下に置いたが、その際、予想以上の数を使役できた。王都のスライムを回収する時間がなかったので現状維持を命じてそのまま置いてきてしまったが、実は大半はこのナノスライムだったのかもしれない。
「ダイク様はナノスライムを使ってポーションを製造しておりました」
(化学物質を生成する毒スライムの亜種か? 発酵食品も微細な菌が生成する。スライムがポーションを生成しても不思議ではないか)
「なるほど。【スライム使役】を持つ俺なら、こいつらを増やして新しい工場を作れる。その収益でお前らを雇えというわけか」
「ご慧眼恐れ入ります」
「…………」
さて、どうするか。このスライムはありがたくもらっておくとしても、こいつら薬裡衆を雇うかどうかは別問題である。確かに彼らを雇えば色々と便利かもしれないが……
「お前たちを雇うかどうか決める前に二つ質問と一つ条件がある」
「お聞きしましょう」
「俺が捨てられるのを止めなかったのは何故だ? 【スライム使役】が有用なスキルだと知っていたのだろう?」
「我々に諫言や忠言の類は許されておりません。レイナルドでは我らはあくまでも道具でしかなかったのです。聖国の大司教を殺せと言われれば殺しましょう。帝国の枢密院から機密情報を盗み出せと言われれば盗みましょう。ですが、命じられていないことは言葉一つ口に出すことは許されておりません」
「アイーシャの凶行を止められなかったのもそれが理由か?」
「はい。もしアイーシャ様を見張れという命を受けていれば、あのような悲劇は起こしませなんだ」
レイナルドは薬裡衆を徹底的に道具として扱い、それを管理する存在としてグレアムの伯母オリハを置いたという。何を調べ、誰を殺し、何を壊し、誰を拐い、何を盗むかはアイクとオリハが指示する。彼らに勝手な行動は許されない。
「分からないな。何故、レイナルドはお前たちにそんな扱いを?」
「我らに情を持たぬためです。我らの仕事は汚れ仕事。決してレイナルドと繋がっていることを公に知られてはなりませぬ」
「そのために、部下を切り捨てる必要もある。その時に情を持っていては判断も鈍るか」
「しかり」
「…………」
なるほど。今のこの世界では、彼らをそのように扱うのが正しいのかもしれない。その理由にも納得はいく。しかしーー
「……三つ目の質問になるが、お前たちはどうしたい? レイナルドと同じように道具として扱われることを望むか? それとも俺たちの仲間として陽の当たる場所に出たいか?」
リンド老の杖を握る手が固くなる。グレアムの質問はリンド老の琴線に触れたのだと知れた。当然だ。心ある人間が道具扱いされて何も思わないわけがない。
「……そのようなことが許されるのであれば」
「許すさ。だから、俺がこれから出す条件を守ってくれ」
「それは?」
薬師の老婆との話をリンド老は聞いていたのだろう。そして、彼らはそれを解決する術を持っている。だから、グレアムに話しかけてきたのではないか。
汚れ仕事を専門とする彼らの解決方法は容易に想像がつく。アリダのお腹の中の子供をごく自然な形で流産させることだ。
運が悪かった。悲しむアリダをオーソンがそう慰める。落ち着いた頃には、また子供ができるだろう。そうして、生まれてこなかった子供の分までこの子を幸せにしようと二人で誓いあうのかもしれない。
実に良い案だ。反吐が出るほどに。
「子供を殺すな。例え事故でも死人を出すことは許さない。意味は分かるな?」
「……委細、承知」