45 千客万来 2
話はグレアムとペル=エーリンクが再会する数日前に遡る。
「ペル=エーリンク。私をグレアム様の元に連れていってください」
(本当に来た……)
アリオン=ヘイデンスタムの長女マデリーネがペル=エーリンクが仮住まいする離れを訪れたのは夜遅くのことである。
ペル=エーリンクはブロランカ島でグレアム達蟻喰いの戦団と秘密裏に商取引を行っていた若手商人である。その取引でグレアムから手に入れたミスリルのほぼ全てを東方の雄アリオン=ヘイデンスタムに売り払っていた。その縁からペル=エーリンクはヘイデンスタムに匿われていたのだ。
「……マデリーネお嬢様がグレアムさんに嫁入りするという件でしょうか? アリオン様から反対されたと聞いていますよ」
「父の立場ならそう言うしかないでしょう。本心では悪い案ではないと思っているはずです」
確かに、グレアムがこの国を本当に支配するなら娘を嫁がせて縁を作っておくのは悪くない。いわゆる政略結婚である。とはいえ、今のグレアムは逆賊の首領でしかない。王家に睨まれてまで、ヘイデンスタムという屈指の有力貴族が娘を嫁がせるほどの価値があるのか。アリオンから話を聞いていてもペル=エーリンクは確信が持てなかった。それに――
「あなたがグレアムのもとに行っても、アリオン様はグレアムとの戦いを止める気はないようですよ」
「……お父様から話はいっているようですね?」
「ええ。こうしてお嬢様が訪ねてくるであろうことも」
「お父様は何と?」
「望みを叶えてやってくれと。道中の護衛も密かにつけるとも仰っていました」
無論、アリオンはペル=エーリンクにその見返りを約束してくれている。アリオンはマデリーネをグレアムのもとに連れて行くだけで破格の条件を提示したのだ。だが――
「争いが避けられないのであれば、政略結婚として破綻しています。むしろヘイデンスタムの娘と知られれば人質に使われる危険がありますよ」
ペル=エーリンクはマデリーネを翻意を促す。これから戦う相手のもとに総大将の血縁者が行くのはあまりにも危険すぎる。
「私に人質の価値はありません。なぜなら、アリオン=ヘイデンスタムに娘はいないからです」
「? それはアリオン様と親子の縁を切ったということでしょうか?」
「いいえ。初めから私の出生は王家に報告されていません。公にはマデリーネ・ヘイデンスタムは存在しないのです。ですから私をグレアム様に紹介する際も、ただのマデリーネとして紹介してください」
「ますます、わかりません。あなたは政略結婚のために、グレアムさんのもとに嫁ごうとしているのですよね?」
「はい」
「ですが、あなたはヘイデンスタム公爵家とは何の関係もない」
「はい。その通りです」
「?」
意味がわからない。政略結婚とはお互いの家にとってメリットがあるから行われる。ヘイデンスタムと無関係なマデリーネがグレアムに嫁ぐことで、グレアムとヘイデンスタムにどのようなメリットが発生するというのか。
「…………まさか、アリオン様のために間諜の真似事でもなさるおつもりか? それでしたら、この話はお断りします」
「いいえ。誓ってグレアム様の不利益になるようなことは致しません。理由は話せませんが、私自身の存在がグレアム様にとってメリットとなるのです」
「……では、ヘイデンスタム家にはどのようなメリットがあるというのです?」
「……グレアム様の子種を手に入れるだけでも価値があります」
「こ……」
若い娘の口から出た言葉に思わず絶句するペル=エーリンク。
「彼の【スライム使役】スキルはヘイデンスタムの発展に寄与するはずです」
「…………」
家のために好きでもない男に抱かれ産む道具に成り果てる。十代半ばにも届いていない娘のその覚悟の宣言に平民のペル=エーリンクは押し黙る。つくづく貴族とは平民とは異なる思考形態を持つ生き物なのだな思う。それともこの娘が特別なのだろうか。だが、いずれにしろ、その自己犠牲の精神は尊ぶべきものと思えた。
「承知しました。あなたをグレアムさんのもとに連れて行きましょう。ですが……」
「……何でしょう?」
ペル=エーリンクは言うべきか迷う。言わないほうがいい気がする。数日の間、一緒に旅をすることになるのだ。マデリーネと険悪にはなりたくなかった。だが、マデリーネがもし思い違いをしているなら言うべきだと思った。もし、そうならヘイデンスタムにメリットがなくなってしまう。それは誠実を信条とするペル=エーリンクには耐え難いことだった。
だから思い切って言った。
「グレアムさんの子種を手に入れると仰っいますが、率直に言って男を誘惑にするには色々と足りてないものが多すぎるような気がします」
ペル=エーリンクはマデリーネの薄い体を見る。それに対しマデリーネはいつもの無表情で――
「ぶち殺しますよ」
やっぱり言うんじゃなかったと思った。