42 貴族の宿命 1
アリオン=ヘイデンスタムは前王ジョセル・ジルフ・オクタビヴィオの叔父にして王国東部に強い影響力を持つ公爵である。王国最強の異名を持つグスタブ=ソーントーンの寄り親でもあった。
そのアリオンは今、二枚の書状を前に腕を組み何事かを考えている。その表情は厳しく暗い。秘書のチャイホスは何か大きな問題がアリオンに齎されたのだと察した。
やがて、アリオンは何かを決意したかのようにチャイホスに子供達を呼ぶように命じる。
アリオンの私室に訪れたのは長男のアインと次男のツベル、そして長女のマデリーネ。アインとツベルは既に成人しているが、マデリーネはまだ未成年である。それでも、この場に呼ばれたのは彼女がヘイデンスタム家の政務に携わる才媛だったからだ。
「どうされました? 父上」
「レイナルドの件で続報でも?」
アインとツベルを交互に見つめた後、静かに目を閉じたアリオン。そして、ゆっくりと衝撃の事実を告げる。
「テオドール陛下が身罷れた」
「「……………………」」
アインとツベルはお互いに顔を見合わせた。アリオンの言葉が聞き間違いではないことを確認するとアインが代表して静かに問う。
「……病死、ですか?」
「暗殺だ。後宮が何者かに襲撃を受けたのだ」
王の身を守る近衛と『暗部』はグレアムによって多くの人員を失った。加えて、王宮を防衛する魔道具もグレアムの<魔術消去>により大半が無力化されてしまった。無論、人員の補充と魔道具の修復は急ピッチで進められていたが、レイナルド死亡の混乱もあってテオドールはあえなく襲撃者の凶刃に倒れたのだ。
「「……………………」」
アリオンの私室に重苦しい沈黙が下りる。即位して半年も経っていないテオドールはまだ若く、子供はいない。そのため、王位継承権はジョセフが生前に定めたままである。これに従うと次の王はジョセフの第三王子ケネット・ジルフ・オクタヴィオになる。だが、このケネット、不幸にもとてつもない愚物と評判の人物であったのだ。
「……まさか、ケネット殿下が?」
「ツベル! 不用意な発言は慎め!」
「しかし兄上!」
ケネットがしばしばテオドールへの不満を口にしていたのは周知の事実である。ジョセフを殺害したグレアムをいつまでものさばらすテオドールにケネットは自分ならと取り巻きによく零していたという。
「ケネット殿下は潔白だ。それは私が保証しよう」
アリオンは息子達にそう告げる。アリオンがそう断言するのは信頼する配下にケネットの動向を監視させていたからだ。
テオドールは若いながらも賢君の片鱗を見せていた。愛国者たるアリオンはテオドールの治世が続くことを望んでいた。だからこそ、愚か者のケネットが軽挙妄動に走ることを危惧していた。
「だが、クリストフ殿下はケネット殿下こそ、テオドール陛下殺害の首謀者だと主張している」
クリストフ・ジルフ・オクタヴィオ。ジョセフの第五王子にしてケネットに次ぐ王位継承権の持ち主である。
「クリストフ殿下はケネット殿下の屋敷を襲撃した。ケネット王弟殿下は辛くも逃れ、取り巻きの貴族の屋敷に逃げ込んだのが昨日のことだ。今は、お互いがお互いをテオドール陛下暗殺の首謀者だと主張しあい兵を集めている」
まさに急転直下の動乱に目を白黒させるアインとツベル。
「私のところにもお二人から書状が届いた。逆賊を討つため兵を出せと」
「……内戦」
アインがゴクリと唾を飲み込んだ。今、まさにこの国で王位継承を巡る血みどろの争いが始まろうとしている。
「このような時期に!」
「このような時期、だからだろうな」
ツベルの憤りにアリオンが冷静に返す。帝国の侵攻に<白>が有効だと証明されたばかりである。帝国という強大な敵の心配がなければ、自らの利益のために身近な敵を排除することに躊躇いはなくなる。
(まさか、先日の侵攻はこのための布石だったとでもいうのか? 一万五千の兵を犠牲にして?)
となれば、帝国には恐るべき軍師がいることになる。王国に内戦を起こすことによって王国の力を削ぎ落とすことを目的とした策略――
そこまで考えて、アリオンは首を振った。
(妄想の類だ。見えない敵に怯えても仕方がない)
「話を戻そう。私は要請に応じ、兵を出そうと思っている」
「「!」」
「……内戦に参加されるのですか?」
これまで静かに話を聞いていたマデリーネが始めて口を開いた。感情がないのではと陰口を叩かれることもある彼女の口調は相も変わらず平坦だった。
「参加せざるをえまい。座視はできない状況だ」
「……それで、どちらの陣営に兵を出すのです」
アインの声はわずかに緊張で震えていた。ここで選択を間違えば、ヘイデンスタム公爵家が消える可能性すらある。
「ケネット殿下は潔白だ。だが、彼の治世には不安が多い」
むしろ不安しかない。自分を天才だと信じるあの愚か者にまともな政治ができるとは思えず、今よりなお悪い状況に陥る可能性すらある。
「ではクリストフ殿下に?」
「……クリストフ殿下の行動はあまりにも速すぎる」
疑念を抱かせるには充分なほどに。
テオドールが殺害されたのが二日前。それから一日も絶たずケネットの屋敷を襲撃した。
まさに電光石火の早業だが、なぜ、クリストフはケネットの在宅を確信していたのだろうか。アリオンにはクリストフが事前に準備していたとしか思えない。
それにアリオンの知るクリストフはこのような大胆なことができる男ではない。気弱で物静かな男で剣を振るより本を読んでいる方が好きな人間である。
クリストフの背後に、誰かがいる。その者がテオドール殺害を主導し、ケネットを襲撃した。そこでケネットをわざと見逃したのなら、王国に混乱を齎すことを目的とした工作員だろう。逆に本気で討ち取るつもりで逃したのだとしたら、その者の能力と運に疑問符をつけざるをえない。
頭上に王冠を載せるには本人の能力以上に運が必要なのだ。それを誰よりも痛感しているアリオンだった。
「では、どうするのです?」
どうするか? 短い時間だがアリオンは全身全霊を持って考えた。どちらに味方すれば王国にとって良いのか。だが、いずれに味方しても明るい未来は見えなかったのだ。だから、ヘイデンスタム家の存続を第一に考えることにした。
「アイン。領軍から五千の兵を率いケネット殿下の陣営に加われ。ツベル。お前は同じく五千の兵を率いてクリストフ殿下の陣営に加わるのだ」
「「!?」」
「それは、お兄様たちで相争えと?」
「そうだ」
これならばどちらが勝ったとしても家は存続する。
アインとツベルの兄弟は顔を見合わせ、お互いに頷いてからアリオンを正面から見つめた。
「「父上の仰せのままに」」
「…………」
アインとツベルの仲は決して悪くはない。せめて、戦場で相見えぬようにとアリオンは大地母神に祈った。
「お父様はどうされるのですか?」とマデリーネが抑揚のない声で問う。
「私は残った兵を率い、グレアム・バーミリンガーを討つためクサモに向かう」
「父上!?」
アインとツベルは驚きに言葉を詰まらせた。確かにそれなら『逆賊を討て』という二人の殿下の命令に反することはないが――
「それは……、今、必要なことなのですか?」とマデリーネ。
愛しい娘を慈愛のこもった目で見つめたアリオンは断言した。
「ああ、必要だ。今、グレアムを討たねば、奴がこの国の新たな覇者となる」