40 冬営 2
「ふわぁー」
時間は深夜の二時。クサモの町の防壁上で、町の中を見張っている団員の誰かがあくびをした。
建物のほとんどが地中に沈んだ殺風景なクサモの町を、かがり火のように町中に設置された<光明>の魔道具が煌々と照らしていた。
「出ませんね」
グレアムの秘書スヴァンが若干眠そうな声で言う。
「今夜はもう出ないのでは?」
「どうかな?」
周囲に甘ったるい饐えた匂いが漂っている。クサモでこの匂いがあった夜は、大抵、魔物を生み出す瘴気が発生していた。
「団長!」
団員の一人が町の一角を指差す。
町の中にいつの間にか紫色の霧のようなものが現れている。
だが、霧はすぐに晴れ、代わりに複数の魔物がそこに出現する。
「今夜はオーガ三体とデス・キャンサー四体、それにタイラント・タイガーか」
「乱杭は…………、ダメですね。効果ないようです」
瘴気が発生する時間は真夜中の前後三時間でまちまちだが、発生する場所は固定だった。グレアムは実験のため、昼間のうちに先端を尖らせた丸太を地面に埋めた乱杭を作らせておいたのだ。魔物が出現したと同時に串刺しになっていれば実験は成功だったのだが、瘴気に包まれた丸太の先端は消失していた。
「まぁ、そんなに簡単にはいかないか。片付けていい」
「はい」
人間の姿を見つけ、こちらに向かってきた魔物の群れに向けて<炎弾>が放たれる。魔物でもかなり強力な部類に入るオーガとデス・キャンサー、そしてタイラント・タイガーも<炎弾>の集中砲火に一分も経たず全滅した。
『団長。こちらA地点でも瘴気が発生しました』
別の瘴気発生ポイントを見張らせていた団員から連絡が入る。
「種類は?」
『バンシーとレッサー・ヒュドラです』
「いつもどおりか。わかった」
クサモの町で一ヶ月、瘴気の観察を続け分かったのは以下。
1.瘴気の発生日はランダム
2.瘴気発生の前触れとして、甘く饐えた匂いが漂う
3.瘴気発生の時間帯は真夜中の前後三時間の範囲
4.瘴気の発生場所は固定
5.瘴気から生まれる魔物の種類は固定
6.瘴気から生まれる魔物の数はランダム
7.魔物発生時に邪魔な障害物は消失する
瘴気の特徴をスヴァンにまとめさせながら、グレアムは連絡のあったA地点に町の中を徒歩で向かう。A地点はオーガとデス・キャンサー、そして時折タイラント・タイガーを生むC地点とは丁度反対の方向にある。
五分ほど歩くと、地面に空いた大穴が見えてきた。
「お疲れ様です!」
穴の側にいた団員がこちらに気づき敬礼してくる。それに軽く手を上げて応えると、グレアムは穴の中を覗き込んだ。
中には報告通りバンシーとレッサー・ヒュドラがこちらを見上げて奇声を発していた。
8.瘴気は地面から数十センチメイル離れた所に発生する
グレアムは瘴気の発生場所が固定だと知ると、このAポイントには深い大穴を掘っていた。魔物が出現したと同時に墜落死してくれれば対処が楽だと考えてのことだが、結果はこのように穴の底で瘴気が発生するようになっただけである。
それならばとアムシャール村のエステル達の訓練用の標的としていたがクサモの町の地下をダンジョン化すると決めてからは、より穴を深くした。魔物達は人間の姿が見えなくなれば獲物を求めて、横穴からディーグアントの巣穴に自ら入っていく。
「ほ、本当に大丈夫でしょうか? ディーグアントの餌になって勝手に増えたりは?」
スヴァンがそんな懸念を口にする。
「毒スライムに頭を寄生させている限り、ディーグアントがクィーンになることはない」
ダンジョン作成に使用しているディーグアントは八百体。すべてグレアムが把握管理している。毒スライム達が定期的に送ってくる思念波からクサモの町のダンジョンがかなり深くなっていることが分かった。
「スライムをディーグアントの頭に寄生させて操るなんて、よく思いつきましたね。他の魔物も同じ方法で操れるのですか?」
「クサモの町に出る魔物で実験してみたがアーク・スパイダーとデス・キャンサーは成功したな。オーガ、バンシー、レッサー・ヒュドラ、コボルト、タイラント・タイガーは駄目だった」
この結果からいわゆる無脊椎動物に近い種類の魔物は操れるような気がする。まぁ、蟻の頭の部分に人の上半身がついたディーグアントを無脊椎動物といえるかどうかは議論の余地はあるが。
ちなみに蟹の脳は両目と口の近くにある。蟹ミソと呼ばれる部分は脳ミソではなく内臓である。先人は紛らわしい名前を付けないで欲しい。くそ!
「…………もしかして、最近、商人に売ってるあの糸は」
「アーク・スパイダーから取ったやつだ。おまえのその服もアーク・スパイダーの糸からできてるんだぞ」
何とも言えぬ顔でスヴァンは自分の服を見る。アーク・スパイダーは糸で獲物を雁字搦めにした後、糸の隙間から消化液を流し込んで獲物をドロドロにして食べるのだ。
「ここにいると常識とは何だったのか分からなくなりますね」
スヴァンが遠い目をする。
「蟻喰いの戦団に長くいるつもりなら慣れてくれ。ちなみにデス・キャンサーからはシャンプーを取ってる。あいつが口から吐く液体は天然の良質なシャンプーになるんだ」
「天然?」
「……失言だ。忘れてくれ」
「はあ?」
科学の発展していないこの世界では大抵のものは天然である。前世の記憶を取り戻して八年経つが、未だ前世の常識が抜けていないグレアムだった。
「まぁ、とにかく。今後も出来る限り魔物を家畜化していく方針としたい。戦団の運営にも金がかかるからな」
ブロランカにいる間に海水から抽出した希少金属はまだ残っているが、それだけで全てを賄うのは不健全な気がする。この戦団にも戦えない者は多い。彼らの仕事のためにも収入源を複数作りたいのだ。 今、蟻喰いの戦団は五百人以上に膨れ上がっていた。アムシャール村の住人だけでなく、他にも食うに困った連中が流れ込んできたのだ。特にアムシャール村以外のベイセル=アクセルソンに食い潰された村人が多い。
「そうですね。家畜といえばスライム――」
「スヴァン。……スライムは家畜じゃない。仲間だ。そこを間違えるな」
厳しい声で指摘するグレアム。
自分の雇用主の怒りどころを知ったスヴァンは神妙に頷く。
「――スライムさんたちと中々打ち解けられない者もいるようです」
「そういう連中はうちに受け入れるのは無理だな」
食糧はあっても、無条件で全員を受け入れるわけにはいかない。そこで入団テストとして半月の期間内にスライム百体を集められることを課したのだ。ちなみに百体の根拠はスライムベッドが作れる最低数である。長い旅で翌日に疲れを残さないようにするためには、地面からの冷気を遮断し体圧分散で抜群の寝心地を提供するスライムベッドは必須だった。
「中には優秀なスキル持ちや高等教育を受けた者もいるようですが……」
「いらん。雪が降る前に追い出せ」
決して難しい入団テストではない。蟻喰いの戦団のスライムは人間に慣れているので、食べ物を手に彷徨いていればスライムの方からやってくる。現に一の村の獣人達は最初こそスライムに忌避感を持つ者もいたようだが、それでも一週間以内に全員クリアしていたし、スヴァンにいたっては三日でクリアしている。
スライム達には自分達に悪意や害意を持つ人間には近づかないように命令している。百体集められないということは、そういうことなのだろう。
「ごねるようなら強行手段を取る」
最後にそう言い残し、グレアムは自分の寝所に向かった。