37 レイナルド家の毒婦 4
(今日はやたら蒸すな)
アイク=レイナルドは火照る体を冷ますため、窓を開けて冷気を室内に取り入れた。
西の空に浮かぶ夕陽は血のように赤く、四半刻もせずに地平に沈むだろう。
視線を下にやれば、麾下の騎士達がまだ演習を行なっている。
弟の視線につられて窓の外を覗き込んだオリハは扇子で隠した顔を嫌悪に歪めた。
「栄光あるレイナルドの騎士がまるで土竜のようね」
騎士達はスコップで穴を掘り、銀色の鎧を泥だらけにしていた。確かに騎士として見てくれはよくない。だが、蟻喰いの戦団攻略のため必須の戦術と考えている。
<銃盾>で身を守りながら、雨あられと<炎弾>を浴びせてくる蟻喰いの戦団に対し、遠距離から弓矢や魔術で撃ち合うのは分が悪い。とはいえ、グレアムが<魔術消去>を使う以上、<魔盾>を張って接近するという戦術は使えない。
ならば<魔術消去>でも消えず、魔銃の大火力にも耐えうる盾を用意するしかない。それは大地である。
魔銃の銃撃から身を隠せる空堀を掘るのだ。そして、その空堀を敵陣近くまで伸ばす。いわば塹壕である。アイクという戦の天才はベイセル軍の生き残りから戦いの詳細を聞いただけで、蟻喰いの戦団の大火力に対抗する戦術――塹壕戦術を独自に考え出していた。
そして地雷(地面に埋めて爆発する兵器を蟻喰いの戦団がそう呼んでいることを薬裡衆は突き止めていた)に達したところでさらに深く穴を掘る。地雷の埋まった地表ではなく地下を進むのだ。無論、ディーグアントを使役する蟻喰いの戦団も黙って地下道を掘られるのを座視するとは思えない。アイクとグレアム、持てるもの全てを使った知恵比べとなる。その戦場がーー
「坑道となるでしょう。いわば坑道戦ですな」
そう語る弟にオリハは「勝てるの?」と短くも冷淡に聞いた。
「知恵比べは分かりませんが、最終的な勝利はお約束しましょう」
そう語る弟にオリハは不審な目を向ける。知恵比べに負けてどうして勝てるというのか?
「蟻喰いの戦団討伐軍は一両日中に六万の軍勢で王都から発します。その内訳は二万が我がレイナルド軍、四万が王国軍となります」
「!?」
その破格の兵力に絶句するオリハ。
これらの兵のほとんどは対帝国用として温存していたものだ。だが、王国に<白>がある以上、これほどの兵をもはや温存しておく必要はない。帝国の侵攻に対し、西部方面に置いてある戦力で充分に対抗可能だ。
そこでアイクはこの予備兵力を全て蟻喰いの戦団討伐に向けることにした。
「さらに、ヘイデンスタム公爵も二万の軍勢を率いて参加します。レイナルド二万の軍勢で私がグレアムと坑道戦を繰り広げている間に王国軍四万とヘイデンスタム公爵軍二万が地表から侵攻する」
「つまり、あなたは囮ということ? 地下にグレアムを引き付けて本命は地上の本隊と?」
「ええ。地雷は一度爆発すれば爆発しないことは確認済み。ならば遠方から魔術を撃ち込みわざと爆発させれば無力化できる。後は<魔盾>を展開して進むだけです」
魔術師は戦争の要であるが、<魔術消去>を使うグレアムは魔術師の天敵といっていい。ベイセル=アクセルソンは魔術師を極力使わないことでグレアムに対抗しようとしたが、それでは被害が大きくなることが証明された。ならば、アイクはグレアムを抑えこむ戦術を取る。
「無論、抑え込むだけでなく勝つ気でいますがね。若造に負ける気はありません」
千にも満たない小勢に八万もの軍で挑む弟の徹底振りに毒気を抜かれるオリハ。呆れたようにため息を吐く。
「……あの頑迷なヘイデンスタム公爵がよく兵を出す気になったものね」
「『魔銃は武器とし優秀過ぎる』そう語っただけで、彼も気づいたのですよ。グレアムを放置しておけば王国の根幹を揺るがしかねないことに」
「……ええ、そうでしょうね」
魔銃に使う魔杖は魔石があれば簡単に作れる。さらに魔術を発する機構は希少なオリハルコンで作る魔道具ではなくスライムだという。
つまり魔銃はグレアムがいる限りいくらでも量産ができる。それが王族と上級貴族に大きな危機感を抱かせた。破格の兵力派遣はそれが起因しているといっても過言ではない。
「公爵軍の指揮はヘイデンスタム公爵? ならば総大将は王家の人間かしら?」
「はい。ティーセ王女殿下に内定しております」
「"妖精王女"が!? よく陛下がお認めになったものね!?」
「昨今、市井の間でグレアムの人気が高まっていることに王家が危機感を抱いているのです」
「なるほど。人気の高いティーセ王女殿下をお飾りの総大将とすることで喧伝するつもりね。グレアムなど所詮、賊徒に過ぎないと」
自分の言葉に満足そうに頷くオリハ。彼女の明晰な頭脳を持ってしても王国が負ける要素が見当たらない。もし、それでもグレアムが勝つならば、もはや奴は本物の化け物だ。それこそ自分達の祖父ダイク=レイナルドを墓から呼び起こす以外に方策がない。
「ダイクといえば、ケルスティンが面白いことを言っていましたな。何でも彼はスライム使いだったのではないかと」
「……笑えない冗談ね、アイク」
オリハが生まれた頃には既にダイクはこの世を去っていたが、彼が残した功績はあまりに大きい。ただのしがない男爵が王国の国土と自分の領地を三倍にし、侯爵の地位にまで駆け上がったのだ。王国でも伝説上の人物となりつつあるが、レイナルド家に至っては神格化すらされている。
「実際にお爺様が説明のつかない不思議な力を使っていたことは事実です。それがスライムによるものだとしたら? スライムは臆病だが、能無しではない。それはマイクが証明している」
「…………」
「もしや、あのポーションの製造にもーー」
「アイク! 悍ましいことを言わないで!」
オリハはポーショニアンである。食事を取らず栄養はレイナルド家のポーションだけで賄っている。その日常的に口にしているものがスライム由来のものと想像するだけで虫酸が走るのだ。
だが、実際のところアイクもオリハも、ダイクが残した製造法だけでどうしてポーションが出来るのか知らない。アイクとオリハの父も知らないようだった。ダイクがそれを伝える前に急逝したからだ。
ダイクのポーション製造法は実に単純で、大釜に穀物や野菜、肉や魚といったありふれた材料を適当な量、入れるだけである。それだけで数日後には上質なポーションが出来上がる。大釜の上澄液を掬い、瓶に詰め直すだけで王国最高品質のポーションが完成するのだ。そして、大釜に残った液体にまた材料を入れれば、また数日後にポーションが出来上がる。
(大釜の底に水のように無色透明なスライムがいるのだろうな。ポーションの正体はスライムの老廃物か……)
そうアイクは想像する。我が祖父ながら悪辣にして大胆だ。スライムの老廃物を飲まされていたと公になれば焼き討ちにあってもおかしくない。
(なるほど、薬裡衆を組織するわけだ)
ポーション製造の秘密守るため薬裡衆は作られたという。だが、本当にダイクが守りたかったものはスライムの能力そのものではないか。
スライムは魔術も使い、ポーションも作る。アイクの持っていたスライム観は数日で完全に覆された。この有能な魔物を自由に操れる【スライム使役】は外れスキルどころか、他に類を見ない強力なスキルと言えよう。
だが、ともアイクは思う。
それほど強力なスキルを代償無しで使えるのだろうかと。強力なスキルには大きな代償が付き纏う。例外もあるが、その傾向は強い。
鑑定紙はスキルの名前とその効能だけで代償までは示してくれない。故にスキル使いに現れている特徴からスキルの代償を推理するしかない。同じスキル持ちが同じ特徴を示すならば、ほぼ確定といってよい。
(ダイクとマイクの共通点か……)
家族運が悪い。
ふとしたそんな思い付きに、苦笑を隠せないアイクであった。