34 レイナルド家の毒婦 1
アルジニア王国サンドリア王宮の奥深くにある会議室。そこに国王テオドール・ジルフ・オクタヴィオと王国元帥アイク=レイナルドを始めとした国の重鎮たちが深刻な顔をして集まっていた。
王国北西部バロヨエンスから帝国連合軍一万五千が侵攻という第一報を受けたのがおよそ五時間前のことである。その後、様々なルートからその情報に間違いないことを確認したアイク=レイナルドはテオドールに戦略級広域殲滅魔術<白>の使用を提言、すぐにテオドールはそれを承認した。
バロヨエンスの現地指揮官アウグスティン=ニュードヴィスト伯爵に<白>の使用を命じ、その結果を待っているところであった。誰一人、言葉を発することなく鉛のような重苦しい沈黙が続く。
報せは夜が明ける直前に唐突にもたらされた。
「報告します! 帝国連合軍一万五千は<白>により甚大な被害を受け、帝国領へ撤退中! アウグスティン=ニュードヴィスト伯爵は掃討戦に移行したとのことです!」
ワッと会議室が沸き立った。グレアム・バーミリンガーによって散々に煮え湯を飲まされてきた王国首脳部にとっては久々の朗報である。特にテオドールにとっては国王就任以来初の白星となる。王としての面子はかろうじて保てたといっていいだろう。
「喜ぶのはまだ早い。これが陽動の可能性もありうる。そうだな、レイナルド」
「はい、陛下。警戒はまだ解くべきではないかと」
帝国は別名鉄の帳の国とも呼ばれるほどに防諜に力を入れている国である。
五人組と呼ばれる連帯責任・相互監察制度と密告の奨励、近年は帝国公用語ともいうべき独自の言語まで導入し、情報の流出と間者の侵入を阻んでいる。
一方で帝国が防諜と同じだけ力を入れているのが諜報である。起動魔術式を中心に半径30キロメイルに存在するあらゆる物質を無に帰す<白>の存在を帝国が知らなかったとは思えない。あのブロランカの悲劇は既に周知の事実となっている。
王国に侵攻したところで、結果がこうなることはわかっていたはずだ。帝国の意図が読めない。
(別方面からの侵攻、もしくは要人暗殺のための陽動? 単に帝国内での権力争いによる無謀な侵攻という可能性もあるか……)
帝国の目的は不明だが、アイク=レイナルドにとって今回の侵攻はむしろ望むところであった。<白>の存在が抑止力となり当面の間、帝国からの大規模侵攻はなくなるだろう。仮にあったとしても、<白>の有効性が実証できた今、帝国の大軍など恐るるに足らない。
「帝国の侵攻が今、起きたことは寧ろ僥倖か。これで蟻喰いの戦団討伐に専念できよう」
太陽が天空高く昇りきった頃、テオドールはそうアイク=レイナルドに語った。
「はい。帝国が<白>を警戒して軍勢を小規模に複数から展開したとしても、地の利がある我らは各個撃破が可能です」
「……よろしい。おまえの作戦案をすべて承認する。疾く、グレアム・バーミリンガーを捕らえよ」
「ははっ!」
頭を垂れて寝所へと引きあげるテオドールを見送った後、アイク=レイナルドもまた、仮眠をとるため自身の屋敷へと戻ることにした。
◇
「――――!」
馬車の中でうたた寝していたアイクは町の喧騒で目を覚ます。外を見ると複数の男達が下水路を覗き込んで騒いでいた。他にも棒を持っていたり、犬を伴っていたりと町はまるで祭りの時のように騒がしい。
「何の騒ぎだ?」
護衛の騎士にそう問いただすと意外な答えが返ってきた。
「閣下のご命令で町中のスライムを駆除しているところです」
「なに?」
そんな命令をアイクは下した覚えはない。確かにスライムの駆除は命じた。だが、命じたのは王宮などの重要施設だけで町中のスライムを駆除しろなどと命令を下した覚えはない。役人がアイクの命令を拡大解釈したのだろう。
「やめさせますか?」
「……いや、後で正式に布告を出させる。今は放っておけ」
「はい」
ベイセル軍の生き残りからの情報と参謀本部による研究でグレアムはスライムを使って様々なことが出来ることが分かってきた。
スライムを介した魔術行使は驚愕の一言に尽きたが、何よりも亜空間収納である。その技でグレアムは王宮への侵入と脱出を果たしたのだろう。
さらにはグレアムが王宮を襲撃したあの夜、王都中に響いたグレアムの声である。スライムは音を発したり拾ったりできるのではないか。音を操るスキルからの発想だが、アイクも概ね間違っていないと思っている。
魔術は積み重ねた技術の集合体であり、魔術の常識から外れた現象はスライムの仕業だというのがアイクの考えだった。
同じ轍を踏まぬように王国の重要施設内からスライムの駆除と侵入防止策の実施を命じたが、町のスライムまで駆除しては誰がゴミや汚物を処理するのか。
(担当者には後できつく叱責しておかねばな)
ゴミと汚物で溢れた王都とそこから発する悪臭を想像し、アイクは身震いした。